3『私の学校』




 その日の夜――

 お風呂上がりのはるはバスタオルで頭を拭きながら自室に戻り、机に向かって自分のノートパソコンを立ち上げた。

 早速企画書作りに取り掛かりたいところだが、その前に確認したいものがあったのだ。

 おとめから教えてもらった、学校のホームページである。


「……前にも覗いたことあるけど」


 検索し、出てきた校名をクリック。見覚えのあるページが開かれる。


「でも、何度見てもすごいなぁ……」


 学園のホームページはなかなか凝っていて、これだけで数時間は過ごせるだろう内容の充実ぶりだ。


 ページを開くとまず校舎の前景がアップで表示され、校歌が流れる。

 サイトのメインは学校案内で、受験を考える学生やその保護者の知りたい情報がまとめられたリストがあり、各項目はマウスカーソルを乗せるとその先のページに関する簡単なまとめがポップアップで表示される。パソコン慣れした学生にはなじみやすく、そういうのが苦手な世代でも分かりやすい仕様だ。


 ちなみに校舎の前景をクリックすると、まるで実際に中を廻っているような気分になれる校舎内の説明ページへと移動する。実物の写真の使い方に工夫があり、控えめだが的を捉えたテキストがまたいい味を出している。


「……と、いけない」


 遥の本来の目的は別にあるのだ。部活案内に飛び、映研を紹介するページへ。そこには去年の映研部員の集合写真やこれまでの活動報告として、参加したコンクールの受賞歴が載っていた。写真には公広きみひろたち見知った顔も写っていたが、今はそれよりも受賞歴をチェック。


 見ると確かに伝え聞いた通り、映研はこれまでに様々なコンクールで賞をもらっており、毎年開催される全国規模の大会でも常連だ。伝統と実績のある映研、という話は本当らしい。


 ページ下部には『私の学校』というテーマで作られた映像がアップされている。それを再生しようとマウスカーソルを移動させ、ふと気付く。


「そういえば……説明会のあれ以外じゃ初めてかも……」


 思えば、映研の作った映像を見るのは初めてだ。制作は一昨年なので、公広たちはまだ入学していない。部長は制作に関わっているのだろうか?

 まあ何はともあれ、再生してみよう。

 大画面で見ようと動画をフルスクリーンに。ドキドキしながら再生をクリック。数秒の読み込み時間を経て――



 始まる。



 映像は誰もいない廊下にたたずむ、『私』の視点で展開される。

 実写の人物や風景、アニメーションを交えながら、『学校』の『賑やかな雰囲気』を魅せていた。


 映研の課題であるPR動画とは趣旨が異なり、この映像はあくまで『私の学校』というテーマ――『私』の目から見た『学校』を紹介している。『私』の目を通し、映像を見ている自分もまたその世界にいるように錯覚する、思わず見入ってしまう内容だ。


 アニメーションも色彩鮮やかで、いわゆる美少女アニメのようなものではなく、動く絵本といった印象の柔らかく繊細なタッチ。空気感も丁寧に表現され、見知った校舎の景色もどこか幻想的に、見知らぬ教室も現実感があって馴染みやすく――



 ――呑み込まれそうだ。



 その世界にいるような感覚や、感情移入を超えた先。

 まるで誰かの記憶を追体験するかのような――



 ――学校。



 こういうものを作りたい。

 強くそう思った。



「――、……あ」


 我に返る。

 気付けば、映像は終わっていた。

 暗くなったウインドウ。そこに自分の顔が映っていた。湯上りで上気した頬、湿った髪。額に軽く汗をかいている。

 ……まじまじと見つめてしまった。

 急に映像の世界が終わって見慣れた顔が現れたものだから、驚きで何も考えられなくなったのだ。それくらい見入ってしまっていた。


「……ふう」


 椅子に深く腰掛け、ため息。

 再生の終わった画面に『もう一度再生』という表示があった。もう一回見てみたいところだが、今はまだそういう気分じゃない。あと少しだけ、あの余韻に浸っていたい。


(……すごいな)


 なんだかとても胸が昂ぶっている。覚えのある、懐かしい感覚。

 興奮している。これは……高揚感。


(あぁ……ダメだ)


 この感覚には覚えがある。そして、この感覚の先にあるものも想像がつく。

 だから少しだけ躊躇う。それは一つの破滅だと思うから。


「……でも」


 頬が熱いのは湯上りのせいばかりじゃない。両手に鳥肌が立ち、軽い寒気のような感覚と共に身体の芯からくるような震えも、きっと。


 ――それを貫けるなら、壊れてしまってもいい。


「っ」


 両手で顔をにゅうっと挟み、それから、ばしっ、と叩く。


 目的を見失ってはいけない。映研のため、やるべきことをしないと。

 ……今は、自分のことはいい。


 もう一度再生し、今度は目的をしっかり意識した上で鑑賞する。

 二度目でも変わらない没入感。人を惹きつける影響力。単純に映像のクオリティも高いし、作品の持つ独特の世界観には魅力がある。


「やっぱり……すごいな」


 ありふれた言葉しか出てこない自分が恥ずかしい……そう思うこともないくらいに魅せられる。すごいものはすごいのだ。真っ先に思い浮かんだ感想こそ一番素直な本音だろう。


(……わたしも、こういうのを作りたい)


