6 僕の私の企画会議(3)
「え、えっと……?」
何か、やらかしてしまった……?
どうやら地雷だったのは分かるのだが、いったい何がいけなかったのか遥にはさっぱり理解できなかった。
「はあ……」
周りからため息が漏れ、空気が暖められるように弛緩する。
「あ、あの……?」
「まず始めに言っておくと」
戸惑う遥に、
「その脚本やってる、『
「え……?」
「……というか、頼みたくないし、むこうも受けるとは思えないわね」
「何か、あったんです……ね」
あったのか、と訊ねる必要もないくらい、何かあった感で先輩たちの表情は曇っていた。
「そうね。確執があるのよ、摘吹とは。私たちとも……
「カクシツ……あ、お肌に出来るあれですね、分かります」
「…………」
それは角質でしょ、という突っ込みすらない。助けを求め、こういう時に何か言ってくれそうな
実結は機嫌悪そうに顔を背けていて、
栄など言いづらそうに顔を歪めていて、それは普段明るい彼が時折見せる、何かに遠慮した感じだ。いったい何に、誰に遠慮しているのか。
踏み抜いてしまった氷の下に広がっていたのは、どうやら底なし沼だったらしい。遥も薄々感じていたが未だ正体の掴めない、映研の抱える『何か』。恐らくこれはその一端に違いない。
摘吹涼。どういう人物なのかは分からない。ただ、遥にとってはある意味、恩人とも呼べる相手だ。その存在があったからこそ、今こうして自分はここにいるといっても過言ではない。
摘吹涼の脚本で演じられたあの劇がなければ、遥は公広と出逢うことはなかっただろう。たとえ巡り巡って映研で出会っても、それは『再会』ではなく、遥は今ほど公広を意識することもなかったかもしれない。あの日があったから、それは特別な『出逢い』になったのだ。
だから摘吹と映研との間に確執があると聞くと、複雑な心境になる。詳しく事情を知りたい反面、これ以上、踏み込まない方が自分のためではないかという躊躇もあった。
遥が顔を俯けると、意外な人物が口を開いた。
景秋だ。
「昔、あいつとはひと悶着あったんだ」
それをきっかけにして、聞く覚悟もままならないまま、時間が動き出す。
実結がため息をもらした。
「あんたも聞いてるだろうけど、昨年、コンクールで私たちの作品は賞を逃した。コンクールと言ってもいろいろあるけど、上位入賞が常連になってる大きなとこ。一昨年はあんたの兄貴がトップをとったっていうのに、いくら三年生がメインじゃなかったとはいえ、私たちは入選すら出来なかった」
語る実結の口元には、あの自嘲するような笑みが浮かんでいる。
「そのコンクールに出した映像の脚本をあいつに頼んだわけよ。けど、入選すら出来なくて、早い話が摘吹と揉めたわけ。脚本じゃなく映像の方に問題があったんだってね」
「ま、まあ映像を審査するコンクールですもんね……」
実結に睨まれる。ここは映研をフォローするべきだったとすぐに後悔した。
「映像だけじゃなくそのストーリー性も採点に含まれるわよ。でもあいつ、プライドだけは高いから。自分の失敗が認められなかったんでしょうね」
摘吹のことはさておくにしても、今の実結の言い分を聞くに、揉めるのも仕方ないなと思った。実結は短気だし口も悪い。たとえ摘吹に非があったとしても、揉めた原因はこちらにもあるだろう。
なんにせよ、映研の抱える『何か』はまだまだ根深そうだ。上位入賞が常連となっているコンクールで入選すら逃したということにも理由がありそうだし、そもそも摘吹と揉めたというだけで実結がこんなにも自嘲するとは思えない。
栄と景秋も黙り込んでしまっている。仮に非がこちらにあっても、栄あたりは実結に同調しそうなのだが。
まあこの話をこれ以上続けても空気が悪くなるだけだ。話題を変えてもまた暗くなるかもしれないが、遥としてはそちらも聞いておきたい。自分が感動した出来事の舞台裏を知る躊躇いのようなものは依然あるが、知らないままだと余計いろいろ想像して悶々としそうな気もする。
なので、思い切って訊ねてみた。
「あの、それで……キミ先輩との確執というのは……?」
何やら映研とはまた別の問題であるような言い回しだったから、気になっていたのだ。
昨年の劇では脚本と主演という立場の二人。接点がない訳がないとは思うが……。
「あぁ、それか」
景秋が答えてくれる。表情が若干柔らかくなり、実結の口元にも苦笑が浮かんだ。
「公広と摘吹はいわゆる『幼馴染み』というやつなんだが……」
「お、幼馴染み……? え、最強のポジションじゃないですか! なんでそんな人がいること黙ってたんですか!」
「最初から知ってるより、小出しにした方が面白いだろう」
「どういう理由ですか!? 知ってるのと知ってないとじゃ計画への心持ちも違います!」
その計画も、今日は昨日からの徹夜ですっかり頭になかったが。
「他人が勝手に話していいものかとは思うけど、まあそれこそ知ってた方があんたの心持ちとやらにも違いがあるでしょうし。そもそも、本人も私たちに普通に話してたし」
そう前置きしてから実結が話してくれたのは、またにわかには信じられない話で。
「織田は昔、『ハムレット』って呼ばれてたらしいわ。主に摘吹からね。それが周りに浸透して、小学生の時はいじめられていた」
「……はむれっと? シェイクスピアの……ですか?」
きょとんと首を傾げる遥を見て、みんなして苦笑い。
