6 健全なるオタク
「まあ、さておき。明日、企画書を提出するとして。なんにしても人手は必要、と」
「……それなら一人でも部員は多い方がいいよな。というわけで、俺は
「……無駄な気もするけど、確かに人手は必要だしね。まあやるだけやってきなさいよ」
「了解。部長のお墨付きも得たことだし……じゃあ、俺はこれで」
そう言って、公広はひらひらと手を振ると部室を出ていった。
少し、沈黙が降りる。みんな公広の出ていった部室の扉を見つめ、その足音が遠ざかるのを待っているかのようだった。
この感じは……いつものあれだ。話題は公広のあの発言が中心になるだろう。遥としても気になるところではあるのだが――
(……悠ちゃん、なら)
あるかもしれない。そう思えてしまう。
しかしもやもやとしたものが胸の内でわだかまっていて――
「……追わないの?」
「へ?」
と、
「え、えーっと……」
公広を追うということは、悠とも遭遇するかもしれないということだ。
「わたしがいっても、怒らせちゃうかもしれませんし……それに、さっきの件……」
「そうそう! オレもそれ気になってんだけど!」
遥が暗い表情になりかけていたからか、半ば喰い気味に
「そうだな。確かに思い返せば、最近の公広は
「そうね。卒アル用の撮影で、
公広が部室を長時間留守にする間、残った遥たちはある問題に関してよく話し合っている。
映研の活動とはほど遠いそれは……言ってしまえば、遥の恋愛相談だ。
今も話の中心は公広と悠の関係、そして――
「緋河、かもしれないわね」
遥自身、薄々は思っていたことだ。あの二人は遥の目から見ても一緒にいることが多く、映研部員の中で悠が一番親しくしていたのは公広のように思う。しかしそれを改めて、他人の口から指摘されるとさすがに動揺を禁じ得ない。
しかし……。
納得しかねる遥に追い打ちをかけるように、実結が口を開く。
「でも実際、遥から聞かされるまで私たちはあんなこと、聞いたこともなかった。つまり、つい最近まで気付かなかったってことは」
「つい最近入ってきた緋河と……なんてのも、おかしくないってことっすか」
「しかし、遥と緋河は以前からの知り合いなのだろう? なら、声を聞けば分かったはず」
「そうよね、それが解せないわ」
うーむ、と揃って考え込む先輩たち。
みんな揃って、公広の居ぬ間に何を話し合っているかといえば――
(キミ先輩に、『彼女』がいるかもしれない)
つい最近、映研にそんな疑惑が持ち上がったのである。
***
――話は、遥の入部当時までさかのぼる。
新入生に向けた部活説明会をきっかけに、遥は映研に入部しようと決心した。
訪れた部室の前で顔に手を当て、笑顔の練習。
未だにぎこちない――作り笑い。
「……よし」
それでも意を決し、目の前の扉をノックした。
「あのー……こんにちはっ。入部希望なんです、が――」
――その当時はまだ勧誘の影響で遥の他にも入部希望・体験入部の新入生が多く、部室に入った瞬間、多くの『目』に迎えられ、遥は思わずひるんだ。
ただ、それもいっときだった。
部活説明会における映研の出し物とは関係なく、単純に公広目当てだった新入部員たちがまず辞めていった。肝心の彼がほとんど部室にいなかったのが理由だろう。悠と共に外回りに出ることが多かったのだ。
その後も部員の流出は止まらなかった。
出し物に感銘を受けて入部するものの、映研の実態がそれとは大きくかけ離れていることへの失望からか、また人が離れていったのである。
残った新入部員は、遥と悠の二人だけだった。
「最終的に新入部員は二人かしら。……チッ、総部員数が五人以下なら廃部にも出来たものを」
生徒会長いわく、今回の部活説明会で部員を一人も獲得できなかった場合、映研は廃部になるはずだったらしい。
「はっ、あんたの思惑通りにことが運ばなくて良かったわ。あら、そもそもあんたの思惑なんてこれまで一度も通ったことなかったわね? 計画性ってものがないから」
部長がそうやって鼻で笑うものだから、その時は軽い修羅場になった。
しかし満月が去って、公広と悠が外回りに出かけたあと、実結は遥に言ったのだ。
「でも、あんたと緋河が入らなかったらマズかったわ。まあ
そう言われると、映研を選んで良かったと思うのだ。映研に入って特にそれらしいことをしておらず、悠の存在もあって本当に入って正解だったのかと悩んでいたこともあり、実結の言葉には正直救われた。
だけど、解せない。そんなピンチな状況にあったのなら、どうしてこれまで去っていく新入生たちを追いかけなかったのだろう。
その疑問に実結は、
「織田を出せば、新入生なんてわんさか集まるわ。実際、出さなくても織田のことを聞きつけた連中がいたしね。でもそこは敢えて顔出しさせず、説明会に臨んだ。そうした方がミーハーな新入生を省くことが出来るからね。これはやる気と根気、それから映像への興味があるやつだけを選別するため、なのよ」
そのためにこうして毎日だらだらと、これといった活動もせず過ごしていたのか。本当に使える人材だけを残すために――と、遥は思ってもみなかった事情に感心したのだが。
「――というのが織田の考えね。私は別に新入生なんてどうだっていいわ。あんたが入ることは桜木先輩のお墨付きだったし」
「えー……いや、まあ、一応勧められましたけど」
わたしの感心を返してほしい。本気でそう思った。
「だけど、部室が狭く感じるくらいに部員が来た。そのほとんどが織田目当て。あいつにはそれだけの影響力というか、魅力があるんでしょう。説明会に顔出しさせなくても、どこからか聞きつけてくるくらいには」
でも、と。実結は迷惑そうに顔をしかめる。
「そういうのいられるとうざったいのよね……。なんか、きらきらしているっていうか、あれよ、リア充爆発しろって感じで」
部活ものに恋愛要素なんていらないのよ、エッセンス程度で充分、とぼやく実結の横で、
「でも部長、オレ目当ての子もいたかもしれないですぜ?」
「はあ?」
「……いや、すみません、言ってみただけです」
「だが、そうやって聞きつけてきた女子たちも、いまやみんないなくなった」
栄をスルーして、
「そのはず、なんだけどねえ。まだあいつに好意を持ってるやつがいるようなのよ」
なぜか、実結たち三人の視線が遥に集まる。
「織田はいわば高嶺の花。手に入れようとして崖をよじ登っても、いずれ自分には相応しくないんだって諦め落ちていく。大抵はそうして勝手に消えていくんだけど……処理しきれなかった異物は、直に取り除くしかないようね」
「あ、あのー……?」
実結の言いたいことは分からないでもない。確かにこんな狭い部室で、公広の気を引こうと色目を使ったりしているのを見るのは、正直遥も少しばかりうざったく感じる。
だから遥も理解できる。だがどうして三人の視線は自分に集まっているのか?
