7 告白、そして




 ――それが、いったいどうしてああなったのか。


 ある日の昼休み、実結みゆの計らいで公広きみひろと部室で二人きりになったはるは、


(うわぁ……どうしよう、すごい緊張する)


 緊張のあまり、意味もなくきょろきょろと周りに視線を向けてしまう。普段は隣の席に座っているのだが、今日は敢えてテーブルを挟んで対面の席に座ったこともあって、いつも以上に挙動不審だ。真っ直ぐに公広の顔を見ることが出来ない。


(部長……今日は直接部室に来たのかな?)


 どうでもいいことが気になってしまう。テーブルに実結の鞄が置かれている。


(関係ないことばかり考えて現実逃避するのは……やめよう。当たって砕けるんだ)


 そのために、今日この場を用意してもらったのだ。

 深呼吸を一つ、遥は公広に向き直る。


「あの、先輩。実はその……今日はお話がありまして」

「うん? うん、何? 改まって」


 軽く目を閉じ、もう一度深呼吸。


 それから――それからは、自分でも驚くほど、意外にもすんなりと言葉が口を衝いた。


「唐突、なんですけど」


 よどみもない。我ながら冷静だ。


「知り合って、ほとんど間もないんですけど、わたし――」


 きっと、大事な気持ちを打ち明ける『告白』とは異なるものだから、なのだろう。

 これは想いを伝えるための行為じゃない。

 これは――



「先輩のこと、好きなんです」



 ――これは、自分の気持ちを確かめるための、告白。



「…………」


 公広はきょとんとした表情でこちらの顔をじっと見つめていた。


 今頃になって、頬が熱くなる。なんだか風邪でもひいているみたいに頭がぼんやりふわふわとなり、遅れてことの重大さに気付いて慌てふためく。


(ど、どどどうしよう……! やってしまった! 好きって、すきって言って、)


 そんな遥を見て、



「……ドッキリ、じゃないよな?」



 公広の表情は驚きよりも不信感を色濃く表していた。


「え? え、ええっと……じゃない、です。はい」


 意外な反応だった。公広ならもっとこういうことに慣れていて、すぐに返事をしてくれるものだとばっかり。予想外の返しを受け、遥の中の緊張も引いていく。


「いや、悪いな。ことの経緯があれだったし。えっと、本気の告白だった?」

「あ、はい……そのつもり、だったんですけど」


 公広は席を立つ。照れ隠しなのかなんなのか、先ほどの遥のようにきょろきょろと室内に視線を巡らせながら、


「遥の告白があまりに普通というか……冷静だったから。つい疑った。ほら、元はといえば部長に呼び出されて、場所も場所だし。どこかにカメラでもあるんじゃないかと」


 本気でそう思っているのか公広は壁際の棚に並んだビデオカメラを手にとり、電源が入っていないか調べている。遥は少し茫然としながらその姿を見つめるしかなかった。


「……本当に、俺のことが好きなのか?」


 突然訊ねられ、どう答えたものかと考える。


「は、はい……。たぶん、好きだと……思います。たぶん」


 だって、告白したあと、あんなにも恥ずかしくなって――

 これってやっぱり、好きだからそうなるものじゃないのか?

 ……それとも単純に、恥ずかしい台詞を口にしたことによる羞恥なのだろうか?


「自慢じゃないけど、俺も何度か好きだって告白されたことはある」

「は、はあ……」

「女子からも……男子からも」


 やっぱり。そういうこともあるんじゃないかと思っていたから、素直に納得した。


「でも遥のは、その子たちとは何か違った。緊張はしてるし、好きだって言うことへの照れはあったんだと思う。だけど、恥ずかしさを堪えてでも自分の気持ちを伝えたい……そんな想いの強さみたいなものを感じられなかった」


