第38話「惨劇をおこしたもの」
ものの三分もしない内に、全員がトリーの部屋に戻ってきました。流石にのんびり支度をするほど状況が読めない訳ではないようです。
「さて……どうやって出ようか。そこの窓から落ちると下は……あれで一杯だし」
今階段には家具が詰められており、簡易のバリケードの役割を果たしています。
「出口がないなら作ればいいだろう、ちょっと離れてろ」
そう言ってレイナは槍を構えました。そしてそのまま軽く上に振り抜きます。纏った炎の瘴気が天井を突き破り、破片も瓦礫も彼方へ吹き飛ばしながら大穴を開けます。大して派手でもない動作から繰り出された馬鹿らしい威力を、黒須くんたちは呆然と見上げました。
「……さて、朝食はどうする?」
恰好いいことをした後に、格好悪いことを言うレイナ。なんとも締まりません。
ひとまず宿の屋根から脱出した黒須くんたちは、ゾンビ脚力による爆走で屋根の上を走り抜けて、ひとまず徘徊ゾンビ達のいない、狭い路地裏にたどり着くことが出来ました。
「このあたりには、奴らはいねえみてえだな」
「逃げ切ったみたいだね。ありがとう、レイナさん」
「ふん……」
ふぉん、と槍を振って、不機嫌そうな表情を隠そうともしないレイナ。その苛立ちは、この意味不明な現状に対してか、それとも朝食を逃した不満からか。
多分どっちもでしょうね。
「んで、あれはなんだ? 今の状況は? ……一体、何が起きてやがる」
剣呑な眼つきで通りの方を見やるトリー。あまりに想定外の事態に、彼も混乱しているようです。無意識に、黒須くんの方を見てしまうのも無理はないでしょう。
「分からない……僕にも、何が何だか」
言葉は無いにしろ、疑惑の目を向けられていることは分かる黒須くん。確かに、元をたどればゾンビ化の力は彼に行き着きます。ですが、訳が分からないのは彼も同じ。頭を抱えてしゃがみこんでしまっていました。
「……彼ら、《屍者》に見えたね。……ボクらと同じ。しかし、理性を保っているようには見えなかった。それに、クロノスを襲っていた……?」
剣の柄に手を添えながらも、ハーディは現状の把握を続けます。
「なんだって街の奴らが屍者になってんだ? ……悪い冗談は言いたくねえが、誰か夢遊病の気でもあんじゃねえだろうな」
「……あたしの足は汚れてなかったぞ、口もだ!」
「……冗談だって言ったじゃねえか……流してくれ」
トリーの発言におぞましい想像をしてしまったクラリスが、彼を睨みます。
「クロノス、何か心当たりはないのか? 何でもいい、思い当たる節は、ないのか?」
「そんなこと聞かれても分からないよ! 僕に聞かないでよ!」
「…………」
問い詰めるような口調になってしまったレイナの言葉に、黒須くんが反発するように答えてしまいます。心の余裕がないこの現状、冷静に話し合うには時間が経つか、何かのきっかけが必要なようです。
ギスギスした空気が濃くなりそうになったその時、遠くから叫び声が聞こえました。
「!? 今のは……」
「悲鳴だ……誰かが襲われてる、助けなきゃ!」
「お、おい、クロノス! 待てよ!」
「あたし達も行くぞ!」
声の聞こえた方角へと走る黒須くん、そしてそれを追いかける一同。
左程遠い訳でもなさそうです。今の彼らならすぐに辿り着けるでしょう。
「やっぱり人はいないね……いや、いるにはいるんだけどさ」
走りながらも、周りを観察するハーディ。彼の眼に映るのは、屍者だけです。
「見てもしゃあねえよ、今は気にせず走る、それだけに集中しとこうぜ」
「うん……というか外にいる皆はどうしてるだろう。まずは合流するのを優先した方がいい気がする」
ミズヴァルに入れなかった他の皆が気になる様子です。街がこうなっても結界が機能しているのか分かりませんが、一旦外に出るのも考えの一つです。
「ああ、そうだな。この街の状態が伝わってるかどうか分からんが、外から見た情報も必要だ」
「ってかクロはやい! 追いつかない!」
