EP3 八年生会崩し

 ーーその怪傑・大達磨転がしは決行された。

「坊ちゃん、嬢ちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、おはようからおやすみまで、わたくし蛙貴族の紅一点、姓は富良、名はソワ子、ひとによっては《フランソワーズ》なんて呼んじゃって。そんな洒落た柄じゃあございません。そっと瞳を閉じるだけが取り柄じゃございません。腹をすかたせた兄弟家族を養うため、バイに励むしがない稼業人でございます」

 本日皆さんがたにご紹介するのはこれ。このあたしの後ろにズラーッと並んだ、ガラクタ。すごい量でしょう? ガラクタだったら興味はないと思ったそこのお兄さん、もちろんただのガラクタじゃありません。見る人によっちゃ価値が分かる。というのもこれ、さる没落貴族が泣く泣く手放した古今東西の名品珍品ばかりである! それをあたし等が引き取ったが、持っていても仕方がない。価値の分かる人に譲っちまった方が世のため人のためになるってんで、滅茶苦茶の大安売り! 儲けは一切いりません。お布施お賽銭程度に貰えたら懐もほんのり温かい。話半分、面白半分、冷やかしはご勘弁なんてケチなことは言いません。話だけでも聞いていってやってくれませんか?」

《怪傑・大達磨転がし》第一段階・ソワ子の啖呵売である。以前目撃したものとは規模が違う。驚くべきことに単管で組まれた特設ステージが学校の中心の広場に設置されていた。そこに富良ソワ子は立ち、一切物怖じせず堂々と声高らかに縦横無尽にステージ上を駆け回る。水を得た魚のごとく生き生きとしていた。むしろ狭いくらいだった。

「なんだなんだ」と観客が集まりつつあった。満員御礼も時間の問題である。

 そして八年生会が押し寄せてくるのも時間の問題だ。

 ソワ子が売っているのは、蛙義賊が盗んできた品々である。


「宝を返す」芯嶋英作はこともなげに言った。

 ソワ子宅を訪れた翌日の出来事である。

「「は?」」と聞き返したのは、そこににいる全員である。静寂の帳が落ちる。

「やああゆむくん、昨日は親睦を深められたかい?」

「このタイミングで…」

 見ればソワ子はすっかり元どおりになっていた。「…なによ。喋ったらクビるから」

「そうかちょっとは歩み寄れたみたいだね」

 彼奴の目には別の世界が見えているに違いない。

「親睦が深められたなら今回の作戦は100%成功といっても過言ではない」

「それで、返すってどういうことなの?」ロックは言う。「良いの? せっかく盗んだものを」

「正確には還元だ。鼠小僧よろしく我々も義賊としての役割を全うする。ね、ソワ子くん」

「え、あっし?」

「まず貴君はお得意の啖呵売であのガラクタを派手に売り捌いてくれ」

「別に構わないけど…あたし自信に対して結果が伴わないタイプなのね」

「ソワ子くんは腕はある。しかしそれを披露する場に恵まれなかった。用意しようステージを」

「ステージ…」

「そしてラリくんとロッくんを連れて存分に役立てるがよいよ」

 言われて「…分かった」ニヤリと笑った。「二人を役立てる方法なんて一つしかないわね」

「…わね?」

「ソワ子くんが華々しく売り捌けば、八年生会は宝を取り戻そうと躍起になる。いいかいお宝は我々の元にある限りある意味安全なんだ。いうなれば倉庫だ。取るに足らない新興集団など本気を出せばいつでもお取り潰し可能だと思っているし、もちろん可能だ。だから本気を出される前に先手を打つ。八年生会が最も恐れていること、それは宝の所在が分からなくなること。一度流出してしまえば二度と手元には戻ってこない。どうせ地球は丸い。とはいえ広いからね」

