第42話「もう一つの決意」
「……どう? もう動けそう?」
「ええ……ごめんなさいね、もう大丈夫よ」
多少なりとも平静を取り戻したデューカが、ハーディから離れて自分の足で立ちあがりました。顔色はまだ良いとはいえず、彼女の言葉通り万全とはいえないようですが、取り敢えず動けるくらいには回復したようです。
「取り敢えず……エレシュキンの解放はクロノス達に任せて、僕らは街を回ろう。ボーゼさん達を探して、ミズヴァルの様子を伺うんだ。……出来れば生存者を見つけて」
最後は小さく呟かれました。デューカがまたふさぎ込んでしまうのではと、明け透けに言える言葉ではなかったのです。
「気にしなくてもいいわ、ハーディ。急いで、まだ助けられる人を探しましょう」
そんな気遣いは簡単にばれていたようで、デューカは自ら心を傷つけながら、気丈に振る舞います。
「……そうだね。行こうか」
これ以上気遣いすぎるのは駄目だ、とハーディも態度を改めました。今は出来ることをするのが何より大事だと言い聞かせながら、路地裏を出ます。
すでにトラソル一味の面々は路地裏を出て街中を走り回っていました。ハーディと同じように暴走している仲間を止める為、そして生存者を探すために。
彼らは黒須くんに近い存在ではない為、仲間を正気に戻すことは出来ませんが、無理矢理縛りつけるなどして自由を奪うことは出来ます。
「それにしても、やっぱり自我が戻ることはないんだね……多少動きが大人しくなるくらいだ」
通りに出た二人が見たのは、呻き声を垂らしながらただそこに佇む屍者の群れ。その中に話が出来そうな人は一人もいませんでした。
まだ袋小路にいる屍者がデューカのように正気に戻らなかったことから、黒須くんやそれに近い屍者の『瘴気の波長』で元に戻る、というのには何らかの条件があるのではと考えていた二人にとって、それは予想出来た光景でした。
「さっき、クロノスちゃんが叫びながら走っていった効果はあったみたいね。一応は被害が広まらないようになってるわ」
「けどこれじゃあ……その場しのぎだ。いつ動きだすかも分からないし」
話しながら二人は駆け出しました。黒須くん達とは逆方向に、街の方へと向かいます。エッダに案内してもらった土地勘のある場所を中心に動き、散策を終えた二人は一度立ち止まりました。
「駄目ね……皆も見当たらないし、正気に戻った人はいない……生きている人も」
ここに至るまで、見たのは襲い掛かる標的を失って彷徨(さまよ)うだけの屍者がほとんど。黒須くんの声の届く範囲でもないので、当然といえば当然です。
黒須くんに直接噛まれ、ゾンビ強度が高いハーディがいたので、襲い掛かってきた屍者たちは彼の瘴気を少し浴びると動きが大人しくなりました。ただし、誰も正気を取り戻すことはありませんが。
「この辺りにいるのは……もう、正気に戻らない人達なのかな。クロノスが声をかけたりすると変わるんだろうか……」
黒須くんのいる場所で起こった出来事を知らないハーディは、いまだ淡い期待を消すことが出来ません。
この場にいるのは勇者と位相が離れすぎた屍者のみ。もはや彼等が元に戻ることは、ありえません。
「けれど、本当に多いわね。この辺りを探すよりもっと奥の方に向かった方がいいのかしら。ここは入り口に近いから……私達に近かったって、ことだもの」
「……そうだね。もっと街の奥、入り口の遠くにいった方が生きている人も残ってるかもしれない。いくらねずみ算式で増えるっていっても、抵抗しないまま増えていったはずは、」
そこまで言ってハーディはふと何かに気付いたように口を閉ざしました。
(抵抗……? そうだ、いくら屍者の力が強くても、この街は沢山の人が居る、衛兵も教会の聖務騎士もいた筈だ。いくら対抗策がないからって、数の暴力で圧倒出来たはず……)
「……ねえデューカ。辛いことを聞くかもしれないけど、いいかい?」
「……? え、ええ。構わないわよ」
「ありがとう。……君の記憶って、どこまで残っているの? 街に入ったところから全部覚えてる? それとも、断片的に?」
突然黙りこくったハーディを伺っていたデューカが、彼の様子を訝しみながらもその問いに答えます。
「そうね……。はっきり覚えているのは、その、……もう忘れたい記憶だけね。逆に、それ以外の記憶は曖昧だわ……何となく、街の風景がぼんやり思い浮かぶくらい」
「……ごめん、辛いことを聞いてしまった」
「いいわ、もう、振り返っても仕方がないことだもの。でも、急にそんなこと聞いて、どうしたの?」
「ちょっと待って……少し頭の中を整理したいんだ」
ハーディは近くにあったベンチに腰掛けました。その隣に、不可思議そうにデューカも座ります。
(――デューカは自分にとって、衝撃的な出来事しか覚えてない。だったら他の皆も同じだろう。つまり、結界に入ってきた皆から情報を得ることは出来ない。彼女はこれを知っていた?)