「――――、」


「……気のせいだったら悪いんだけどさ。ていうか、ほんとにドッキリじゃない?」

「少なくともわたしは加担してるつもりはないんですけど……」


 告白されるプロであるだろう公広の目には、今の自分はそういう風に映るのか。

 想いの強さ。


「あの……先輩。わたし……」


 うまく言葉に出来ない、心の内にあるもやもやとした感情を、頑張って伝えたいと思った。


「……先輩のことが好きなのかどうか、自分でもよく分からないんです。……あ、別にその、嫌いって訳じゃないんですよ? ただ、その、恋愛的なやつで」

「うん。……それで?」

「もやもやとしてて……はっきりしなくて。でも、先輩のことが気になって……」


 カメラを探す手を止め、公広は黙って聞いている。


「なんというか、その……惹かれるものがあるといいますか。引き付けられて。先輩のことをもっと知りたいとか思って、いろいろ考えるようになって……」


 その初めて感じる気持ちの答えは、意外なところにあったのだ。


「最近読んだ漫画によれば、これは恋なのではないかと……思った次第で」


 元々は公広のことを知ろうと、彼の好むアニメや漫画に触れたことがきっかけ。その中で勧められ、たまたま読んだラブコメに、今の自分と通じるようなものを見付けたのだ。


「……なるほど」


 公広は呟き、こちらに背を向けたまま考え込むように沈黙する。


「……部長にも、私が先輩のこと好きなんじゃないかって指摘されまして……それで今日はこういう場を設けてもらったんです。とりあえず、告白してみろって」

「……はは、部長なら言いそうだ」


 だけど、好きかどうかも分からないくせにやってしまった告白は、なんだか彼に対して失礼だと思った。だからその償いという訳ではないが、ちゃんと自分の中の想いを伝えたい。それが自分の義務のような気がした。


「……それで、告白してみて何か分かった?」

「あ……はい」


 たぶん、この想いは、恋とは違う……気がする。

 でも告白してみてよりいっそう、彼に対するもやもやとした想いが強くなった、気がする。

 とにかく分かるのは、よりいっそうもやもやしてしまったということ。

 ただ――


「先輩は、わたしのこと……どう思いますか?」


 これだけは確認したい。いや、知りたい。彼にどう思われているのか。それもまた遥のもやもやとした気持ちの中にある、しかし何より唯一明確な願望だ。


「…………」


 公広からの返事はない。だが彼の沈黙は、何かを深く考え込んでいる時のものだ。


「……そうだな。普段こういうことはしないし、出来れば口外してほしくないんだけど」


 公広はスマートフォンを取り出して操作しつつ、遥の向かいの席に戻ってくる。


 ――あとになって推測するに、同じ部活に所属している関係上、フったりフラれたりで気まずくなることを避けるため、そのような行為に踏み込んだのではないだろうか。


 公広は誰かに電話をかけ、一言二言話すと、こちらにそのスマートフォンを差し出した。

 そして、言った。



「俺の『彼女』を紹介する」



「はい……?」

「だから、悪いけど諦めてくれ」

「え、えーっと……?」


 頭の中で弾ける大量の疑問符。

 え? 何? 悪いけど諦めてって……何が? いやそうじゃない。カノジョ……彼女?


 恋人……?


「あ、あの……?」


 状況が理解できずに公広を見上げると、彼は黙って頷いた。いや、頷かれても困るのだが。


 とりあえず、遥は差し出されたスマートフォンを受け取り、恐る恐る耳に当てる。


「もしもし? お電話かわりました、えっと……先輩の後輩の桜木遥というものですが……?」


 相手が誰だか分からず、ついおかしなことを言ってしまってから、気付く。


(え……もしかしてこの電話の相手がその――)


 普通に考えれば分かることなのだが、今の遥はとてもじゃないが冷静でなく、電話に出てしまった今になって自分がとんでもない状況にいるのだと察した。


 ――彼女を紹介する。だから諦めろ。


 ということは、この電話の相手は遥がいま公広に告白したことを知っている。公広は先ほど事情を説明し、諦めさせるために電話に出てくれと話したのだろう。


 なんということだ。


(し、修羅場になるかもしれない……!)


 そうやって遥の混乱がピークに達した時。

 囁くような、いわゆるウィスパーボイスが遥の耳をくすぐった。

 それはとてもきれいな、でもどこか――聞き覚えのある声で。



『――ごめんね、私が彼の彼女です』



 頭が真っ白になる。



『だから、彼のことは諦めてもらえるかな?』



 棘のない、優しげな――弾むような声音。

 それでも有無を言わせない力強さ、想いの強さを感じた。


「――――」


 何も言えず愕然とする遥の前で、公広はさっきから疑わしげな目で見ていたテーブル上の、ある物体にとうとう手を伸ばした。

 それは、昼休みなのになぜか置かれている実結の鞄。

 一応ひとの鞄であるからか公広は最後まで手を出さなかったのだが、何かに気付いてその鞄を開いた。



「――うっわぁ……部長ならやりかねないとは思ってたけど……まさか本当にあったとは」



 鞄から出てきたのは、電源の入ったビデオカメラだった。




               ***




 ――何よ『彼女』って。私の面目丸つぶれじゃない。


 その日の放課後、公広と悠が外回りに出たタイミングで遥が告白の顛末を話すと、実結はそう言って不機嫌になり、テーブルの上に放置していた鞄からビデオカメラを取り出した。