「つまりあらしらの役割は陽動ってことねん」

「頼んだよラリくん。穴ぐらに篭っている連中を炙り出し本拠地を手薄する」

「……」

「その隙に攻め込む」


 所変わって現在、ソワ子が演説するステージの裏。薄暗いバックヤードでラリが大儀そうにパイプ椅子に腰をかけていた。相変わらず腕からは点滴が伸びているが、いわゆる高カロリー輸液というものに変わっており、つまり気合いが入っているらしい。「くけー」とカラスみたいな声で一人笑う。彼女の前にずらっと置かれているのは七輪である。数にして10は超える。背後では業務用扇風機が回り赤々と燃える炭から立ちのぼる煙を舞台方向に送り続けていた。演出用のスモークなどではない。ましてや練炭自殺でもないし、芯嶋の言葉通り八年生会を燻しているわけでもない。強いて言うなら燻しているのは観客である。

「くけー」と再び笑った。

 時刻は夕刻。舞台の下には観客が続々と集まりつつあった。しかし様子が妙である。湧いている。ソワ子が何か言う度に、わけもなく歓声と嬌声があがった。そして座っていたり泳いでいたりする目が、西日の下でギラギラ輝いている。尋常ならざる雰囲気は誰の目からでも明らかだが、本人たちは気づかない。非日常に絡め取られた彼らは、一度立ち止まったが最後逃れられない。絶叫を聞くたびラリは嬉しそうに「くけー」と鳴いた。

 そう彼女が燻らせているのは山盛りの葉っぱだった。

 …限りなくブラック寄りのグレーな葉っぱ、であることを願う。

 気分の高揚した客が『面白いこと言え』『パンツ見せろ!』と野次を次々に浴びせてくるが「だったらこっちに上がってきな!」とさらにソワ子は煽る。続々と舞台にのぼってくる客が目にするのは、物陰から現れたスキンヘッドの大男…。だらしなく伸びきった鼻の下が、ジャンプ黄金期の絵柄ぐらい短くなる。ロックはカツオの一本釣りを思わせる豪快な技で次々男たちをひん剥いて丸裸にして舞台から蹴落としていく。「ああんごめんなさい!」泣きっ面で。

 どっと観客から笑いが起こる。ソワ子の腕の見せ所だった。

「「貴様等! なにをやっている!」」

 拡声器を使って群衆の遥か後方から大音声が届く。見るとまた別の群衆が一帯を包囲していた。皆仮面をつけてマントを羽織っている。その先頭に立つ軍団の隊長と思しき男が勇猛果敢に噛み付く。「「我々は八年生会である!」」

