4 終わらせない!




 ――それはきっと、映研の今後にとって大きな意味を持つ。


 まるで時間が停まったようだった。


 閉じた引き戸を見つめたまま、誰も何も言わず、離れていく足音を聞いている。

 沈痛な面持ちで、ただ抱えた感情が消え去るのを待っている。


 時間が進まないなら、いつまでも癒えることはないのに。


 きっと先輩たちも分かっている。分かっているけど、動けない。


(わたしの知らない『何か』がある……)


 部長と、先輩たち三人の間に横たわる『何か』。この部の抱える問題。それが何なのかはるには見当もつかないが――


(映研には、実結みゆ先輩が必要だ……)


 ドアの閉じる無情な響きが室内に静寂をもたらした瞬間、先輩たち三人の見せた表情が忘れられない。不安や心許なさ、諦め、悔しさ、落胆。それらが複雑に絡み合ったような苦々しい表情を浮かべながらも、想いを呑み込んだ彼らの覚悟が、彼女の存在がいかに重要かをこの上なく表していた。


 連れ戻さなくてはならない。強くそう思う。


 だけど――


ゆうちゃんを……緋河ひかわさんを止められなかったわたしに)


 先輩たちでさえ立ち上がれなかったのに、部長を連れ戻すことなんて出来るのか。


 だけど。


(もし出来なかったら……)


 この部は終わるかもしれない。

 みんな散り散りになる。学年の違う遥は特に、公広きみひろたちと接する機会がなくなる。

 そうしたら――


(そんなのは嫌だ……!)


 気付けば遥は立ち上がっていた。ガタリと音を立てる椅子。公広たちの視線が集まる。驚いたような彼らの表情を見て一瞬冷静になり、何か言うべきかと迷ったが、そうしている間にも実結は行ってしまう。立ち止まってる暇はない。

 三人の視線を振り切り、遥は部室を飛び出した。


「実結先輩……!」


 その背中はすぐに見つかった。

 声をかけると、実結は困ったような、呆れたような顔で振り返る。目が合って、言葉に詰まった。何を言うべきか、どう説得して戻ってもらうか。勢いだけで何も考えてない。


「あの、わたし……っ」


 息継ぎするように声が漏れる。


(先輩の気持ちは分かる……なんて、安易な共感は、きっと逆に反感を買う)


 実際、実結の考えは分からない。

 じゃあどうする。そうだ、。彼女に共感してもらうのはどうか。押してダメなら……というやつだ。


「あの……部長がいなくなったらわたし、部で女子一人になっちゃいます! 緋河さんも出てったし……わたしを一人にしないでください! しかもわたし以外みんな先輩なんですよ! 気を遣いまくりです!」

「私が戻っても先輩ばかりじゃないの。それとも私には気を遣わなくていいって?」


 実結は苦笑し、それから――まるで自嘲するように、


「どうせ廃部になるなら、あんたもやめちゃえば?」

「やめるわけにはいきません!」


 これだけは迷いなく淀みなく、素直な気持ちが口を衝いた。


「まだ、納得できてませんから」

「……あぁ、そうだったわね」


 思い出したかのように頷き、実結は視線を落とした。


「……部長はこれでいいんですか? こんな……その、終わり方で、納得できるんですか? わたしは……何も解決しないまま廃部になんてことなったら……」


 納得できない。きっといつまでも悶々としているだろう。挙句の果てには何かとんでもないことを仕出かすかもしれない。

 最終話だけ見逃したドラマがあれば、DVDを買ってでも結末を知りたいから。

 レンタルなんて待てっこない。


(その頃には――)


 自分の、この気持ちの正体が分からない以上、廃部になってもらっては困る。

 この気持ちだけは。


「私だって……納得とか、出来ないわよ」


 呟く言葉には苦味が滲んでいた。


「でもね、そういう問題じゃない。……努力して、仮に今の私たちにできる最高のもの、つまり納得できるものが作れたとしても、それが評価されるかどうかは別問題。評価されないってことは……廃部になるということ。私たちの努力が、私たちの納得できる最高のものが、認められないってこと。そんなのって――」


