7 僕の私の企画会議(4)


 



「まあそういうわけで」


 実結みゆが空気を換えるように言う。


摘吹つまぶき織田おだの人生を大きく変えた人物であり、そして天敵でもある。恩人ともとれるかもしれないけど、怨敵といった方が適してる。摘吹の方もなんだかんだで織田のこと嫌ってるしね」


「でも、そうなると不思議なんだよなぁ……」


 と、さかえが首を傾げた。


「その怨敵の書いた劇に、なんで織田は出演したのか。摘吹の方もそうだ。演劇部の話じゃ、あいつ自ら織田を指名したらしいし。演劇部員の反発も押し切って。そもそも演劇部の出し物だから、主役はあそこの花形がやるもんだとばかり思ってたら、連中こっちにオファーしにきてさ」


 そう言われると確かに不思議だ。話を聞く限りだと、二人は犬猿の仲と言っても差し支えないような関係に思えるのに。

 ただ、はるにはどうにも、公広きみひろが特定の誰かを毛嫌いしているようなイメージが湧かない。お人好しというほどではないが、公広は誰とでも気軽に接することの出来る人だ。あの悠ともそれなりに打ち解けているように見えた。たとえ嫌いな相手が関わっていても、演劇部からの頼みだからと引き受けたのかもしれない。


「摘吹のやつは嫌がらせだろう。劇の原作であるロミジュリは『ハムレット』と同じシェイクスピアだからな。そういう暗喩じゃないか」

「そうね、単なる嫌がらせだったのかもしれないわ。実際あの劇の内容は、悪く言えば路美夫ろみおを……織田を笑いものにするものだから」


 呆れるように呟いて、実結は「でもね」と続ける。


「その点、摘吹は天才よ」


 摘吹りょうを嫌っているようだった実結からのそんな言葉を遥は意外に思うのだが、栄は渋々ながら、景秋かげあきは黙って頷き同意を示していた。


「あいつは既存のキャラクターや設定に独自の解釈を加えてまったく新たな魅力を生み出すことにかけて、天才的。二次創作とは少し違うけど、まあ似たようなものね。そして、自分の作品にどういうパーツを加えたらより面白くなるかを理解してる」

「……そのためだったら、嫌いな相手も主役にする……ということですか?」


 遥が訊ねると、実結は「そう」とどこか苦々しげに頷いた。


「全体的にコミカルでパロディな舞台に、真面目で、与えられた役がなんであれ真剣に熱演する織田を持ち込んだ。織田自身の性格を熟知しているからこその人選で、それが笑いを誘う脚本。路美夫は真面目に演じられるほどに面白味を増す。結果、劇は大成功。摘吹の実力は結果が証明してるわ」


 むしろ路美夫という役は、公広に演じさせるためのキャラクターだったのではないかと実結は言う。


「それを分かってたから、摘吹個人のことはともかく、劇に出ようって織田も思ったんじゃない? 笑いものにされたとしても劇が好評ならそれでよし……なんて考えそうだもの。ま、うまく人を活かした話を書ける……それが摘吹涼ってわけね」


 最初は意外だったが、なんだかんだ言いつつ実結も摘吹涼という人物を認めているということだろう。口は悪くても、実力ある相手のことは素直にすごいと言える人なのかもしれない。


 実結はぽんと両手を合わせ、「さて」と話題を切り替える。


「この話はこれでおしまい。遥、私たちが話したこと、あいつには黙ってなさいよ。それと、あいつの顔見て笑わないように」

「……とか言ってる部長が既に笑ってるじゃないですかっ」

「栄なぞ、今の話を公広本人から聞かされたとき爆笑したものだから、それから一週間は口をきいてもらえなかったからな。お前も気を付けなければ」

「だって、あんな顔して『ハムレットって呼ばれてたんだ』とか言うんだぜ? 笑うなって方が無理だって」


 あの公広に真面目な顔で、昔は太っていたと打ち明けられ、ハムレットとあだ名されていたことを告げられたら笑わずにいるのは難しいかもしれない。そういうところが、あの劇を成功に導いた要因だろう。

 しかし、それにしても。


「キミ先輩、なかなか戻ってきませんね……」

「そういえばそうね、どこまでいったんだか」

「誰か呼んできた方がいいんじゃね?」

「まさかもうわたしの顔なんて見たくないとか思ってたり……」


 元を辿れば、遥の発言がきっかけだ。因縁深い相手に脚本を頼もうと言われたら、さすがの公広もあまり気分が良くないだろう。


「どうだろうな。公広は自分の感情を律することが出来るタイプだ。すぐ喧嘩腰になる部長と違って」

「は?」


 こういうところである。


「……ごほん。でもさすがに、摘吹の名前を出されては冷静でいられなかったんだろうな。昨年も、摘吹に映像の脚本を任せることに大反対していたくらいだ。いわく、あっちのものにこちらが出る分には構わないが、こっちの作るものにあちらの手は借りたくないそうだ」