 ーー釣れた。ソワ子はほくそ笑んだ。

「「それは我々の所有物だ! 速やかに返却し集会を解散しろ! これは命令だ!」」

「バーロー! こちとら結社と集会の自由が認められてんだ! 何人たりとも侵害できないし少なくともてめえらみたいなドサンピンに、あたしらの自由は奪えねえ!」

 富良ソワ子、ハッタリ合戦なら負ける気がしない。しかし向こうも一歩も引かない。

「「もう一度言う! 盗んだものを返せ」」

「変な言いがかりはよしてくんな! どこにそんな証拠があるってんだ!」

「「貴様の薄い胸に手を当てて考えてみろ」」

「もし! 万が一! 仮にあたしらが盗ったとしよう。しかし小悪党が小狡いやり口で得た金品を世間様に還元しようって行為のどこが悪い! あと薄くねえ!」

『そうだそうだ!』『横暴だ!』『待ってました!』『おっぱい見せろ!』客が口々に囃し立てる。寸劇か何かだと思っているのだろう。

「「そうまでして八年生会に楯つく阿呆がまだいたとは…。久しぶりに滾ってきたぜ!」」

 仏頂面を決め込んでいた部隊長の男が鋭利に口角を吊り上げた。

「「貴様! 名を名乗れ!」」

「蛙義賊の紅一点、金庫番兼買い出し担当、不肖富良ソワ子悪党に名乗る名はねえ!」

「「ん? 富良ソワ子三回生か? 八年生会を裏切った? 今なら間に合う戻ってこい!」」

「やなこった!」

「…ならば実力行使だ」男は拡声器を下ろした。「…やれ」

 地響きと共に包囲網が迫る。観客をかき分けて一心不乱に切り込んでくる姿は、鬼気迫るものがあった。こうなると野次を放っていた連中も萎縮して何も言えなくなる。

「やっば! これは聞いてないんだけど!」ソワ子の元まで辿り着くのは時間の問題である。「ねえご両人! いつも通りスーパーパワーでどうにかならない?」振り返る。

「「む・り」」

「…だよね」がっくりと肩を落とす。が、もたげた顔はまだ諦めていなかった。「ええいこうなったら蛙義賊の面目躍如! 応募者全員サービスだ!」

 ソワ子の後ろに積み上げられた盗品の山、それに手をかけると客席に向けて放り込み始めた。

「慈善事業じゃねえぞ! お代は後で《かわずの巣》に持ってきてください! 忘れたら地獄の果てまで取り立てに行くからな! ほら高橋留美子のサインだ! 持ってけ泥棒!」

「泥棒はお前等だ!」

 結果、押し合いへし合い人の壁で八年生会の面々は揉みくちゃである。

 騒乱の中でソワ子は心の中で祈る。

(…あとは任せたわよ。ダーリン)

「うおるぁああああああ!」



「うっ…」「どうしたんだい」「全身に寒イボが…」「ネギ巻いて寝な、ネギ」

 その頃あゆむと芯嶋英作は、八年生会の本拠地にいた。それは竹林を抜けて、畑を抜けて、山一つ越えた先にある。本当に都内かと思うほど、のどかな田園風景の中にポツリとあった。

 ひと呼んで《旧図書館跡》という。だったら今は何なのだ。八年生会の本拠地である。聞くものを煙に巻くような曖昧なネーミングだが、一応学校の敷地らしい。そこが今や伏魔殿と化している。鬼が出るか蛇が出るか…。もう一度言うが、そこにいるのはあゆむと芯嶋の二人だけである。アッシーと頭脳労働担当が八年生会に攻め込む。

「…これで何度目になるか分からないが尋ねます。本当に勝算はあるんすか?」

 いったれ精神の芯嶋に対しあゆむは慎重派だった。直情的なくせに慎重、いや直情的だからこそ平静の時は心配しすぎるぐらいで丁度良いという人生経験の賜物だ。

「そしてこれは本拠地なんですか?」

 毎度毎度あれは前哨地、これは給水本部、こっちは見張り台と手を替え品を替え、いやおそらく名前だけ変えて中身は一緒で、いつまで経っても本丸が見えてこない。

「ガッくんの情報ではそのようになっているよ」

「…しかしあいつが裏切らない保証はどこにもない。そういう男でしょう?」

「そういう男だが単純でもある。彼は常に有益な方へつく」

「…報酬は十分与えていると?」

「私が出来ることは全てやった。しかし八年生会はただの阿呆ではなく、ひとかどの阿呆だ。有益な条件を提示して交渉しているかもしれない」

「結局裏切る可能性はあるわけですか。…肝心な所で運頼みだ。ガク頼みか」

「しかし彼を律しようとする方が無茶だ。敵さんの本拠地で鼻歌交じりに小躍り出来るのはガッくんぐらいしかいない。それに貴君の登場によって蛙貴族側へ傾いているのは事実だよ」

