第48話「懇願」

 戦いの定石は勝てる相手から倒すこと。

 当然、狙うべきは弱者になります。


「ふふふふ…………無様に逃げようと言うのなら良いでしょう? 私もまだ、神の力を使いこなせてはおりません。まずはこの虫けらどもの数を減らしてからゆっくりと我ら神の使徒なる教会のすべての権限を以てこの世界のどこに居ようと見つけ出し罪を償わせるだけですぅんふ!」


 凄い早口で何か詠唱みたいに聞こえる妄言を垂れ流すハルヴァトが、大剣に力を集約しています。

 その光はつい先程、黒須くんが防いだものと似ていますが、集まる量が半端ないことになっていました。


 それはまさに輝ける光の奔流。

 何かを叫んでぶっぱなしてほしい気もしますが、必殺技らしい名前はないようで、司祭は全身を輝かしながらねちゃっとした口調でとりあえず叫びました。


「んぅ滅ぉびよ叛逆者どもぉぉおぉお!!!!」


 束なった光がまるっきりビームとなってレイナとクラリス、街のゾンビたちに向けられます。

 もはや避けるとか防ぐとかそういうレベルではない、極大の神聖なビーム。

 攻城兵器もかくやといった威力の砲撃が、情け容赦なくレイナ達を飲み込もうとしました。


「ッ!」

「く、クロノス! おい!」


 当然、それを黙って見ている黒須くんではありません。

 持てる力の全てを振り絞って、皆の盾となります。


 全身から瘴気を放出し、黒い霧状の盾を作って何とか防ごうとしますが、もはや拮抗すらしません。防ぐというよりただの身代わりです。

 トリーの目には、一瞬で光に呑まれた黒須くんが見えました。


「だ、ダメだ、あれじゃすぐに消えちまう!」


 トリーとエレシュキンの前で、黒須くんはレーザービームを防ぐことも逸らすことも、為すすべもなく消えてしまうようでしたが、


「……いや、あいつ、耐えてる?」

「そんな、勇者さま、いけません」

 

 そも、黒須くんの目的は防ぐことでも逸らすことでも、なかったのです。


 どちらを選択しても、今の彼の力では周りはおろか自分さえ守れないことは分かりきっていました。守るべきものの数に対して敵の攻撃はあまりに無慈悲、どうあがいても被害をゼロにすることは不可能。

 そこで黒須くんの無意識は、最も効果的であろう方法を選択しました。


 司祭の放った光を自分の身体に集中させ、人身御供となることでレイナ達を守ろうというのです。

 何という涙ぐましき自己犠牲でしょうか。考えずに選んだ防衛手段に、自分の安全が含まれていないとは。 


 もちろん、そうすることで受けるダメージは、たとえ『勇者さま』といえども計り知れないものです。


「んなにッ!」


 流石の司祭も驚きました。


「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ゛ぐ゛ぐ゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛!゛!゛」


