第39話「僅かな希望」
「わたくしが説明いたしましょう」
突如現れたエレシュキン。もはや誰も驚いたりはしません。慣れたというのもあるでしょうが、この状況に彼女が関与してくることが容易く予想出来たというのが大きいでしょう。
「……何か知っているの、エレシュキン?」
警戒した様子で話しかける黒須くん。彼女のせいでこうなったのではと、そういう疑問が湧いてくるのを抑えることが出来ません。
「てめえがあたしの可愛い部下になんかしやがったのか!? ああん!?」
クラリスは今にも銃を撃ち放ちそうな状態。彼女もまた、エレシュキンに原因があるのでは、と思っているようです。
「うるさいのです、ちっこいの。わたくしは何もしておりません。ただ……」
言いよどむエレシュキン。
「ただなんだよ?」
「わたくしが思っていた以上に、《死の祝福》の強制力は、強かったようなのです」
「……どういう意味だい?」
膝をついたままのデューカに寄り添いながら、ハーディが訪ねます。多少落ち着いたデューカも顔を上げ、事の成り行きを見守っていました。
「わたくしは、街の外の皆がなにかあった時に暴れないよう、内側に向けた防御魔術を構築しておりました。しかし、《祝福》の力はわたくしの予想をはるかに超えていたのです。夜になって結界の効力がより一層強まった時に、防御術は解除され、結界を止めることが出来ず……その後は」
そう言ってちらりとデューカ含め暴走したゾンビ達を見るエレシュキン。
完全状態ならばこのようなことにはならなかったでしょう、と続けました。
つまり、ミズヴァルがこうなった直接の原因は、外で待機していた仲間達にあるのです。例え自分の意思では無かったとはいえ、この惨劇を作り出した事実を改めて付きつけられたデューカ達。
再び悲壮簡に顔を染め、がたがたと震え出します。
そしてエレシュキンは追い打ちをかけるように、更に事実を重ねます。
「既にこの街の四分の三以上の住人が《屍者》化しています。もはや止めることは能わないでいしょう」
具体的な数字を告げられ、黒須くん達は絶望感に包まれます。ミズヴァルの街は広く、知らない場所など沢山あります。その至る所にゾンビが溢れている光景など、地獄絵図に他なりません。
「そんな、どうすれば……このままじゃ、被害は増えていく一方じゃないか!」
黒須くんが叫び、他の面子が暗い顔のまま固まってしまいます。
「……おい、死霊妃。さっきデューカたちはクロノスの声で正気に戻った。他の街の住人も、それでなんとかなるんじゃないのか?」
おお、三章に入ってから食っちゃ寝しかしてないレイナさんが、久々にまともなことを言いました。彼女の言葉に、黒須君がはっと顔を上げます。
「ええ、あくまでも《屍者》は《屍者》、勇者様やそれに近い方の瘴気の波長に触れれば、理性を取り戻すことができる……はずです」
「な、なら、皆に僕が声をかければ!」
光明が射した、と身なの表情が少し和らぎました。しかし、そう甘くはありません。エレシュキンが現実を突きつけます。
「仰るとおり、街中を巡ってすべての住人を正気に戻していけば、いずれ騒ぎは沈静化することでしょう。まあ、そうやっている間に現在生存している住人も《屍者》化し、街の外にまで溢れ出すでしょうけれど」
エレシュキンは何の感慨もなく伝えました。いくら効果があるといっても、多勢に無勢。時間も何もかもが足りていません。
「そ、そんな……」
「なんか方法はねえのかよ!」
「わたくしとしましては、《屍者》の増加は勇者さまの力が増えることと同義ですので、特に問題視することとも思えないのですが?」
あまりに冷たい意見に、黒須くんが怯みます。しかしエレシュキンは人間ではなく、ミズヴァルや人間に思い入れがある訳ではないでしょう。同情してもらえると思うほうがお門違いです。
「お願いエレシュキン……このまま街の人達が襲われるのを、黙って見てられない! 見捨てることは出来ないよ! 何か方法はないの!?」