前を走る黒須くんとの距離は一向に縮まりません。この状況下で、少しリミッターが外れたのでしょうか、残像すら出現しそうな速度です。
声の発生源、そこは袋小路になった場所でした。ちょうど家と家に挟まれるように生まれたその空間は、普段であれば家の裏口を使う人や、ちょっとした荷物の置き場になる場所です。樽や木箱の残骸が、そこらに散らばっていました。
そして本来人気のない筈のそこには、動くものがありました。それは壁に背中から寄り掛かりながら、涙の跡が残る目を上に向けています。もはや血も通っていないであろう青白い肌は赤く染まっており、どこか芸術的な美しさを醸し出していました。
投げ出された手足はぴくりともせず、もはや手遅れである事を見る者に伝えていました。
そして蠢くのはその動かない死体に群がるもの。
ゾンビ達が貪るように我先にと生者を喰らっていました。まるでB級ホラー映画のように目の前で繰り広げられる惨劇。しかし今彼が見ているこの光景、これは現実なのです。
屍者が人を喰らう、という事実を改めて客観的に目撃した黒須くん。そのあまりの生々しさに、残酷さに、真実に、身体は固まり、顔は青褪め、手足が小さく震えていました。
「……ちっ、やっぱり無理だったか」
追い付いたトリー達が、その場面を嫌そうに眺めました。震える黒須くんを後ろに追いやり、ハーディとトリーが前に出ます。
レイナは後方を警戒して、入り口の方に鋭い目を向けていました。
「……ああ? こいつら……」
何かに気付いたトリーが声を発したその瞬間。ゾンビ達が一斉に振り向きます。生者を襲い終わった彼等の次の標的は、黒須くん達でした。袋小路の入り口にいる彼等に、迫ります。
ただ、道中見たゾンビと違うところがありました。
「「「ウ゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛……」」」
「……!? デューカ!?」
ゾンビの中に、本来街の外にいる筈の仲間の一人、魔法使いのデューカがいました。それだけではありません。トラソル一味の方々も何人か見えます。
ハーディが驚きの声を上げ名前を呼びますが、正気を失っているのか、虚ろな眼のまま、黒須くんたちを襲うべき獲物として認識しているようです。
まるでダンジョン内で初めてゾンビになった時のように、自我を失っていました。
「デューカさん!」
「! 手前ら! 何してる!」
「ウ゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛」
黒須くんやクラリスの呼び掛けに応じる様子もなく、デューカ達は彼等に向かってきます。
「どうしてデューカが!? 街の外にいるはずじゃねえのか!?」
盛大に狼狽えるトリー。剣を構える訳にもいかず、咄嗟に拳を構えました。傷つけても治るということは分かっていますが、仲間を傷付けることには抵抗があります。
「くっそ手前ら! あたしが分かんねえのか!?」
「くっ! デューカ、正気に戻って!」
必死の声も届かず、ついに彼等は黒須くん達に襲い掛かります。
「ウ゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛」
「くっそ、どうしたってん、だ、おい!」
トラソル一味の一人の顎を手で押し退けながら、トリーが吠えます。彼の力も強いですが、自制心を失ったゾンビの力は恐るべきものでした。今にも拘束を振り切って噛み付いてきそうです。
「デューカ! お願いだ……止めて、く、れ!」
ハーディはデューカ相手に力を振るうことが出来ず、押し倒されていました。何とか両肩を抑えて抵抗していますが、今にも押し切られそうです。
前に出ていた二人が動きを止められ、他のゾンビが後方の黒須くんとクラリスに目標を定めました。瞬く間に迫り来るゾンビ達。小柄な二人では、抵抗することは難しいでしょう。