小さく小さく胸の奥で燻ぶっていた、心の中の火が揺らめきました。その疑惑という火は追い風にあてられ、徐々に大きくなっていきます。
(――ミズヴァルはかなり広い、一日かけても回り切れないくらいの大きさだ。僕らだって初日で見ることが出来たのは一部分だけで、そんな街がたった一晩で……?)
まず思ったのは、街の状態です。目が覚めてから今に至るまで彼が見たのは、完全にゾンビとなった町の住民たち。どこかに固まって彼等から身を守るような、そんな人達は見ていません。
何よりどのゾンビも、緩慢に動いてはいるのですが標的を見つけた様な激しい動きをしていませんでした。つまり、この辺りにもう生者はいないということ。
(――もし今も生きている人がいるなら、何らかの痕跡が残るはずだ。それに人がいるなら、今までの行動を考えれば屍者はそれを追いかけていく……こうやって満遍なく街が侵されるのは相当な時間がかかるはず)
じわじわと心の内から、焦燥感にも似たざわつく感情が浮かび上がってきます。このままではいけないと、彼の中の疑問が囁き声をあげていました。
(確かに、屍者が増えるスピードは速いだろう。一人が二人になって、次は四人だ。だからといって、これは確実におかしい、誰かが手を加えないと、1日でこんな――?)
そこで唐突に浮かんだのは、こんな言葉。
――――魔法をかけてあげます。
「ッ!!」
「……ハーディ?」
がたり、跳ね上がるように立ちあがったハーディの背中を、デューカが見上げます。
その声を聞きながら、ハーディは黒須くんが向かった方向、大聖堂のある丘を見上げました。
今、黒須くんは彼女と何をしようとしているのでしょうか。そのことが、とても恐ろしいことのようにハーディには感じられます。
「デューカ、今からクロノスのところに向かおう」
「急にどうしたの? そんな怖い顔して……何か、まずいことが?」
明確に雰囲気の変わったハーディを、デューカが心配そうに見つめます。
「分からない、分からないけどこのまま事が進めば、とてもまずいことになる予感がする。――僕らは、流されて全てを信じすぎた。もっと疑問に思うべきだったんだ、この現状を」
「……私には分からないけど、何か考えがあるのね? ハーディ」
「ああ、とにかく急ごう、終わってしまう前に、問いただす必要がある」
そう言うなりハーディは駆け出しました。慌ててデューカも追随します。普段より言葉足らずで、思いやりのある彼とは思えない程雑なデューカへの対応。しかしそれは彼の内心を表していました。
ハーディは今、湧き上がる怒りと焦りに身を焦がしているのです。推測が当たっていれば、デューカが苦しんだ原因もそこに起因すると。
駆けながら彼の脳裏に浮かぶのは、恐らく今回ミズヴァルに起こった悲劇の黒幕。
目指すは『聖遺物の大剣』がある場所。そこに彼女が居る筈。
(本当だったら許さない。一体何を、何を企んでるんだ――エレシュキン!)
惨劇に満ちたミズヴァルでまた一つ、決意が生まれていました。
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