懇願するように、涙目になりながら黒須くんはエレシュキンに縋ります。今は、彼女に頼るしかないのです。
「勇者さまたっての願いとなれば致し方ありません。そうですね……わたくしの本来の力があれば、この街程度の範囲でしたら《屍者》の活動を止めることは可能です」
「じゃあ、すぐにキミの封印を解けば、街は救えるんだね?」
「約束いたしましょう、勇者さま。嘘であったならば、この首を差し出しても構いません」
エレシュキンの言葉を信じたかは定かではありませんが、皆の表情に意志が満ち始めます。
「よし決まりだな。最初っから目的は死霊妃の解放だ、結局変わってねえ。さっさと行ってこのふざけた祭りを終わらせてやろう」
「……そうだな」
トリーとレイナが各々の獲物を構えながら、手早く準備を整えます。走るのに邪魔なローブは脱ぎ去って、懐にしまってしまいます。
黒須くんも同じようにローブを脱ぎ、動きやすい格好になります。ナイフもトリーに預けました。この街においての彼の武器は『声』と『瘴気』です。特に問題はないでしょう。
皆が素早く準備を整える中、いまだ動けないデューカの傍を離れないハーディが声を掛けました。
「…………みんな、先に行ってくれないか?」
「ハーディ?」
「ボクは、残っておくよ……デューカたちが心配だ」
そう言ってハーディはうずくまったままのデューカやトラソル一味たちを見回します。精神的ショックが大きいようで、まだ動けそうにはありません。
「ボクはクロノスに直接噛まれている……勇者に近い存在だからね。傍にいればみんなが正気を失うこともないはずだ。……落ち着いたら、ボーゼさんやゴッゾさんたちも見つけ出して、合流するよ」
「……わかった、皆をお願い、ハーディ」
「ちくしょう、アタシの可愛い兄弟どもを頼んだぞ!」
「無理だけはすんじゃねえぞ」
「何かあったらすぐ逃げろ。……状況が状況だからな」
そう言いつつ、路地裏の入り口の方へと走り出す黒須くん達四人。あとに残されたハーディは小さく「……頼んだよ」と呟きます。
こうして黒須くんはハーディ達と別れたのでした。
「ごめんなさいハーディ……早く、街を救わないといけないのに……」
デューカは苦しそうに呻きます。ハーディは慰めることも出来ず、ただ側にいることしかできませんでした。
人を食い殺す記憶。それはハーディにもデューカにも、街に来る前からあったものです。しかし、彼らは食らい、食らわれた後も語り合うことで、その行為を一種のコミュニケーションとして覆い隠し、知性ある獣として自意識を保っていました。
しかし、デューカは理性を取り戻すことのないままに、何人もの人を襲ったのです。獣のままに、泣き叫び逃げ惑う人々を、食らって食らって。抗うことの出来ないその本能のままに。
一方的な暴虐の記憶に彼女の精神は軋みをあげ、耐えきれなかった心にひびが入ったのです。
「……ごめん、もう少しこうしていていいかしら……」
そう言ってデューカはハーディに抱き付きながら、その胸に顔をうずめました。温もりを求めるように、縋るように、怖い夢をみた赤子のように、ただただ彼に身を預けます。
ハーディもまた、彼女の背中と頭を優しく撫でて、弱り切ったその心に寄り添います。
「……大丈夫。クロノスたちなら、うまくやってくれる」
トラソル一味に追われていた時に彼女から言われたように、「気にするな」という言葉をかけることはできませんでした。彼女の苦しみはもはやそんな次元のものではないと、ハーディは感じ取っていたのです。
「……きっと、クロノスがいつか《魔族》を救って、ボクらも、街の人たちも、きっと元に戻してくれるよ」
「ええ……そうね……」
気休めにもならないということがわかりつつも、ハーディはそんなことを言いました。
かすかに胸の奥で揺れる、疑念の炎を隠しながら。
――その後ろで、未だ自我が戻らない屍者が一人、何をするでもなくただ虚ろな目を空に向けていました。
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