「じゃあわたし、本格的に地雷踏んだってことでしょうか……?」


 なんだか不安になってきた。


「かもしれないが、別に部室を出ていったのは怒ったからじゃなく、頭を冷やすためだろう。そのうち帰ってくるはずだ。……ほら、噂をすれば足音が」


 部室周辺の教室はほとんど無人だ。静かにしていれば廊下の足音も聞こえてくる。景秋の言葉通り、公広と思しき足音が部室前で止まり、ドアが開く。


 どんな顔で会えばいいだろう。まず最初に謝るべきだろうか。摘吹涼に頼らず、自分たちで脚本を考えようと進言して……。


 遥は逡巡し、ドアの開く音に振り返った。


 公広が戻ってきた。

 そして、その顔を見て一同は噴き出した。

 ……笑うのとは別の意味で。


「ちょっ、キミ先輩? どうしたんですかその顔!?」


 戻ってきた公広は顔の真ん中に白いガーゼを貼っていた。タオルを持った手で鼻を押さえている。タオルには乾きつつある赤い染み。白いスポーツタオルだからよけいに目立つ。


「ちょっと、鼻血が。保健室に寄ってたから遅くなった」

「鼻血ってあんた……」


 そういえばと、遥はやや場違いかもしれないが、以前景秋から聞かされた話を思い出した。

 いわく、公広はエロに耐性がないらしく、いわゆるエロ本を見ると冗談みたいに鼻血を出すらしい。なので公広を落とすなら色気で攻めれば効果抜群ではという話も浮上したが、不健全だったし、実結からはそもそも遥には色気がないだろうと却下された。失敬な話だ。


 だが今の公広の鼻血は自然に出たものとは思えない。重傷だ。どこかに鼻をぶつけたのか。


 みんなの視線を一身に浴びた公広は、やがて観念したように口を開いた。


「……摘吹に、会ってきた。脚本の話は断られたよ」

「は……? いや、摘吹に会ったからって、どうしてそんな顔になるのよ?」

「蹴られた」


 まるでなんでもないというような公広の答えに、しばし遥の思考は停止した。その間も公広はタオルを顔にあてながら部室に入り、自分の席へ移動しようとする。


 しかし、この話にはいろいろ突っ込みどころがある。

 公広は長身だ。その彼の顔を蹴るなんて、相手が上段蹴りでもしたか、あるいは二倍近い身長でないと起こりえない。後者はありえないが、前者が現実にあっていいものだろうか。

 公広の言葉を思い出す。会ってきた。そして――蹴られた、ということは。

 公広は摘吹に頭を下げるなり土下座して頼み込んだ、ということで。


「あの野郎、調子に乗りやがって!」

「落ち着け栄」


 いきり立つ栄を真っ先に押さえつけた景秋が、厳しい面持ちで、何気ない風を装っている公広に訊ねる。


「なぜ摘吹のところなぞ行ったんだ」

「……遥が言ってた」


 公広の口から不意に名前を呼ばれ、遥はまさかと凍り付く。


「あの劇を見て入学を決めたって。なら、あいつの書く脚本には今の俺たちの……映研の求める、集客力がある。それは劇も証明している。だから、摘吹本人は気に入らなくても……それでもあいつは天才だから」


 自分の言葉が、きっかけで……?


「わたしのせいで……」


 何気なく発した一言がまさかこんな事態を招くなんて。公広が出ていった時も後悔したが、今はそれにも増して責任感に押し潰されそう。

 だが彼はこちらを真っ直ぐに見て、


「遥のせいじゃない」


 ぎこちなく微笑んで、首を振った。


「俺が必要だと思ったんだ、あいつの力を。全部、映研のためだ。……けど、断られてこのザマなんだけどな」


 見た目ほど重傷じゃないと公広は笑う。保健室の先生が過剰に反応しただけだと。


 しかし部室には沈黙が満ちていた。

 それを破ったのは、唇を噛んで黙り込んでいた部長の一言。


「……まあ、断られて正解だったわ」


 顔を上げ、明るく努めるように言う。


「下手に頼って、今の私たちに出来ないことをオーダーされるよりはいいでしょ。技術面や人手の関係からやれることとやれないこともあるしね。仕方ないわ。脚本はおいおい、みんなでやっていきましょう。むしろ、関われなかったことを後悔させてやればいいのよ」


 部長の強気な一言が、強張っていた栄と景秋の表情を和らげる。


「…………」


 遥は、胸が締め付けられるような思いだった。


 だけど、どうしてそこまで出来るのか。嫌いな相手に頭を下げてまで、なぜ。

 それもまた、愛というやつなのか? 最高の作品を作るために、必要だと思ったから?

 そのためなら、嫌いな相手に頭を下げることもいとわないというのか。


「もう結構いい時間ね。とりあえず残りの時間で明日からのこととか映像の内容について、軽く詰めてから今日は解散にしましょう」


 部長の言葉で、まだしこりは残るものの遥は気持ちを切り替え、出来るだけ公広の努力に報いたいと思った。



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