「わたし的にカッコいいイメージしかないんですけど。それはまあ優柔不断で、殺すの殺さないのってやきもきもしますけど、物語的にはオフィーリアってヒロインにも恵まれてて……まあ死んじゃいますが。でもライバル的キャラとも熱い展開あるし。やっぱり死んじゃいますが」
「意外ね、あんたこの部に入るまで本なんて読まない人間かと思ってたわ。本といえば真っ先にファッション誌が思い浮かぶような」
「失敬な。わたしこれでも読書家なんですよ。確かに最近になっていっぱい読んでますけど」
それもこれも、あの劇があってこそだ。『
何から手をつければいいか分からなかったため、まずはそこから始め……古典的名作と呼ばれるものにはだいたい手を付けた。意味を理解したかは別にしても、読書家だという自負がある。
「ふうん? まあハムレットについて多少でも知ってるなら納得できるかもしれないわね」
「まさか、キミ先輩が給食当番やってて、それを食べたクラスメイトが食中毒で倒れた……なんて事件でも?」
「あんたの発想は時々おかしな飛躍をするわね。違うわ、『ハムレット』って物語自体はあんまり関係ない」
「じゃあ……ハムレットみたいにヒロインを死なせちゃった、とかですか?」
さすがにそれはないかと思いつつ口にすると、案の定取り合ってもらえなかった。
「一説によれば。『ハムレット』の時代設定を鑑みると、その当時の、あんたの言うところの『カッコいい』は今とはだいぶ違っていて、恰幅の良い人……つまり裕福で美味しいものを好きなだけ食べられる人間のことを指していたとする説があるらしいわ。一概に、カッコいい=イケメンとは言えないってわけね」
訳書によって表現は様々だし、結局のところ、登場人物の容姿なんて読者の想像次第だが……。
「まあ、そんな意図があったかはさておき。『ハムレット』っていうあだ名は要するに、ハム――豚って言いたかったわけね。単純に織田の名前の『公』って字からとったのかもしれないわ。そっちの方が小学生らしいし」
「……えーっと? よく呑み込めないんですが……?
それがどうして公広のあだ名になるのだろうと遥は首を傾げる。
この話の流れだと――
「あいつ、デブだったのよ」
オブラートも何もない、直截的な言葉だった。
薄々感づいてはいたもののあ然としてしまう遥を見て、実結は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「まあ、わたしも実物を見たわけじゃないけどね。あくまで本人から聞いた話を伝えるなら――」
いわく、織田公広はその昔、とても太っていたという。そして今のようにアニメや漫画が好きなオタクでもあった。
「当然、今のようにモテたりすることもなく、むしろ気持ち悪がられていた」
「まさかぁ~」
まったく信じられない遥だったが、話は笑っていられない展開に発展する。
「ある日、摘吹が織田に言ったらしいわ。――『アニメなんて好きなオタク野郎だから、そんな風に醜くなる。心が醜いからそれが表に出る』ってね」
それはきっと、公広自身を、そして彼が愛する二次元という分野すらも否定する言葉で。
確執が生まれるのも当然のように思えた。公広なら、自分自身のことよりも、好きなものを侮辱される方が堪えるだろうから。
「――だがな」
と、そこで終わると思われた話を、景秋がいつにも増して強い口調で引き継ぐ。
「あいつはその日から努力を始めた。摘吹を見返すため、そして何より、自分の信じる、愛するもののために。その結果、公広は今のようになった。元々顔立ちは良かったんだろう。それがたゆまぬ努力によってブラッシュアップされ、真価を見せたに過ぎない」
これが痩せただけなら、よくあるダイエット話だ。しかし、公広の努力はそれだけでは終わらなかったという。
「今のように、というのは見かけだけじゃない。勉強や運動に関してもそうだ。お前も知っているだろう、公広は今や成績も学年上位、運動能力も人並以上を誇る。今の織田公広は天性の、恵まれたものなんかじゃない。あいつ自身の努力が……二次元を愛するがゆえに掴んだ結果だ」
景秋の言葉に、今度は栄が頷き、続けた。
「それが『健全なるオタク』ってやつなんだよ。織田は否定されても、二次元に逃避しなかった。あいつのそれは逃避じゃない、愛だ。アニメが好きってことが、現実の自分が太ってて気持ち悪がられているってことからの逃避なんかじゃなく、どちらか選べる上で敢えて二次元を選んだ。それが織田の愛の証明だ」
景秋にも栄にも、今や苦笑は浮かんでいない。真面目に、織田公広という健全なるオタクについて語っている。尊敬とは少し違うかもしれないが、彼らにとっても公広はある種、特別な存在なのだろう。
「まあそれが健全かどうかはともかくとしてもね」
やっぱり実結はそう言ってオチをつけるのだが。
「好きなもののために自分を変える努力をするっていうのは、何もあいつに限った話じゃないでしょ。ラブコメの定番じゃない。……ていうか、愛なんて、よくもまあ恥ずかしげもなく口に出来るわね、あんたら」
「ちょっ、それ言わんといてよ部長っ」
「でもまあこの場合、あいつの想いを表す言葉にこれほど適したものもないかもね」
愛。その証明。好きなもののため、一途に想いを貫くこと。
どうして公広はそこまで愛せるのだろう。自分を変えてまで、一途に、一つの何かを。
そこまで愛することの出来る何かを、遥はまだ知らない。
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