第40話「伸ばした手の先」

「エレシュキン! 街の四分の三くらいはゾンビになったって言ってたけど、具体的にはどれくらいなの!?」


 ハーディたちと別れ、街の丘側へと坂道を駆け上る黒須くんは、後ろから宙に浮きながら付いてきているゴスロリ魔族に問いました。


「《ぞんび》ではなく『屍者』でございます、勇者様。そうですね、街の正面からお仲間の方々は侵入したようで、麓一帯は八割ほどが壊滅状態のようです。しかし丘の上、憎らしい『教会』付近は、比較的『屍者』たちも近づけないようで、損害は少ないようですね」


「! わかった!」


 黒須くんの胸中には、ひとつの心配事がありました。


(大丈夫かな、エッダ……!)


 教会区の中腹には、褐色の案内人少女エッダが暮らす孤児院があります。彼女の身に何事もなければ、と願う黒須くんですが。


 その願いは、まんまと裏切られます。


「クロノス、あれは?」


 あたりを注意深く探っていたらしいレイナがもっとも早く、その異変を見つけました。


「あん? な、なんだあの『屍者』の量!?」


「い、いっぱい群がってるぞ!」


 丘のずっと上の方、離れていてもわかるほどにおびただしい数のゾンビが蠢いていました。


「どうやら、教会に近づけない『屍者』たちがこの周辺に集まってるようですね」


「……孤児院の方だ!」


黒須くんは走る速度をさらに上げます。


「勇者さま、今は教会へと向かうことを、優先すべきかと!」


 キャラに似合わず、エレシュキンが声を荒げました。たしかに、いち早く彼女の封印を解き、街中のゾンビの活動を停止させた方が、全体の被害としては少なくなるでしょう。

 しかし黒須くんは止まりません。利害を換算して目の前の人を見捨てることができるほど彼は大人ではなく、無暗に他者に従うほどに子供でもないのです。


「でも、このままじゃ、エッダが、孤児院の子供たちが……!」


 黒須くんはゾンビ集団に襲われる孤児院を目指して駆けます。仲間達はそんな彼を追うしかありません。



 多くのゾンビに囲われた孤児院ではといいますと。


「なんなの、なんなのよ、これ……!」


 そこは孤児院の敷地の一角にある、集会などに使われる小さめの聖堂でした。普段は規則正しく長椅子と机が並べられていますが、今は雑然としています。建物の中にバリケードを作り、窓には間に合わせのように釘で板が張られていました。


 そして、外から聞こえるのは壁や扉や窓を叩くいくつもの音と、気味の悪いうめき声。エッダと何人かの子供たちは、部屋の隅で息を殺していました


「……おねえちゃん、おなかすいたよ……」

「エッダねえちゃん……こわいよぉ」

「うう……苦しいよぉ」


 薄暗い室内で、小さな子供たちは不安そうに怯えています。食堂とは離れた建物ですので、ここには食べ物もありません。どの子供も泥やホコリ、怪我などで汚れており、中には赤ん坊もいます。


「大丈夫……大丈夫だから!」


 ほかの子供の不安な声によってか、一番小さな赤ん坊がぐずつきました。エッダはあやしながら、気丈に元気づけます。


「きっと、司祭さまがもうすぐ助けてくれるよ! だからみんな、もうちょっとだけ頑張ろう?」


 エッダの明るい笑顔に、子供たちも少し落ち着きを取り戻した様子。しかし、気丈に振る舞うエッダも、すでに満身創痍。精神的にも疲弊しています。


 彼女自身、ハルヴァトが助けに来ることを信じていないのかもしれません。


(もし司祭さまが無事なら……もう、助けに来てくれているはずなんじゃ……)


 疑念を取り払うようにエッダは、子供達を励まし続けます。この場で一番年上の彼女は泣くことも甘えることも許されていません。追いつめられた心は既に限界。いつ破裂してもおかしくはありませんでした。


 いずれお粗末なバリケードも破られる、ならもういっそ他は見捨てて自分だけ逃げてしまえと囁く声を聞かない様に、希望だけは捨てないように、エッダは子供達を守る、という意志だけを再び固めました。


 エッダが表情を引き締めたその時です。大きな音をたて、入り口のバリケードの一角が崩れました。ゾンビたちが、ついに扉を突き破ったのです。


 隙間から次々と溢れ出す腕、一度崩れた防壁はあまりに脆く、次々と崩れ落ちていきます。


「そんな!」


 ゾンビ達がこじ開けるように無理矢理体をねじ込み、暴れ狂いながら次々と聖堂内に侵入してきました。血と腐った匂いが巻き散らされ、暗がりに隠れる標的を狙ってゾンビは彼等にじりよっていきます。


 なんの力も持たない少女と子供たちでは、ゾンビに敵うはずもありません。もう助からないと、子供達一斉に泣き喚きます。


「う、うわああ!」「助けて、たすけてー!」「おねーちゃーん!」「苦しいよぉ……」


(たすけて……誰か……!)