「あああああ!!! もう!! 皆元に戻ってよ、ねえ!?」
しかし癇癪を起こしたような黒須くんの叫びが路地裏に響き渡ると、それに呼応するようにゾンビ達が理性を取り戻し始めました。
「ウ゛ア゛ァ゛……、? ハー、ディ……? ハーディなの?」
「「うぅ……お、お頭?」」
正気に戻るデューカたち。姿勢はそのまま、表情に生気が蘇ります。ほっとする黒須くん達。さすがのクラリスもこの状況では呼び名を気にしてもいられません。
「よ、よかった、正気に戻っ」
何が起こったかはさておき、元に戻ったことを喜ぼうとした黒須くん。しかし、そう簡単にはいきません。
「い、いやあああああァァァァァあああッッ!!!」
突如頭を抱え、デューカは発狂した様に叫び出しました。膝をついたまま頭を振り回します。彼女の下に横たわっていたハーディの胸に、何度も打ち付けるようにして頭をぶつけます。
「ど、どうしたんだい、デューカ!」
「あ、あた、あたし、なんで、な、んて、そんな、そんな、嫌、嫌、嫌ぁァァァ!!」
ハーディの言葉も耳に入らないように、頭に爪を突き立てて暴れるデューカ。余程の力が込められているのか、指が頭部にめりこんでいます。
ハーディは崩れ落ちる彼女を何とか起こして、自傷行為止めようと両手首を掴んで抱きしめ、必死に落ち着かせようとします。
「落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから、ほら深呼吸して、大丈夫だよ」
「ひっ、う、うぅ、う、う……」
ハーディの胸に顔をうずめ、デューカは嗚咽を漏らします。トラソル一味の何人かも、発狂こそしていないものの、顔を真っ青にしてうずくまる者、何度も口を拭う者、脱力して呆ける者と、まともな状態ではありませんでした。
「何が…何があったんだい?」
徐々に落ち着いてきたデューカに、ハーディは問いかけました。レイナが後方の警戒を続ける中、デューカが嗚咽交じりに話し始めます。
「ハーディ、わ、私ッ、覚えてるの……私、人、人を、沢山、襲って、……っ!」
デューカは正気を失っていた間の記憶を覚えているようでした。他の人達も、デューカの言葉に改めて現実を理解し始めたのか、絶望に陥っていました。
「小さい子もお爺さんやお婆さんも! 皆皆皆! 人を、なんども、食べ、て…………おええぇ!」
嘔吐するデューカ。固形物のない吐瀉物がハーディの腰から下にかかり、辺りに酸っぱい匂いを漂わせます。嫌悪感や自身に対する恐怖、何より自らの口で肉を噛むその悍ましい感触。記憶にこびりつく忌まわしい風景に耐えきれなかったように、何度もデューカはえずきます。
ハーディはただただ、彼女の背中をさすり、気休めと分かっていながら彼女に温もりを与えていました。
ここに来て更に深刻化した現状に、皆が焦り始めます。
「くっそ、どうして街の外にいた筈のデューカ達が街の中にいるんだ? しかも正気を失って、暴走してやがった」
トリーが苛立ちを露わにして、壁を殴りつけます。岩の壁を容易く突き抜けたその力に、トリーは忌々しそうに舌打ちをしました。
「わ、わからない……ただ、気が付いたら、街の中にいたの……」
「たしかエレシュキンが、祭りの間は街に結界があって、街に入れば自我を失うって……」
「だとしても! だからこそ! ……なんでこいつらは街に入ってきた」
「そ、それは……」
詰め寄るように迫るトリーの形相に、黒須くんは怯えた様に声を詰まらせます。
「トリー! 叫んでも意味ないだろう! 落ち着けって!」
「落ち着いたら何か変わんのかよ、ああ!?」
無言で槍を構え直すレイナ。その澄んだ金属の音に、場が静まり返ります。誰も何も分からないという現状に、険悪さも最高潮に達しようとしています。
そしてその沈黙を破るように、可愛らしい声が響いたのでした。
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