「…といわれてもなあ」あまり実感が湧かない。

 これが裏切りによる罠ならばまだ良い。一番情けないのは、罠でも何でもない状態でガクの情報も万全で、いざ乗り込んでいったら返り討ちにあうことである。

 結局具体的な勝算については、何度尋ねてもはぐらかされたままだった。

「おれも、言っちゃあ何だがあんたも、蛙貴族の無能担当だ」「現場向きではないと言ってもらいたいね」「ガクがウィンクキラーなのは重々承知だが男には効果がない」「一部には需要があるよ、中性的だし」「芯嶋さん、あんた喧嘩とか出来るのか?」「男に触れると手がかぶれるんだ。ーーよりにもよって恋人つなぎ! きついよあゆむくん!」といった具合である。

(…しかし無策で突っ込んで行くとは考え辛い)

 よって導き出される答えは一つ。そもそも戦う気がないのではないか。限りなく相手の戦力を削ぎ、こちらの戦力も削いで徒手空拳で相対する目的は一つ。話し合いだ。しかし誰と?

「へーい。カムイーン!」

「ホストハウスか」

 廃ビルの入り口から半身を乗り出してこちらに手を振っている男がいた。ガクだ。「わーおベリービッグカップルの誕生だね!」

 中年と恋人繋ぎしているままだった。気色悪っ。ちょっとぬるぬるしてるし。「溶けたんだね」「化学反応…」男同士で手を繋げばケミストることも多少ある。

「うえーん、あゆむ聞いてよ!」ずずいとガクがすり寄ってくる。「拷問されたー」

「スパイっつうか、捕虜?」

「ひとの足の裏に塩を塗るんだ!」

 芯嶋は「ひええ」と震え上がる。「そういえば畑部の子ヤギが攫われたと聞いたよ…」

「…ソルティサウナ?」あゆむはどこが拷問なんだろうと頭を捻らせた。

「でも子ヤギがフィーメールで助かったよ!」

「お前のフェロモンは獣まで騙くらかすのか…」

「うんうん何にせよ無事で良かった。さてガッくん《大達磨様》まで案内してくれるかい?」

 ーー《大達磨様》について芯嶋栄作の説明は以下のとおりである。

「八年生会は大達磨様を崇めている。大達磨様は願望機であり、大達磨様を持つものが学校の支配者風雲児になれと言われている。今回の蛙義賊のタゲーットはこの大達磨様だ。読んで字のごとく巨大な達磨だよ。しかもクリスタルで出来ている。おっとあゆむくんその目をやめたまへ。この場合真贋は問題ではない。問題は大達磨様の持つもう一つの意味風雲児の方だ。不思議に思わなかったかい? 落伍者集団、烏合の衆と言われた八年生会がどうして今のポジションに居られるのか。大達磨様は『証』だ。玉座なのだよ。それだけで説明がつく便利アイテムだ。おっとあゆむくんまたその目かい? 嘘ではないよ。廃れているがね。それに私も風雲児として頂点に君臨してやろうとは考えちゃいない。しかし今回の策が成功した暁には、二律背反、ダブルバインド、二つの常識が同時に存在することになる。事実上学校を統べる八年生会と、形式的に大達磨様を有する蛙貴族。そうなった時八年生会を煙たく思う連中は、どちらの方につくと思う?反旗を翻すべく水面下で蠢いている賊が究極の選択を迫られた場合、こぞって我々を擁立するだろう。詳しくは裏学則に記載されているから参照してくれたまへ」

「またそれだ! 本当に書いてあるんすか?」

「貴君は確認したのかい?」

「してないっすけど…」

「ならばそういうことだよ!」

 つまり今回の《怪傑・大達磨転がし》の目的は外堀を埋めることである。芯嶋英作の狙いが、あゆむにも何となく理解出来た。しかしそうことがうまく運ぶだろうか。何かを見落としている気がするが駄目だ想像力が足りない。

