2 スルメ女子計画




 ――景秋かげあきいわく、


「ラブコメ作品のヒロインには『耐久度』が存在する。僕が提案するのは、この耐久度をいかに保つかというものだ」


「耐久度……ですか? HP?」

「そう、HPだ」


 景秋は頷き、


「まず始めに、少年漫画……主にバトル漫画にはどうしてもインフレが起こりうる。回を追い話が進むにつれ主人公は強くなる。その壁として立ちはだかる敵キャラはどうしても主人公より強くなければならない。そうなると必然的に連載初期の敵キャラは最新話の敵キャラよりも実力で劣ってしまう。これがバトル漫画におけるインフレだ」


 淡々と、しかしどこか熱をはらんだ口調で景秋は語る。


「このインフレは何もバトル漫画に限ったものではなく、実はラブコメにも起こりうる。あらゆる漫画作品に共通する問題なのだ」


 バトル漫画への造詣はそれほど深くなく、正直、はるにはいまいちよく分からなかったのだが、ラブコメは最近それなりに読んでいる。今度は本気で意味が分からず首を傾げた。


「この場合における『成長する主人公』とは、主人公とヒロインの関係の進展だ。関係が進展するということは、主人公がだいぶヒロインの魅力にふれてきたということだ。その秘密を知ったり、水着や浴衣など、イベントに合わせたヒロインの格好を見てきたということだ」


 たまに語り始めると景秋の話は長くなりがちなので、遥は早く核心が知りたいと思うのだが、実結みゆさかえは落ち着いた様子で話を聞いていた。さすがというか、最初から長くなるのを承知で構えている。しかしいつ外回りに出ている公広きみひろゆうが戻ってくるかも分からないため、遥は気が急いて仕方ない。


「そもそもラブコメとは、主人公とヒロインが様々なイベントを通して互いを知り、関係を深めながら進展する。ヒロインの抱える問題を主人公が解決するなどの中で、学園ものであれば学校行事などのイベントを挟んでいく訳だ。トラブルなどをきっかけとして新たに露わになるヒロインの魅力に、読者は惹かれていく」

「あ、分かりました。つまり、イベントを起こせば二人の仲が深まるという――、」


 それだけでは足りない、と。遥の言葉を途中で遮り、景秋は続ける。


「僕が提案するのは、公広の気を引く方法だ。そのためにはイベントを通してヒロインの、つまり君の魅力をアピールする必要がある」

「なるほど! たとえばみんなでプールに行くことになればスク水を、海に行くことになればビキニをって感じで、その時々にわたしがコスプレすればいいんですね!」


 こほん、と景秋が咳払いを挟む。遥は結論を急ぎたくなる心を抑えつけ、黙って話を聞くことにした。そうした方がスムーズに進む気がする。


「しかし、だ。これが長期の連載作品となると、いずれヒロインは一人では持たなくなる。それもそうだろう。たとえば作中での学園生活が二年目に突入すれば、昨年も経験した学園祭や体育祭といったイベントを繰り返すことになる。さすがに似たような展開にはならないとは思うが、どうしたって飽きが来るものだ。様々なイベントを経るうちに、ヒロインの魅力を出し尽くしてしまうのだな。そんな時、いやそうなる前に、新たなヒロインを登場させてメインヒロインの耐久度を守る……いわゆるマンネリ化を防ぐわけだ」

「つまり……耐久度っていうのは、読者に対する、ヒロインの持つ魅力そのものってことですか?」

「そういうことになる。ヒロインは回を経て物語が進むごとに耐久度をすり減らす。イベントを経ればさらに摩耗する。失われていくことは止められない。新ヒロインの登場は、メインヒロインへのダメージを抑えるのには必要不可欠なことだ。新たな人物が加わることで、その人物との掛け合いや関係の変化によりメインヒロインはむしろ新たな耐久度を獲得し、これまでとはまた違う魅力を発揮する」


 言っていることがなんとなく分かってきた。

 確かに同じヒロインとの話が延々続けば飽きもくる。いくらイベントを起こしても『こういうとき彼女はこう反応をする』等、なんとなく分かり、新鮮さを感じられない。これが飽き。飽きとはつまり耐久度の失われた状態だ。

 そうして飽きられないために主人公と読者の目を新たな登場人物に向ける必要がある。それが新ヒロイン。その存在によって、たとえば三角関係や修羅場に発展し、メインヒロインを見る目も変わるだろう。


「それをうまく表現した作品に『おれのハーレムが大所帯過ぎて困る』という漫画があるのだが、この作品は早い頻度で新ヒロインが登場していくことによって――」

「はいストップ」


 実結がぱんぱんと手を叩く。


「脱線してる時間はないわよ。織田おだが帰ってきて計画の内容を知られちゃったら意味がないじゃない。というか、あの作品みたいに大量のヒロインを動員するなんて現実的じゃないわよ。まあ相手が織田なら可能かもしれないけど」