「鈍いわね」
その一言で答えに気付く。
「え……わたし……ですか? いやいやっ! わたし別に先輩狙いで入ってないですよ? お兄ちゃんに勧められて入ったのであって、どんな人がいるのか何も聞いてないですし!」
「ムキになるのが怪しいな」
「怪しくないです!」
これはあれか、いじめか。それともこれが処理というやつか。
「でもあんた、織田のこと好きでしょ? いつもあいつのこと気にしてるじゃない」
「す――」
途端、気持ちが落ち着いた。
「わたしは、その……確かに先輩のこと、気になりはするんですけど。でも、それがいわゆる恋愛感情なのかどうか、自分でもよく分からなくて。ただ、自分でも気づいたら先輩のことよく考えてるから、なんだろうなぁ、変だなぁって思ってて……」
最近勧められて読んだラブコメによれば、これは恋であるらしい。
それは恋よ、と実結も言い、他の二人も深く頷いていた。
「だけどわたし自身は別にラブコメしてたわけじゃないんです」
「それが既にラブコメなんじゃないかって思うけど。というか、元部長の妹だし、別に私たちもあんたを切り捨てようとしてる訳じゃないのよ。あんたがどういうつもりでいるのかハッキリさせたかっただけで」
「そうなんです……か? 緋河さんいるから、別にわたしなんていなくても人数足りるとか、そういう話になるのかと、てっきり……」
「鈍いくせに、妙なところで疑り深いのは兄譲りってところかしら」
「……そんなに鈍いですか、わたし」
自覚はない……いや、あるか。
「鈍いから自分の気持ちが分からないんでしょ?」
……そうかもしれない。
「分からないなら、とりあえず当たって砕けてみればいいんじゃない?」
「当たって砕けるって部長……」
栄と景秋から批難するような眼差しを向けられるも、実結は意に介す風もなく、
「フラれてショックを受けたら、その具合で自分の気持ちも理解できるでしょ」
「あの……フラれること前提ですか」
まあ公広ほどの相手なのだし、相当に敷居は高いだろう。引く手数多の選り取り見取りなのは間違いない。となれば、ルックス的にも自分が選ばれる可能性はかなり低い。
「別にあんたに女としての魅力がないとか、そういうことを言いたい訳じゃないわ。あいつの方に問題があるのよ。あいつは、リアルの女子に興味がないから」
「しかし男に興味がある訳でもないらしい」
「その注釈いるか?」
「いるでしょうよ、明らかに語弊を招くもの」
リアルの女子に興味ない。それは映研に入ってすぐに分かった。好意のこもった眼差しで見つめられているのは傍目にも明らかなのに、公広はそれらをまったく意に介さない。眼中にもないようで、だからこそ彼目当ての新入生は去っていったのだ。
遥が公広のことを気になっている一番の要因もそれだった。どうしてこの人はこうも周りの女子を気にしないのだろう。近くに鼻の下を伸ばしている栄という比較対象がいたから、余計に気になった。
「リアルの女子に、っていうことは、やっぱり、その……?」
彼は新入生たちの微妙な反応も気にせず、とある事柄への関心を強く示していた。
「そう、あいつは自称『健全なるオタク』――リアルより二次元を選んだ男なのよ。だから人間の彼女なんて作らないわけ」
公広ほどの人物だ。彼なら相手に困らない。実際、公広目当てに映研を訪れる生徒もいるくらいなのだから。それに、聞くところによれば彼は成績も優秀だし、運動神経も良く、スポーツ万能で運動部の助っ人を頼まれることもしばしばあるらしい。
そんな、ある意味においてとってもリア充な彼が、その現実よりも二次元を選んでいるという矛盾、不可解。
「確かに分からなくもないわよ、リアルなんてクソだっていう考えは。でもあいつの場合、別に現実が嫌いって訳じゃない。単純に、ただひたすら純粋に、現実よりも二次元の方が好き、そちらの方が勝るってわけ」
ネガティブな動機からの選択じゃないという意味で、『健全』。
「まあ、人間として健全かどうかは知らないけど」
それは、にわかには信じがたい話だった。
彼にとってこの現実は、逃避したいようなものではないはずだ。彼は周囲に認められ、好かれ、羨ましく思われている。
公広がアニメや漫画といった二次元のものが好きなのは、この数日一緒にいれば自ずと分かることだ。しかしその好意の度合いが、きっと充実しているだろう現実よりも勝るなんて。
すぐには信じられないが、もし、それが本当なら――
「私の言ってることが信じられないなら、実際に当たって砕けてみなさいよ。そうすれば嫌でも分かるわ。あいつは二次元に嫁がいるんだから」
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