 むなしいじゃない。言葉にはせず、続く想いは唇だけが紡いでいた。


「認められなくても……自分たちがそれに納得できるなら、結果なんて別にどうだって構わないって……わたしは、そう思いますけど……」

「考え方の相違ね」


 あるいは、生き方の相違。


「でも、肝心なことを忘れてるわ。納得できるものを作ったって、それが評価されなければそこで終わり。私たちの感情とか関係なしに、廃部が決定する。映研は続かない。あんたは、納得できるものを作るっていう、そんな思い出作りがしたいわけ? そんなのは……ただの自己満足よ」


「…………」


 返す言葉もない。確かにその通りだ。この場合、結果を残せなければ、良い結果を出さなければ意味がないのだ。続けたいと思うなら。


(……ということは、部長も廃部になってほしいわけじゃないってことだ)


 ただ、諦めているだけだ。状況を鑑みて、現状を理解しているからこそ無理だという結論に至った。どうせ無理なら、頑張るだけ無駄だと。


 ふと、先輩たちの前で声を上げた悠の姿が頭をよぎった。

 普段は感情を表に出さない彼女が、垣間見せた熱い何か――

 それに感化されるように、遥は口を開いていた。


「でも……でも、実結先輩。キミ先輩たちは頑張るつもりなんです。頑張りたいんです」


 あの時彼らが見せた表情には――実結なしでも頑張ろう。無理かもしれなくても、無駄だと言われても、とにかくやってみよう。そうした覚悟があった。

 だけど、きっと彼女なしでは最高のものは作れない。

 みんな揃わなくちゃ――


「何もせずに諦めていいんですか? 部員が頑張ろうとしてるのに、部長である先輩が降りてもいいんですか!」

「……それを言われると、弱いわね」

「辞めてどうするんですかっ。まだ全部が終わったわけじゃないですっ」


 想いが溢れ、口を衝く。

 熱い感情が言葉になって、遥の中の何かを急き立てる。


「もしかするとうまくいくかもしれない。私たちが思うよりハードルは低いかもしれない。そういう、希望的観測かもしれないけど、あるかもしれないって可能性に賭けるなら……一人でも多い方がいいと思います。わたしたちだけじゃなくて、部長もいてくれた方が!」



 ……あぁ、なんか白々しいな。



 これはたぶん、わたしが言っていいような言葉じゃない。

 きっとこれは、悠の言葉だ。だからこんなにも白々しく思える。

 だけど、この場に彼女はいないから――引き留められなかったから。

 せめて、わたしが。


 あの時、彼女が垣間見せた熱意。

 燃えるようなその想いが、遥の心を駆り立てる。


「そもそも、まだ何もやってないじゃないですかわたしたち! 映研入ってから、それらしい活動なんてまったくやってない! これから始めましょうよ、ここからちゃんとした映研の活動を……みんなで!」


 やろうと思えば何かをやれる、それなのにやらない。それがこれまでの映研だ。

 何もしないでいたから、廃部なんて事態にまで追い込まれている。

 なら、理由がなくて動かなかったのなら、この窮地をきっかけにすればいい。

 動き出せば、何かをやれるはずだ。

 何かを成し遂げられるはず。


 ……そう、信じてる。


「みんなでちゃんと、頑張れば……何かすごいものが出来るかもしれない。何か、うまくいえないけど、すごいものが。そう思ったから……私はこの部を選んだんです」


 そう思ったから、きっと悠もこの部を選んだ。

 あの時の彼女を見て、そう思った。


「…………」


 唇を噛んで、黙り込む。実結は何かを堪えるように目を閉じ、それから――


「あ……」



 遥に――映研に背を向けて、歩き出す。



「部長……実結、先輩」


 以前、彼女は自分の名前が嫌いだと言っていた。努力は実を結ぶ。そんなのは嘘だと。


「……っ」


 努力なんてものは、本物の才能の前では勝てない。

 でも、まだ勝てないと納得したわけじゃ……ない。


「部長! 待ってくださいまだ大事な話が!」


 ――これでダメならあきらめよう。


 追いすがり、足を動かしながら声を上げる。



「部長は言いましたよね? わたしのこの気持ちの謎を、答えを教えてくれるって! 先輩が恋愛感情だって言うからこっち、告白までしたんですよ!? 最後まで責任とってください!」



