第41話「悲しい決意」

「うう……苦しいよ……苦しいいよおお……お゛ね゛え゛ち゛ゃ゛ん゛」


 エッダの抱き寄せた子供のうち一人、仮面を着けたままだった子供が、彼女の褐色の首筋に噛み付きました。その時に外れた仮面の下には、脈打つことのない血管がグロテスクに浮かぶ、小さく異常な傷跡がありました。

 

 その子供は、すでに《屍者》だったのです。聖堂に逃げ込む前、エッダ達を逃がそうとしたシスター達と市民屍者との決死の抵抗の際、同じような子供のゾンビに噛まれていたのでした。

 噛まれた傷が小さかったのと、子供ながらに必死に抵抗していたことから、今の今まで正気を失わなかったのでしょうか。


「!? エッダ!」


 突然のことに、他の子供も、噛み付かれたエッダも、なにが起きたのか分かりません。ただ、黒須くんたち傍観者だけが、その光景を理解できたのでした。首元に食らい付く子供、噴き出る血液、引き攣るエッダの表情。


「どうやら勇者さまから離れて祝福を受けた者は、『屍者』の発現が遅れるようですね。その子は、ずっと前から死んで、『屍者』化していたようなのです」


 エレシュキンだけが、冷静に状況の説明を行います。


 痛みと共に現実に戻ってきたエッダ、引きはがそうとしますが、子供とは思えないその力に、彼女の細腕では全くびくともしません。


「い、いやああああああ!」


「くそっ、『エッダを離せ』!」


 黒須くんの命令で、動きを止めるゾンビボーイ。開け放たれた口からはだらだらとエッダの血肉を垂らしています。動きはしませんが、やはり正気に戻る様子はありません。


「う、ううう、ぅぅう」


「エッダおねえちゃん、だいじょうぶ?」「おねえちゃん噛んだらダメだよ、トニー!」


 状況を理解していない子供たちが、エッダ周りに寄って、心配そうに見上げます。それはこの場合、絶対してはいけない行為。しかしゾンビ映画の十八番なんて知る由も無く、惨劇の幕開けはすぐそこまで迫っておりました。


「う、うううぅ、ぅぅぅううあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛」


 突如呻き声をあげ、頭を抱えるようにして震え出すエッダ。


「おねえちゃん……?」


「ッ! 離れろぉ!」


 咄嗟にトリーが子供たちとエッダの間に飛び込み、彼女の胸倉を掴んで聖堂の隅へと放り投げました。間一髪、トリーが少しでも遅れていれば、エッダの口は愛すべき姉弟を喰らっていたところでしょう。


 離されて尚、狂ったように迫るエッダ。黒須くんが焦って彼女を止めに掛かります。


「エッダ! いけない、正気に戻るんだ!」


「う゛、゛う゛う゛、゛あ゛あ゛?゛」


 黒須くんの声に動きは止まりますが、エッダは未だバーサク状態。荒い息を吐きながら、剥き出しの歯と構えた爪は下ろされることがありません。足を止め、ただただ狂気を剥き出しにしたその見た目は、《屍者》という存在がどういうものかを如実に表していました。


「そんな、どうして正気に戻らないの? ねえエッダ!」


 黒須くんがエッダに近付き、その肩を掴んで呼びかけますが、エッダが人間らしい反応を見せることは一切ありません。


「なるほど、こうなるのですか」


 その淡々とした言葉が、この場に空々しく響きました。


「彼女は、勇者様との位相が離れすぎたようですね。


 他の街の住民たちも同様の存在。


 ならばもはや、『屍者』として自我を取り戻すことは絶望的なのです。


 ごく一部の、まだ勇者様に近い存在の屍者でしたら、大丈夫でしょうけれど」


 エレシュキンがエッダの様子を見て冷静に、情報を述べます。街を惨劇に変えた原因は、彼が直接の原因でない仲間達。

 その事実を告げられた黒須くんの表情は真っ青になります。


「そ、そんな! 正気に戻るって、街は助かるって言ったのに!」


「活動は止まる、とは申し上げましたが、それ以上のことを申した覚えはありません」


 あくまで涼し気なエレシュキン。彼女にとっては、今起きていることもただの現象。勇者の力がどういうものかを確かめる情報源でしかないのです。


 そうしている間もエッダは苦し気に呻きます。トリーやクラリスはまだ無事な子供達を離して、安全でエッダが目に入らないような位置へと移動させていました。


「手遅れなのです。しかし、彼女が勇者さまの仲間になったことに変わりないのですし、問題ないのでは?」


「……ダメだよ……エッダは、子ども達を襲おうとしたんだよ!? あんなに、大切だと思っていたのに、家族なのに!」


 涙を浮かべながらエレシュキンと言い合う黒須くん。しかし、二人の考えは根本から違います。人間である彼の言い分が、魔族であるエレシュキンに通用する筈がないのです。


「襲ったのではないのです。『屍者』として、新たに仲間を増やそうとしたのです」


「自分が誰かも分からないなんて、訳もわからず人を襲うなんて、そんなのもう、ただの化け物じゃないか! 何が仲間だよ!」


「ええ。おっしゃる通りでございます」


 そしてエレシュキンは黒須くんに一歩詰め寄ります。ただ無表情なだけでなく、その見た目にはそぐわぬ迫力が、黒須くんを襲います。


「その化け物どもを救うために、勇者様はこの世界を、ひいてはまずわたくしたちを、救うしかないのですよ。それが唯一の道なのです」


 有無を言わせぬ口調のエレシュキン。その言葉に、黒須くんは押し黙ってしまいます。


「……!」


 俯いて今にも泣き出しそうな、叫び出しそうな表情の黒須くんにレイナが近寄ります。


「……クロノス、子どもたちは頑丈な扉の奥に避難させた。……安全は保障できないがな。先を急ごう。これ以上被害が拡大しないうちに……」


「……ありがとうございます、レイナさん……」


 魂を失ったように虚空を見つめ、時々思い出したようにか細く呻くエッダを見つめる黒須くん。彼女がこうなったのは自分がいたから、街が今崩壊しつつあるのは自分が来たから。この世界で起きた全ての事実が、全て自分の存在へと繋がってしまいます。心に出来た傷は更に大きくなり、とめどなく血を流し続けていました。


「…………僕が……僕が救えばいいんでしょ……救うよ……君たち魔族も、この街も、この世界も……!」


 それは血を吐くような、決意の言葉。 



「それでこそ、勇者様なのです」



 エレシュキンの言葉が、黒須くんの心に虚しく響くのでした。

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