 さすがは部長だ。実結の一言によって景秋は再び咳払いを挟み、


「では改めて。公広の気を引くためには、ヒロインの……君の魅力を公広にアピールしていかなければならない」

「あれ、戻るのそこからですか……」

「しかしだ。ラブコメと違って現実にはそうそうアピールタイムとなるイベントやトラブルは起こりえない。思いつくもので直近は夏休みだが、これはむしろ会えない期間が長すぎて現状は逆効果だ。夏祭りもあるが、僕の計画はそうしたイベントを待つのではなく、自らアピールしていくことを推奨する」


 景秋はここからが本題だ、と言うように眼鏡をくいっと指で押し上げ、


「現状、君は何も策を講じないまま日々を過ごした。はっきり言って、君のデフォルトは公広に飽きられている。飽きるというよりは日常化し、慣れ親しまれている。ある意味、飽きられる以前の問題だな。こうなると君はヒロインどころか、ただのモブキャラだ」

「も、もぶ……。えっと、つまり恋愛対象ではないということでしょうか……? でもキミ先輩の場合、そもそも三次元が恋愛対象じゃないですよね」


 例の健全なるオタクという話が事実なら、そうなるはずだ。


「そうとはいえ、公広も三次元の異性には魅力を感じている。その上で二次元を選んでいるというのが奴の信念なのだからな。まったく魅力を感じない、選択する価値のないものを切り捨てることはなんの証明にもならない。そういう意味において、君はそもそも魅力を感じられるヒロインではなく、ほとんど背景と変わらないモブだ」


 そこまで言われると、なんだか不安になってくる。


「で、では、どうすれば……?」

「まず君に必要なのは、モブからヒロインへと昇格すること。公広に意識させることから始めるべきだ。そのために必要なのは当然――変化だ」

「……変化」


 それは遥も求めていたものだ。そのために部活に入ろうと決めたのだから。


「大きく変化する必要はない。まずは小さく見た目の変化からだ。小物を身に着けてみたり、髪型を変えてみたりするだけで普段と違う印象を作りだすことが出来る」

「それだけ……ですか?」


 少々呆気なく思っていると、景秋は不敵な笑みを浮かべて続ける。


「これは餌だ。小さな変化から始め、公広の目を君に引き寄せる。なるべく毎日変化をつけるんだ。そうすれば明滅するように変わる君を嫌でも意識するようになるだろう」


 そうするうちに公広が興味を示す『属性』も見えてくるはずだ、と。


「でもそれだと、耐久度をすぐに失いそうなんですけど……。いずれ変化のバリエーションもつきるかと」

「そうなる前に、第二段階に移行する。新ヒロインの登場という訳だ。だが、それはまだ先の話、君がヒロインに昇格しなければ始まらない話だ。まずはヒロイン昇格のための第一段階。そしてこれは同時に、たくさんの変化を見せつけることで君自身の耐久度の高さをアピールすることにも繋がる」


 そこで景秋はにやりと唇を歪めた。


「そう、たとえるならスルメだ。噛んでも噛んでも味がなくならないヒロインであることを見せつけるんだ。――名付けて、スルメ女子計画」


「……なんか臭そうですね」

「それはスメルだろう」

「もっとこう、ガムとか、聞こえのいいたとえってなかったんですか……」

「そんなことより」


 再び脱線しようとする流れを部長の一声が遮る。


「で? 具体的にどんな『小さな変化』を見せるわけ?」




               × × ×




 ――扉をノックすると、間延びした女性の声が応えた。


「失礼しまーす……」


 明日企画書を用意するということで話がまとまり、公広の『彼女』についての話し合いを終え解散した後、遥は家庭科室を訪れた。中からはガタゴトとミシンの音が聞こえてくる。


 放課後の家庭科室は『手芸部』の活動場所だ。最近の遥は部活前と帰り際に家庭科室を訪れることが日課になっていた。


「いらっしゃ~い」


 迎えてくれたのは手芸部の部長、三年生の鷹篠たかしのおとめ。


 遥は彼女と対面すると、いつもその顔を見上げることになる。

 百五十あるかないかの遥に対し、おとめの身長は二メートル近くもあるからだ。小柄な遥の目には大人っぽくモデルのように映るのだが、本人いわく「背ばかり高くて胸はないし、可愛い服も似合わない」。確かに『かわいい』よりは『きれい』という表現が相応しい外見をしている。


「今日の成果はどうだった?」


 おとめはこちらに顔を向け、柔らかな笑顔を浮かべた。かぎ針と呼ばれる道具を使いぬいぐるみのようなものを縫っていた手を止め、ふわふわとしたカールの茶髪を指に絡める。


「あ、はい……。まあその、恐ろしい目に遭ったといいますか……耐久度以前にわたしの精神力が削られたといいますか。えっと、とりあえずお返しします」


 遥が取り出したのは先刻の悲劇を招いた装備アイテム・ネコミミだ。


 景秋の提案した『スルメ女子計画』における『小さな変化』とはつまり、こうしたアイテムを用いた見た目の変化によって遥の持つ魅力を公広に売り出していくというもの。遥のデフォルトの耐久度はほとんど失われたに等しいため、ネコミミなどの装備アイテムによるコスプレで新たな魅力を見せようという訳である。