「こっちだよ!」

 とガクは二人をサザエスタイルで招く。重い体を揺すりながら芯嶋は小走りでついていく。

 八年生会のアジトは一見五階建のビルだが、驚くべきことに天井まで全て吹き抜けだった。音がやたらと反響する。薄暗い。窓が少なくて十分に室内を照らすことが出来ない。

「この無駄空間は何だ」「さあスカッシュでもするんじゃない?」「スカッシュ…」

 ガクは床から生えている取っ手に手をかける。錆びたバネの鈍い音を響かせながら床下へ続く階段が現れた。「…地下」まさか本拠地が床下とは思うまい。八年生会なりのカモフラージュか。芯嶋ガクあゆむの順で降りる。地下も同様コンクリート造りで本来上にあったものをそのまま埋めてしまったような印象である。「どこまで続いてるんだ?」「確か地下五階ぐらいまであったと思う」「…五階、かなりの重労働だな」「安心してよB1で待ってもらってるから」あゆむは足を止めて身体を強張らせた。「…待ってもらってる? お前…やはり!」

「へいへい二つの意味で失礼だよ。『やはり』ってのはぼくを疑ってたわけだ。そしてそのあと続く『裏切ったか』の副音声が丸聞こえだ! ぼくは裏切っちゃいない」

「本当か…?」

「芯嶋さんが来ることを伝えただけだよ!」

「……」それを裏切ったというんじゃないのだろうか。

「いやそれで十分だよガッくん。ありがとう。報酬は弾もう」

「やりい! じょじょえん!」

「こうでもしないと彼は会ってくれないからね。私は話しがしたいんだ」

「いったいこの奥に誰がいるんすか?」

「八年生会の首領だよ」

「首領? それって一番偉い人じゃないのか?」

「そだよー。ちょっと失礼」

 言ってガクは芯嶋とあゆむの前を過ぎ、一足先に扉の前へ立った。扉には油圧カッターでも手こずるであろう立派な錠前がぶら下がっている。手に持った鍵でそれ開けた。

「では! どんぞー」

 部屋に入ってあゆむは己の目を疑った。辺りを見回す。「なんだここ…」真っ白い部屋に本棚が居並び、中にはジャンプ・サンデー・マガジン! 三大コミック雑誌がずらりと整列している。創刊号からあるようだが確認する術はない。驚くべきことに果てが見えない。

「マトリックスみたいだ…」

「これが彼らの武器なのだよ」

「確かにジャンプの角は凶器たり得る…」

「そういう意味じゃないんだけどね…」

 その中心で一人男が蹲っていた。椅子に跨り両手で顔を覆い、表情はうかがえないが「よよよ」と泣くあたりまず泣いていない。「閉所恐怖症なのを知っているだろう…」顔を上げた。

 青い瞳、長い金髪、日本人離れした顔立ち、線が細く色が白く、絵に描いたような美青年である。それも薄幸の美青年だ。本人も理解しているらしく「籠の中の鳥は大空を羽ばたく夢を見る」と身から迸る不幸オーラに酔いしれていた。もっとも「嗚呼、かわいそうなぽっくん」

 歩く身代金のせいで全て台無しである。

「あえて台無しにしてるんだ。ぽっくんのような容姿端麗、眉目秀麗、才色兼備、文武両道の薄幸の美青年は人類の希望の星となるべく覇道を邁進していたが、ある日気付く。星とは万人に等しく手の届かないものだが、しかし手の届かない星は本当の星たりえるのか、と。完璧な存在は果たして完璧なのか。有り体に言って磨き続けることが恐くなってしまったのだよ…。星とは眩ければ眩いほど世人は直視出来なくなってしまう。だからより完璧な存在になるべく、あえて台無しにする道を選んだのだ。ぽっくんは」