 それは地獄のような責め苦。

 黒須くんの身体は、無限の光の奔流に飲まれ流され弄ばれています。


 腕が弾けては戻り脚が千切れては戻り、胴体は崩れる寸前に何とか元の形を保持します。

 それでも力を失っている訳ではないようで、黒須くんから離れてレイナ達を襲うとする光を瘴気を操り自分の方へと引き込んでいました。


 絶死の力を一身に受けることに、どれだけの苦痛が伴うでしょうか。

 レイナとクラリス、そして街のゾンビたちは、黒須くんのおかげでまだ無事でした。


「あいつ抑えてやがる、さすがだぜ、おい!」

「いけません、あれほどの力を受けとめ続ければ、勇者さまが消滅してしまう」

「は、はあ!? 消滅って、あのクロノスが?」


 永遠に続くようにも思えた拷問の時間も終わり、司祭の放った光は霧散して消えていきます。

 司祭に限界が来たのか、理由はどうあれ黒須くんが消えることはありませんでした。

 自らを盾として皆を守った代償として彼の身体は、半分も原型をとどめていませんでしたが。


 もはや焼死体といった方がいいでしょう。黒く焦げた肉がぷすぷす煙を上げ、腕や足が歪に潰れています。

 それでもゾンビ、徐々に回復はしている様子。しかし生存は非常に怪しい、まさしく「死に体」でした。


「クロノス、おい、クロノス、大丈夫かよ、おい!」

「まだ存在は感じとれます、はやく救出するのです!」


 とにかく救出を、と走り寄ろうとするトリーとエレシュキンを、黒須くんはおそらく腕らしき部位を上げて止めました。

 まだ声帯が回復していないでしょう。ぱくぱく開閉する口から声は聞き取れませんが、近づかないでほしいという拒絶の意思が感じ取れます。


 トリーとエレシュキンの足も、その鬼気迫る様子に思わず止まってしまいました。


「……これを、止めるとは。予想外ですね。しかし、もはや貴方には立ち上がる力もない。身体は回復しようとしていますが、私には分かります。もはや、消滅寸前でしょう? 無様に抗うことの、なんと惨めなことか!」


「……ッ……ッ……!」


「ふん。実に愚かしい。神の力の前に勝機があるとでも思ったのですか。大人しく、いえ、子供らしく尻尾を巻いて逃げれば良かったものを」


 もはや剣を構えることすら止めたハルヴァトと、這いつくばる黒須くんが相対します。

 黒須くんはぼろぼろの命を搔き集めて、何かを伝えようとしていました。


「…………ぁい、」


「ん? 何ですか?」


「…………さぃ、」


 徐々に身体の外側だけは形をまとめ始めた黒須くん。かすれた粉っぽい声も、まともに聞き取れるようになってきました。

 身体は生まれたての小鹿よりも弱々しく、まだ立ち上がることは出来ないようです。

 それでも、彼はゆっくりと両手を地面につき、膝を立てて、力を込めて、


 こうべを地面に垂れました。


「……なんの、真似、ですか?」


 静かに目を細めるハルヴァトに向かって、黒須くんは不動の態勢をとります。

 古来より日本人が己の誠意と謝意と、時には退かぬ媚びぬ省みぬの精神を見せつける為に用いる、伝統手段。いわゆる、土下座(どげざ)。

 ジャパニーズ・土下座・スタイル。

 しかも服が浄化されているので、バイ・全裸。


 現実問題として、この世界にジャパニーズスタイルは流通していません。

 けれど四肢を折り背中を丸め地面に頭を付けたその姿勢は、紛れもなく恭順を示す敗者のポーズ。

 その行動が内包する意味は、土下座を知らない現地人にもほんのりと伝わったようです。


「何のつもりだと、聞いているのですが」

「……ゆ、るして、ください……――許して下さい、司祭さま」


 顔を上げずに発せられた言葉、それはもうまごうことなき『命乞い』でした。


「ゆ、許せ、と? ……私に貴方を見逃せと、そう言うのですか?」


 怒りに震えた声の司祭の問いに、黒須くんは頭を地に擦りつけながらふるふると横に振ります。


「違う? では貴方は、恥ずかし気もなく、何を許せと言うのです」

「みんなを……ほかの、みんなを、傷つけないで、ください」


 焦げた体からは涙も鼻水もすべて蒸発しており、声も乾いてひび割れているのに、それなのにその悲しさが魂に伝わってくるような、弱々しくも力強い、意思のこもった言葉。


 その様にトリーが思わず息を呑みました。


「ぼくは、どうなってもいい、から、みんなを、レイナさんを、クラリスを、トリーを、まちのひとたちを……エッダを、見逃してください」


「ク、クロノス」

 

 黒須くんは瘴気も使わず、ただただ何度も懇願します。

 その姿こそ、まさ神に祈る様。


「ふざ、けるな」

 

 しかしその中学生の敬虔な祈りも、神の力を手にした者には届きませんでした。

 黒須くんの願いを聞いた司祭の表情は、激烈な怒りに染まったのです。


「ふざけるな! 事、ここに至って、そんな妄言をッ!」


「おねがい、です、みんなを……」


「だまれぃ! 黙りなさい悪魔め! 許せだと? 見逃せだと? 舐めるも大概にするがいい! 神に選ばれた私に! 化け物どもを見逃す義理が、道理があると思うのか? 悪魔の言葉に耳を貸すと思うのか!?」