 そこでそのアイテムを見繕ってくれるのがこの手芸部、そしてその部長、鷹篠おとめだ。

 遥は毎回部活前にアイテムを授かり、部活終わりにそれを返却している。


 ちなみに、おとめは無償で協力している訳ではなく、見返りとして遥は彼女の『着せ替え人形』になっている。背の高い自分には似合わないからと、小柄な遥にいろいろ着せて楽しんでいるのだ。それがそのまま計画にも使われているため、お互いの利害関係は一致している。


「恐ろしい目ってなんだよ。爆笑でもされたのか?」


 と、家庭科室にはおとめの他に、嫌味っぽく声をかけてくる人物がいた。


 日に焼けて茶色っぽくなった黒髪で、寝癖のような天然パーマ。文学少年と体育会系の真ん中というかどっちつかずな容姿をしている細身の少年だ。こちらはガタゴトとミシンで何かを縫っており、細めた両目は手元を睨みつけている。


「……むしろ爆笑された方がまだ救われたよ、もう……」


 お陰で嫌なことを思い出してしまった。ついでに今日の出来事も振り返り、ため息が漏れる。


「そんな恥ずかしい想いまでしてキャラ変えて、疲れないか? いずれネタも尽きるし、たまには原点回帰してデフォルトでいけばいいんじゃねえの?」


 口は悪いがなんだかんだでこちらを案じてくれる彼は同じ一年生の真崎まさき想示そうじ、遥の幼馴染み的な存在である。


「というか、ため息までついてやることか? 嫌ならやめればいいだろ――あっ」


 よそ見をした拍子に手でも滑ったのか、想示がミシンを止め、家庭科室に静寂が訪れた。


「別に、嫌って訳じゃないよ。これは自分の意思でやってることだし……」


 悠に笑われて肝心の公広相手にネコミミ姿を披露できなかったこともあるし、その後の彼女の言葉もあるが、ため息をついたのはまた別の理由からだ。


 今はおとめと想示のふたりしかいないようなので、遥は今日の映研で起こった出来事――廃部を通知されたこと、そして企画書作りについて話した。


「企画書なんか書いたことないから、どうすればいいのか分からなくて」

「そんなことでいちいち暗い顔すんなよ。どういうPVを作りたいかっていうイメージを文章にまとめればいいだけだろ」

「似たようなこと部長にも言われたけど……」


 そもそも自分がどんなPVを作りたいかという考えがないわけで。


「……お前、それでよく映研なんか入ろうと思ったな」

「うるさいな……。そーじこそ、不器用なくせに」

「不器用でも志があれば問題ないんだよ。それが、お前はどうだよ。特にこれといったビジョンもないだろ」

「志あっても、ミシンを壊しちゃう不器用さはやっぱりいらないかなぁ~」

「うぐ……」


 と言葉に詰まる想示を見て遥がいい気分に浸っていると、おとめは受け取ったネコミミを自身の頭につけながら、


「遥ちゃん。それなら映研が昔作った映像が学校のホームページにアップされてるはずだから、参考にしてみたらいいんじゃないかなぁ」

「え? そうなんですか?」

「うちの学校のサイト、賞をもらった部とか、大々的にアピールしてるから。何かしらあるんじゃない?」


 満月や実結も言っていたが、映研は昔から結構いろんな賞をとったりと、世間的な評価も大きいらしい。言われても首を傾げてしまう遥である。いまいち実感を持てないのは、現在の部が廃部を言い渡されるような状況だからだろうか。


「この前、あんな気持ち悪い着ぐるみ作らされたから、映研だいじょうぶかなぁとは思ったけど……」


 作った本人をして気持ち悪いと言わしめる着ぐるみのことはさておき、


「映研の久々の作品が見れるんなら、私もまた協力するから、なんでも言ってね~」


 相変わらずの柔らかな笑み。遥は曖昧な苦笑で応える。


 それから少し世間話をして、遥は家庭科室を出る前に、近所に住む幼馴染みに声をかける。


「そーじ、一緒に帰る?」

「はあ? なんでこの歳にもなってお前と一緒に帰らないといけないんだよ」

「あ、そう」


 別に一緒に帰りたかったわけでもない。どうせ帰り道が一緒なら、一人で下校するよりも話し相手がいた方がいいと思っただけだ。しかし相手にその気がないのなら、無理に誘うつもりもない。おとめに挨拶をして部屋を出ようとしたところ、


「あ……遥っ」

「ん?」


 呼び止められ何気なく振り返ると、想示は何か言いたげにもぐもぐと口を動かしていたが、やがて呼び止めようと上げた手を下ろし、


「……なんでもない」


 この幼馴染みがこんな煮え切らない態度をするのも珍しい。何か困りごとでもあったのだろうか、と。


「……何か困ったことがあったら、いつでも言えよ」

「うん……?」


 そっちこそ何かあったんじゃないかと思っていた矢先の質問で、遥は条件反射的に頷いた。



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