「それ、キミ先輩がデータ消してましたけど?」

「ふふん、甘いわね」


 実結は邪悪な笑みを浮かべると、戸棚の本の間から別のカメラを抜き取る。


「罠は二重に張っておくものよ。どうせ鞄が気になってこっちはきちんと調べてないわ」


 うわあ、と遥だけでなくさかえ景秋かげあきもドン引きするが、実結は構わずカメラをチェックし、やがてにやりと唇を歪めた。どうやら成功したらしい。


「オレも……いや、遥ちゃんを疑うわけじゃないけど」

「にわかには信じられないからな」


 なんだかんだ言いつつ、二人もビデオが気になるらしい。


「その『彼女』ってほら、二次元の、って意味じゃねえ? それならありうるんだけど……」

「恋愛ゲームとか、な」

「でもわたし、ちゃんと声を聴いたんです。私が彼女ですって」


 主張するのだが、男子二人は顔を見合わせるのみでどうやら信じきれない模様。


「まあことの真相は、確認してみれば分かるわ」


 まあ何はともあれ――カメラの存在によって公広は最終的にドッキリと思ったのか部室でも気まずくなることなく、その録画映像を見て、実結たちも『彼女』の存在を知ることになったのだ。

 ただ、カメラの集音機能では電話先の声までは拾うことが出来ず、その正体だけは不明なままだった。


「――少なくとも、あんたが誰かと電話したってことは事実ね。でもその前に織田おだは携帯で何かしてるわ。なんらかの細工を施していた可能性も否めない」

「たとえば、そういう偽装電話アプリを使った、とかな」

「……偽装電話ってなんです?」

「電話してるフリをするもんだよ。普通のガラケーにもあるぜ? 狙ったタイミングで着信音が鳴るようにして、電話するフリしながら、いま予定が入ったとかなんとか適当なこと言って面倒な相手から逃げたりする」

「へえ……そういうのがあるんですか」


 遥にはそうした面倒な人付き合いをした経験がないため、浮かばない発想だった。


「あぁ。しかもガラケーの機能とは違って、自分である程度の音声を設定することが可能なものもある。サンプルの音源が最初から用意されていたりしてな。着信があると偽装するだけでは乗り切れないような状況に対処するためだろう」

「あんたが聞いたのもその類だったかもしれないわ。ちなみに、電話相手の名前は見た? 何かしら表示されてたんじゃない?」


 言われてみれば、見たような気もする。すぐには思い出せなかったが……。


「あ、そういえば画面に『彼女』って。番号も出てました」

「胡散臭いわね……あからさまっていうか。その番号を覚えてるんなら、こっちからかけてみるって手もあるんだけど」

「……さすがに憶えてません……」


 というか、かける勇気もない。

 しかし、通話中に表示されていたのだから、名前が『彼女』で登録されていたということになる。それは確かに不自然だ。


「登録している名前を変更するために操作していた可能性もあるな。この映像を見るに……ただ電話をかけるだけの操作にしては、何か入力が多い気がする」


 景秋がそう言うので遥も改めて盗撮映像を見せてもらい、そのシーンを注視する。


「というかあんた、声を聴いたんでしょ? 私らには確認のしようがないけど、声聴いたんなら何か分かるんじゃない? 少なくとも、知ってる相手かどうかくらいは。聞き覚えのある声だって自分で言ってたでしょ」

「そうなんですけど……」

「そうなると、遥も知っている相手だったからこそ、正体を隠す必要があったという可能性もあるな。登録名変更の可能性がぐんと上がった」


 なんだか景秋は楽しそうだ。こちらにとっては割と……、


(割と?)