「あー……」


 歩みを止めた実結は渋々といった感じで振り返り――


「……もはやそれ、脅迫ね」


 弱々しい苦笑を浮かべる。


 その顔を見て、少し反省する。初めて見る表情だった。本気で困らせてしまったかもしれない。それに、自分で言っておきながら恥ずかしい要求だ。


「あ、あの……なんかごめんなさい。自分のことばっかり、押し付けて……」

「いいわよ、別に」


 実結は片手で頭を抱え、小さくため息を漏らす。


「確かにね、今になって考えてみると、とんでもないことさせちゃったわ、私。そうね、責任とらないと」

「え……? それじゃ」

「他の二人はともかく……同じ部室にいさせるのも酷よね。確かに私といるより気も遣うわ」

「そうでもないですけど……」


 実結がこちらに向かって歩いてくる。目を閉じ、静かな面持ちで。


「……謝るのはこっちだわ。誰かに引き留めてほしかった……のかもしれないわね。なんでもいいから、適当な理由つけて。部長とか、そういう責任の伴わない……なんか面白い理由で」

「面白いって……わたしにとっては結構重要な問題なんですけどっ」


 だけど、分かる。部長であるという責任。映研を背負って立つ立場。だから、失敗は出来ない。下手なものを作って、映研という看板に泥を塗りたくない。

 そういうものを重く受け止めていたから、逃げ出したくなったのだろうか。

 どのみち戻るのなら、もっと気楽に構えたい。遥は自分ならそう思う。だからこその面白い理由、なんだろうか。こういう理由だから戻ったのであって、別に部長として頑張るわけじゃないんだからね、的な。


「ほら、何ぼうっとしてるのよ。行くわよ」


 すれ違いざまに肩を叩かれ、我に返る。


「はい……!」


 部長はツンデレだったのだな、と思った。




               ***




 そして――部室に戻ると。


「……まずは企画だ。それがなくちゃ始まらない。俺、景秋かげあきさかえ、遥の四人でどこまでやれるかは分からないけど……やるしかないんだから」

「あぁ。この期限なら、四人でもきちんと計画を立てればなんとかなるはずだ」

「じゃあ早速、企画書量産するか! それを部長の靴箱に突っ込んどこうぜ」

「部長の登校に合わせ屋上からバラ撒くのもありだな」

「そうだな。あの人が戻ってきたくなるような最高の企画書を練ろう――」


 なんとか前向きな相談をしているかと思いきや、いつの間にか部長を連れ戻す算段を話し合っていた男子三人は、部室に戻ってきた遥を見て明るい表情をつくろうと努めて、


「何をアホなこと企んでんのよ、あんたたちは」


 その後ろから顔を覗かせた部長を見て、三人の表情に驚きと安堵が広がった。


「「「部長……!」」」


 彼らの反応に実結は視線を逸らし。若干、頬を染めて。


「ていうか、揃いも揃ってなんなのよ。うちの男子は腑抜けしかいないの? 遥に任せて誰も私を追ってこないとか」


 今度は三人が目を逸らす番だった。


 ともあれ。


(やっと――)


 いつもの空気が戻ってきた。

 何が出来るか分からない。だけどなんでもやれる気がする。

 そう思えるくらい、晴れ晴れとした気持ちでいられた。


 ただ、この場にいない彼女のことが、遥の唯一の気がかりだった。



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