「え、なに今の、生い立ち?」あゆむ困惑。

「しかし欠点を補うほど人類の星から遠ざかっている気がする。これはジレンマだよ…」

「キャラクターづくりとか超痛いんですけど」と、ガクは鼻をほじる。

「西原くん、ひどいや。そなたは人質のはずなのにぽっくんを閉じ込めるなんて。いつの間に立場が逆転してしまったんだ」

「ぽっくんはないよ、ダサいもん」

「そんなバナナ!」これだけコミックに囲まれていれば仕方ないセンスか。「ごほごほ。あんまり酷いことを言うから持病の癪が…」

「またまたー。昨日ビッグマック五つ食べたくせに」

「…見かけによらず大食漢。健康そのものじゃねえか」

「そう、病弱そうなのに健康なのだ。ジレンマだ…」

 ジレンマの意味分かってんのか、こいつ。

「実直くん」芯嶋は言う。この美青年の名である。「前置きはそれぐらいにして欲しい。貴君の一人芝居は幕引きを知らない」

「おお悪いね。旧友やニューカマーや人質に会って取り乱した。もといテンション爆上げ」

「要件は言うまでもないだろう」

「え? ああはいはい、大達磨様ね。勝手に持ってけ」

「ええ、そんなあっさり?」

「三対一で無様に足掻くような真似はしない。見ての通りぽっくんは弱いよ」

 ここ、喧嘩の弱い奴ばっかりだな…。

 実直は立ち上がると自分の座っていた椅子の後ろに回り込んだ。それは大きさにして60センチほどの達磨である。「…玉座ってそういうこと?」座りづらそう…。そして想像より小さい。「…あれが大達磨様?」芯嶋の話ではクリスタルで出来ているという話だったが、蛍光灯の光を鈍く反射し黒光りする姿は「鉄球じゃねえか!」鉄の塊で出来た達磨である。

「さあニューカマー! 持っていけ!」実直は威丈高に言う。「持っていけるものならな!」

「あゆむくん先にそれを持ってソワ子くんの所へ向かってくれ。私は残る。彼と話があるから」

「注文が無茶苦茶だ…」

「頼んだ」

「くっそお…上等だ。おいガク車からウィンチ持ってこい!」

「りょっ!」敬礼して飛び出して行く。

「芯嶋さん」

「何だい?」

「おれもじょじょえんで牛角アイス」

「おーけー皆で行こう」

 ガクの持ってきた網とフックを達磨にかける。あゆむはアクセルを踏み込みながら言った。「怪傑・大達磨転がしとはおれのことだ!」がっしゃーんと扉を破る。ガリガリ嫌な音を立てながら大達磨様が階段を転がる。コンクリートの床には引きずった跡がくっきり残っていた。おそらく階段も取り返しのつかないレベルで砕けている…。

「おいおい栄作くん、そなたは部下にどのような教育をしているんだ…」「部下じゃないからねえ」「それにしても旧友に寝首をかかれるとは、古代ギリシャの王のようだ!」「迷惑だったかい」「不幸はぽっくんの魅力を引き立てるから大歓迎である」「首領なんて柄じゃいだろうと一応心配してたんだ」「もしかして今回の一件は、ぽっくんが失脚するチャンスをくれたのかい?」「そんなに格好良く言うなよ」「何を言っても格好良くなってしまうのだ。ジレンマだ…」「貴君もそろそろ引き際だろう?」「妹には行方不明扱いされるし、就職活動もこれ以上先延ばしにはできないからなあ」「人類の星が就職活動かい?」「星の光ってのは存外か弱いのだ」「だから太陽から遠ざかった。懐かしいねえ」「しかし栄作くん、代わりを用意することは出来なかったのかい? ーーもしくは芯嶋英作が継ぐか」「悪習に興味はないよ。意義も感じない。私は八年生会をぶっ潰すだけだ」「恨まれたものだな」「恨みはこれといってない」「だが大達磨様を盗めばどうなるか、そなたなら考えるまでもなかろう?」