 ふわふわとした気持ち、だけど確固たる願望だった。

 消化しきれないくらいの高揚感に包まれていると、ふと、手芸部で交わしたおとめとの会話を思い出した。


『あの……今更なんですけど、映研ってそんなにすごいんですか? 賞もらうってことはそうなんでしょうけど……』


 知らなかったとはいえ、自分の発言が恥ずかしい。


『うーん、映研が賞をとったコンテストについて調べてみたら、何か分かるんじゃないかなぁ。それこそ学校のホームページにも少しは載ってると思うけど~』


 受賞歴に載っていたコンクール名を検索すると、それはすぐに見つかった。

 毎年開催されているので今期の募集もあったが、そちらは少し目を通すだけで、過去の受賞作のページを見ようと――


「……ん?」


 ふと、目が留まる。


 ――永守ながもり


 今期の募集の中に審査員の名前が載っていた。遥はよく知らないがその業界では有名らしい映像評論家や映画監督の名前に並んで『永守』という名前を見つけたのだ。

 簡単なプロフィールがあったので確認すると、どうやら有名なアニメ映画の監督らしい。代表作のタイトルは遥でも覚えがあるようなものばかりだ。


 永守……部長の親戚か何かだろうか? 前回から審査員をやっているらしい。


 まあ今度誰かに聞いてみるとして。


 遥は一昨年の、先ほど見た動画が賞を獲った回のページを閲覧する。上から文字を追っていると……再び見知った名前に目が留まる。


桜木おうぎ永久ながひさ


「そういえば……」


 そんなこともあったな、と。

 兄の部活が何かに受賞したという話を聞いた覚えはあった。

 ……が、それは遥にとってなんだか違う世界の話で、正直あまり実感なく聞き流していたと思う。一昨年といえば遥もいろいろあって、あまり他のことに意識を割く余裕もなかった。


 二年生で監督を務めた兄の、その受賞時のコメントに一から目を通す。兄らしい言葉、だけど自分の知らない一面。


「…………」


 ひとり感慨深い気持ちになる。


 今のを……兄が作ったのか。


「そっか……」


 知らなかった。驚きだ。そして不思議な心地になる。


「そうだ、わたしにはお兄ちゃんがいる……」


 身近に心強い味方がいる。こんなにも兄を頼もしく思ったことはなかった。

 企画書について、兄に意見を求めてみよう。ついでに兄の部屋からそういう関係の専門書でも拝借しようか。


 遥の兄、桜木永久は現在家を出て一人暮らしをしている。映像関係で有名らしい大学に通っていて、実家には今のところ一度も帰ってない。夏休みには帰るかもしれないとのことだったが、たぶんそういう時間は映像制作に充てるだろうからあまり当てにしない方がいい。


「えっと……まずはお兄ちゃんに電話して……。起きてるかな」


 スマホを手に、兄の番号を呼び出す。数コールで繋がった。


「もしもし? お兄ちゃん? 今……いい?」


『構わないよ。何? 映研のこと?』


「ん? うん、そうだけど……?」


 映研に入ったなんて話、しただろうか。

 まあ、遥が部に入ると決める前から部長に連絡をとっていた兄のことだ。妹の考えることなどお見通しなのだろう。あるいは、実結みゆから報告があったのか。


「えーっと、企画書……ていうか、うーん……」


 何から話せばいいものかと思案する。兄は何も言わず、遥が話をまとめるのを待っていてくれた。


「映研で学校のPV作ることになったんだけど、その前にPVの企画書を用意することになって――」


『うん。分かった。じゃあ、まずはどんな映像を作りたいか、そのネタ出しから始めよう。それとも何かアイディアがある?』


「一応、これだっていうのは――」


 つい十数分前はいくら頭を捻っても浮かばなかったが、今は『こうしたい』と思い描くビジョンがある。それを兄に伝えると、それを形にするためのアイディアをくれた。遥の疑問にも面倒臭がらずに答えてくれる。少しずつ、やるべきことが明確になる。


 実結には息抜き程度になればいいと言われたけれど、かなうならこの企画を通したい。そういう想いが芽生えるほどに、遥の中でそのアイディアは輝きを放っていたのだ。


 そうして兄の助けを得てこれからすることを決めていくと、なんだか楽しくなってくる。微かに胸をよぎった不安も今は忘れ、遥はその高揚感に身を任せた。



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