 涙を浮かべながらも皆の前に立ち、なけなしの勇気を振り絞るエッダ。迫り来る死者の恐ろしい姿に、膝は震え全身に力が入りません。


 まさに絶体絶命。もはや彼女達になす術はなく、あとは奴らの仲間にになるのを待つだけ。エッダの頬を涙が伝いました。


 しかしその時。


 板を打ち付けていた窓が割れて、誰かが勢いよく飛び込んできました。丁度エッダとゾンビ達の間に立ち塞がったその人物が、黒い靄のようなものを振るうと、群がっていた扉ごとゾンビが外に吹き飛んでいきます。


「大丈夫、エッダ!?」


「く、くろ、のす?」


 聖堂を見て一目散に飛び込んだ黒須くんが、瘴気の爆発で奴らを吹き飛ばしたのでした。


「よかった、無事だったんだね!」


「う、うん……え?」


 状況が読み込めない様子のエッダ。黒須くんが吹き飛ばした扉から、続々と仲間たちが続いてきます。


「間一髪ってところか……っておい、クロノス! まだ近づくな!」


 ハーディが、エッダの方へと踏み込もうとする彼を止めようとします。しかし、強力な瘴気を操る彼に近づくことが出来ません。ハーディが叫んだ言葉の意味を考える余裕もなく、黒須くんはエッダに駆け寄ります。


「もう大丈夫だよ、エッダ! さあ、早くここから逃げよう!」


 強力な瘴気を操る黒須くんは、まだ聖堂内にいる元人間のゾンビを消滅させないように、とても手加減して吹き飛ばしていきます。活動を再開して話がややこしくならないうちにと、エッダの手を取ってこの場から離れようとします。

 

 しかし、


「い、嫌! 離して!」


 掴んだその手は、叫びと共に振りほどかれました。


「え?」


「クロノス……先走り過ぎだよ、馬鹿野郎……!」


 トリーが苦々しく呟きます。黒須くんたちは今、正体を隠すためのローブも仮面も身に着けていません。彼が先程黒須くんに叫んだ理由はそれでした。


 一体その事実が何を意味するのでしょう? 彼等がミズヴァルの街を歩けた理由とは、一体何だったのでしょう? その答えがエッダの漏らした言葉にあります。


「ば、化け物……ッ!」


 エッダの浮かべる拒絶と恐怖の表情。そこにあの時見せた人懐っこい笑顔はどこにもなく、助けが来たことへの安堵など皆無。腰を抜かし、黒須くんから距離を取ろうと必死に後ずさっています。


 彼女から見れば、颯爽と現れた今の黒須くんは、今まで見てきた化け物たちよりも更に悍ましい気配と雰囲気を放つ、死人の親玉のようにしか見えないのでした。


 ローブを着ていない事に気付いた黒須くん。あれを着ていない自分が周りから、まともな人間からどう見えているのかを初めて体験し、エッダの拒絶が彼の柔い心をじくじくと痛めつけます。


「ど、どうしてクロノス? あなた、人間じゃない、あたし、騙されてたの!?」


「違う! 違うよ、エッダ! お願い話を聞いて……!」


 今は自分のことなどどうでもいいと、黒須くんはただエッダを諭そうとします。しかし、ここまで街の惨劇を見てきたエッダに、彼の言葉など届きません。


「どこが違うのよ! あなた、あなたが、街を、あたしの街をめちゃくちゃにしたの!?」


「そうじゃないんだ! ……そうじゃないんだよ!」


 あながち間違ってはいないですけれどね。ハーディを初めて食べた時からずっと頭の片隅にあった罪悪感に、エッダの言葉は鋭く突き刺さりました。


 困惑するエッダは、子供たちを強く抱き寄せ、守るように黒須くんを睨みつけます。


「近寄らないで化け物! 子供たちから離れて!」

「うう……おねえちゃん、苦しいよ……」


「落ち着いて、エッダ!」


 取り付く島もないといった完全な拒絶に、黒須くんはどうすることもできません。ハーディの言葉を聞いて、途中でもローブを纏えば結果は変わったかもしれませんが、もう後の祭りです。


「ッ!? ……待て二人とも!」


 平行線を辿る屍者と生者のやり取りの中、何かに気付いたレイナが焦りを含んだ声色で叫びました。

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