「さてね」芯嶋は言う。「老兵は語らず、だよ」

「戦乱の中でしか生きられぬというわけか、恐ろしい男だ」

 二人ともあぐらをかいて床に座り込んでいた。敵同士だが再会を懐かしむ気持ちの方が強い。

「しかし貴君しか残っていないとはね」芯嶋は言う。「夢にも思わなかったよ」

「八年生会もめっきり人が少なくなったからのう。そなたが燻り出しが功を奏したな」

「まあね。だとしても少なすぎやしないか。何かあったのかい?」

「ん?」

「え?」

 沈黙。どうやら二人の間で食い違いがあるらしい。実直は芯嶋の采配で仲間を燻り出されたと思っているようだが、対して芯嶋は燻り出すには燻り出したが、まさか実直一人きりとは思っていなかった。不穏な気配を察知して芯嶋のえびす顔がえびす顔のまま強張った。

「《今回の一件》はきみの采配ではないのか?」

「…何のことを言っているんだ?」

「…となれば偶然か? ははっ!」実直の哄笑が響く。「偶然とな! 星の巡り合わせか!」

「説明が欲しいんだけど」

「嫌だ。これでも八年生会首領、最後の天邪鬼だ」

「……」

「しかし友人として一つ忠告を与えよう。ーー気をつけろ」



 あゆむたちがソワ子たちの元へ軽トラで乗り付けると会場は大変な賑わいとなっていた。

「宴か?」

 薄闇の中照明が焚かれステージが炯々と浮かび上がり「軽音部?」バンドマンがエレキを掻き鳴らしていた。観客の熱狂は最盛を極め踊るもの、歌うもの、叫ぶもの、ポロリ、全裸、誰もが等しく正気を失っている。そして下手くそなギグに合わせて舞台上で行われていたのは「総合格闘技?」それもバーリトゥード。八年生会VS蛙義賊のマッチングは、事実上八年生会VSロックである。しかし多勢に無勢は覆しようがなく圧倒的に優勢なのは…ロックだ。

「あのべらぼうな膂力は常識を跳ね除ける…」

「違う。よく見てあゆむ」ガクが助手席から声を上げる。「ツープラトンだ!」

 彼のスキンヘッドに絡みつくのは、巨大な唐揚げ、もといソワ子である。ロックは彼女を肩車しながら戦っていた。重りではない。強いて言うなら武器である。ピンチとあらば第三の拳として鉄拳振り下ろし蹴りを浴びせる。威力こそないものの鋭さは確実に敵の隙を生む。その僅かな間隙をこじ開けてあっという間に戦況を覆す。

「しかし卑怯だなあ…」

 ソワ子の攻撃は拳や蹴りに留まらず、目潰しから、噛みつき、金的、毒霧、栓抜き、パイプ椅子まで反則の見本市のようである。いやバーリトゥードか。暗黙の了解か。毒霧をかけられた連中が「ありがとうございます!」と叫ぶのは、妙な票を集めちゃいないか、おい。

 あ、ラリが点滴台で殴った。そういう使い方もあるのか。

 そこかしこで人が倒れている。広場の隅にはパイプテントが並び、昏倒した学生がござに寝かされていた。白衣の天使が右に左に駆け回る。「私たち滋養強壮部です!」「東洋の神秘部です!」「手当て療法部です!」「スピリチュアル・ヒーリング部です!」嘘の範疇を超えないニッチな部活動が、ここぞとばかりに人体実験である。その他にも炊き出しや、ブックメーカー、8ミリフィルムを回すものまでいる。各々が勝手気ままな時間を共有していた。

 あゆむとガクは車窓から遠巻きに眺め、ちょっぴり疎外感、ほどほどの優越感、ところによっては安堵感を得る。つまり当惑していた。

「あいつ…」あゆむはボヤくように言う。「所どころ女を出すよなあ」「どゆこと?」「スカートの下ちゃんとステテコ履いてるんだなあって」「目が良いね」「田舎育ちだからな」「違うよ、目ざといという意味」「…何が言いたい」「ぼくは気にも留めなかったなあ。彼女の下履き事情なんて」「お前は興味がないだけだろう」「へえ、じゃああゆむは興味があるんだ」「並の男なら女性の下履き事情は興味があってしかるべきだ」「ふーんそういうことにしておこうかしら」「下衆の勘ぐりだな」「でも片乳出てるね」「……」「嘘だよ。血眼禁止条例!」「なってねえし探してねえ!」