 黒須くんは恫喝を受けても顔を上げません。

 口角から泡を飛ばし激情に身を任せた様子の司祭ですが、言っていることはそれなりにまともです。


「僕が、僕の、せいだから……だから、みんなは……」


「そうだ貴様のせいだ! クロノス、貴様が私の愛する街を襲い、愛する人々を化け物にした! だから私が! 神の力を授けられたこの私が、穢れてしまった人々の罪を粛清しなければならないのです! なのに、なぜ貴様が守ろうとする!? もはや貴様らは我ら人類の、世界の、神の敵なのです! 罪には、罰を、粛清を、誇り高き死を与えん!」


「どうして……どうして……!」


 ゆっくりと泣きそうな顔を上げる黒須くん。どれだけの懇願も通用しないことに強い苛立ちを感じさせる声色でした。

 声帯と四肢の回復にリソースを割いたためか、まだ万全ではなく体の半分は爛れたような状態。とても戦うことはできないでしょう。


 目の前には、言葉の通じない恐ろしい敵。

 主人公は、それでも声を張り上げます。


「みんな、みんなもとは人間なんだ! お願い、殺さないでよ、きっと何もしない、僕がなにもさせないようにするから、だから……」


「黙れと言っているのか聞こえないのかクロノスぅ! 神に仇名す悪魔めが、これ以上の諫言は地獄でするがいい! 死を、貴様ら全てに死を、死をぉぉぉおおおお!!!!」


 慈悲なく大剣を振り上げるハルヴァト。再び光が集まり始めます。今の黒須くんに同じ攻撃を受け止める力など残っていません。


「そんな……どうして、どうしてなんだ……」


「逃げるぞクロノス! 今度こそやられちまう!」


 トリーはレイナとクラリスを抱きかかえ、二人を司祭の射程範囲外へと撤退させていました。

 叫びながら黒須くんに駆け寄ろうとします。言うこと聞かない子供を担いででも連れ出すつもりなのでしょう。


「どうしてだよ……なんでこんなことに……なるんだ……どうして……わかってくれないんだ……ふざけてるのは、そっちだろうが……みんな、人間なんだぞ」

「勇者さま。もはやこれまで。あの戦士の言うとおり撤退を。わたくしの肩をお使いください」


 いつの間にか黒須くんの隣に出現したエレシュキンが、手を伸ばしました。

 珍しく彼女が自分から申し出た手助け。 

 しかし差し出されたその腕を、黒須くんは払います。相当な力が込められていたようで、その途端彼女の腕ははじけ飛びました。


「……勇者、さま……?」


 実体を持った幻影であるエレシュキンの身体に、ダメージをありません。

 一瞬で元には戻りますが、黒須くんの様子に衝撃を受けているようです。


 普段の彼からは想像出来ない乱暴な行動。

 彼の中で、何かが生まれようとしていました。


「なにが、神だ、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな……神なんか、知らない、僕が、僕が……守るんだ……!」


 ボロボロで空っぽになっていた黒須くんの身体から、禍々しく、黒よりも暗く闇より深い色の瘴気が溢れ出します。

 外に漏れ出た瘴気は、一旦空中を汚したあと黒須くんの身体に戻っていきました。


「勇者さま、お気を確かに、」


「僕が、僕が、守る……まも、る……守る、ために゛……?゛」


「……!?」


 その時、黒須くんから爆発するように溢れた瘴気の渦が、エレシュキンを捕らえました。


「消ぃぃぃぃいいえぇぃ去るがいいぃぃぃぃぁぁあああああ悪魔ぁああアアアアァアアァアアアア!!!!」

 

 司祭の振るう聖遺物の大剣から最大出力の衝撃波が放たれるのと同時に、エレシュキンを取り込んだ黒須くんの瘴気が爆発的に膨れ上がります。


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