 重要な問題、なのだが。

 未だ自分の気持ちもはっきりしていないくせに、公広に『彼女』がいることはとても重要なことだと感じる。気にかかる。引っかかる。我ながらなんだかおかしな話に思えた。


「いや、それこそアプリなんじゃねえ? すぐにピンとこないけど、聞き覚えあるって言ったら……最近遥ちゃんもアニメ見てるし、声優の声とか。そういうアプリあってもおかしくなさそうだしよ。ま、まあ? 織田に彼女がいても不思議じゃないんだけどなぁ……でもなんか納得いかないというか」

「納得……」


 そう、栄の言う通りだ。なんか納得いかない。

 それはこの前聞かされた公広の生き方、信念のようなものに反している気がする。


「まあ確かに、私もいるかどうかって訊かれたら、正直いるとは思えないわ。これまでそんな素振りもなかったし」

「うーん……」


 と、しばらくみんなして答えの出ない問いに悩んでいた。


 直接聞いてみる、という手もあるのだが、


「いや、どうかしらね。この映像での発言を見るに、あいつは教えてくれそうにないわよ。ていうか、あんた口外するなって口止めされてるわね」

「あははは……。べ、別にそんなに口が軽い方じゃないんですけど……思わず」

「思わず漏らしちゃうやつのことを、口が軽いって言うのよ」


 呆れられてしまった。


「まあ、この話はこれまでにするとして――で? 本題よ、あんたの中で気持ちに整理はついたわけ?」


 言われて、考えてみる。今の気持ちを表す言葉があるならそれは『納得いかない』だろう。まだすっきりとはしていない。公広に彼女がいると知って失望した訳でもなければ、悔しいと思った訳でもない。暗にフラれたということに落ち込んでいる訳でも、傷ついてもいない。

 いろいろごちゃごちゃとした感情の中で、そういった明確になったものを除いていくと……残ったのはやはり彼のことが気になるという気持ち。


 惹かれるものがある。なぜか引き付けられる。


 原点を探れば、それはあの劇。自分にいっときでも、確かに心からの笑顔をくれたことだろう。それで気になった。でもそれだけなら気になるだけで終わっていた。

 この部に来て再会し、彼の、周りの目も気にせず好きなことに没頭する姿を見て。

 彼を知り、そして――この不可解な想いも芽生えた。

 恋のようでいて、しかしそうだとうまく納得できない何か。

 その何かは公広が自称『健全なるオタク』という話を聞いてから、よりいっそう強まった。それが本当なら……と、想いはより強く。

 不思議だ。どうしてだろう。実結いわく、その話を聞いて引き、諦め去っていった者も少なくはないというのに、なぜだか嬉しかった。


 自分はいったい、彼に、織田公広に何を求めているのか?


 ……鈍すぎて、自分が一番それをよく分かっていない。


「なんにしろ、だ」


 と、珍しく景秋が自分から会話の先端を開いた。


「フラれてもなお、まだ遥が公広の気を引きたいというのなら、僕に一つ案がある」

「別に気を引きたいとは思ってませんけど……」


 そう、これが恋だというのなら、相手の気を引きたいと思ってしかるべきだ。しかし自分にはそれがない。


「面白そうね。遥、聞くだけきいてみたら? あの健全なるオタクを倒す策があるっていうなら、私も興味あるし。本当にあいつに彼女がいるのだとしたら、その人物は織田の信念に打ち勝つほどの何かがあったってことでしょう? その倒し方が分かれば、あいつの『彼女』の正体も分かるかもしれないじゃない。それに、個人的にはあの信念がどこまで持つのか知りたいところでもあるしね」


 実結の言う通り、彼の信念の強度については遥も興味がある。公広だって人間だ。彼女を作ることもあるかもしれない。でも、それではダメだ。こちらの都合だが、納得がいかない。


 違う、と思う。


 彼の信念は、『健全なるオタク』という生き方は、どこの馬の骨とも知れない女ごときに折れるものではないはずだ。そうあってほしくない。

 だから確かめたい。本当に公広に『彼女』がいるのか。彼の信念を折ることが出来るものなのかを。


 いろいろと考えた結果、遥は景秋に向き直る。


「聞かせてください、その……健全なるオタクの倒し方」

「……いや、僕はただ気を引く策があるとしか言っていないんだが――」



 ――それが、五月のこと。

 公広に『彼女』がいるかもしれないという疑惑は、未だ解決していない。



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