 やられっぱなしである。かつて立場は逆だったが月日が彼らの力関係を変えた。

「ぼくはさあ。あゆむがどんな風に変わってもきみの味方だから」

「いらんお節介だな」

「言うと思ったよ」仲直りには蛇足だった。「で、この状況どうするつもりだい?」

「…ふん、そんなもの簡単だ」

 あゆむは憮然と言い放った。

「軽トラで突っ込めば良い!」

「いやーん! かっくいい!」

 ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる! とエンジンが唸る。「しっかり掴まってろ!」言われてガクは抱きついた。「いやおれじゃなくて他に、んむっ!」からのチッスである。

「ーーぷはっ! 不問!」

 ぺえーとクラクションを鳴らすと人並みが割れた。そこのけそこのけ。辛うじて人を轢き殺さなかったのは奇跡である。舞台へ連なる階段にノーブレーキで突っ込むと車体が大きく宙を舞った。走馬灯の中あゆむが見たのは、衣を剥がされかけた唐揚げだった(カロリーオフ…)ロックの手が楔のように車体に打ち込まれ無理矢理舞台上に落とされる。

「「んがっ!」」二人して脳震盪ぐるぐるである。「「はらほれひれはら」」

「ああん二人とも無事で良かったあ」滂沱の涙と鼻水まみれで車から引きずり降ろされた。

「いや、ロクさん…助かりました。ええっっとなんだっけ、そう、ブツは荷台!」

「どういうこと?」

「いいから。持って! 立って!」ロックは急かされて荷台へ回る。

 と、地面から鋭い視線を感じた。半裸の唐揚げ、ことソワ子は寝釈迦のようなポーズであゆむを睨みつける。遠くからでは分からない、所々痣や擦り傷が見受けられた。

「労え」

「ご苦労」

「…ふん」

「いよっこおおいしょおおおおお」

 掛け声の定型文とともにロックは軽トラのルーフに乗った。そんな所に乗らなくても十分目立つ。前輪が断末魔めいた軋みをあげながら沈み込む。そしてクリーン&ジャーク、鉄の塊を大胸筋の上に乗せあゆむの合図を待つ。よし。

「遠からんものは音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! 達磨だ!」

 豪快に高々と掲げた。

 だるまだ、確かにだるまだ、と観客が騒めく。しかし意味は分からない。当たり前である。ここで意味が分かるのは八年生会だけだ。

「貴様、それをどうやってっ!」

 件の熱血切り込み隊長は目に見えてうろたえる。

「くれと言ったら、くれた!」あゆむは叫ぶ。

 ぱたりぱたりと方々で膝をつく。続けてうめき声や、すすり泣きが聞こえた。『嘘だ!』『あんまりだ』『これで終わりなのか…?』落胆ぶりは惨憺たるもので、夢破れた甲子園球児でももう少し希望を持っていそうなものである。実行犯が居たたまれなくなるほどである。

(…本当にここまでする必要があったのか?)ふとあゆむは考えてしまった。

 大切なものを盗まれて舞台上で辱められて大達磨様を奪われた。すなわち最後の心の拠り所を落とされてしまった。あゆむの知る八年生会は不真面目で怠惰で善人ではないが『諸悪の根源』とは似ても似つかない小心者ばかりだった。何より方法こそ頂けないが猫を愛すもの同士である。それを取り上げてまで痛めつけることが最善だったというのか。

 小さな蟠りは彼の中でむくむく膨れ上がる。

 見れば隊長が一人熱く芝生に拳を叩きつけていた。

「くそ…おれたちが! 八年生会が! 何をしたっていうんだ!」

 …何をしたっていうんだろう。

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