第三章・後 Carnival

第37話「始まり」

 お祭りの屋台はぐちゃぐちゃに壊され、美しかった街並みは見る影もなく、まるでテロルが起きたか後のように荒れ果てています。なかには倒壊した建物や、打ち捨てられた武器までありました。


 地面には食べ物や飲み物がぶちまけられ、何か突然の大参事が起こったことを示唆しています。街のあちらこちらからは火の手が上がっており、黒い煙が空に立ち昇っていました。


 ミズヴァルのシンボルであった白い花は、踏み荒らされたり花壇が倒されていたりと、泥にまみれて地面を汚していました。


 事件があったようには思えぬ程、街は静かでした。


 そしてそこには、居る筈のないものがいたのです。


「………………………………ゾン、ビ?」


 大量の、まさしく《屍者ゾンビ》といった風貌の生き物が、黒須くんの眼下を闊歩していました。うつろな表情、おぼつかない足取り、こそげ落ちた肉、あり得ない方向に曲がった手足、それでも動き続ける意思なき死者。


 宿屋の前の広場にたまったゾンビは二、三十体といったところでしょうか。どれもが血の気を失い、理性を失い、中には四肢を欠損しているにも関わらず、蠢く個体もありました。


「な、にこれ」 


 言葉を失いつつも、黒須くんは無意識に窓から飛び降りました。これは夢なのでは、という願望を頭の片隅に抱えながら、茫然と辺りを見回します。


 けれども辺りに充満する腐臭、ひりつくような空気、耳に聞こえる生々しい呻き声が、目の前の全てが現実であることを伝えてきました。


「……………うぁ」


 ふらりと、眩暈を感じて黒須くんはふらつきました。思考は靄がかかったように働いてくれません。


「グァー……」


 その時、一体のゾンビが棒立ちの黒須くんに気が付きました。白いエプロンに血塗れの包丁を持ったそのゾンビは、エッダに紹介されたレストランの店主に、とても良く似ていました。


 掠れた濁声を漏らしながら、エプロンゾンビが黒須くんに迫ります。糸の絡まった操り人形のように手足をばらばらに動かしながら、先程までの緩慢な動きからは予想も出来ない速度で近付いてきます。


 不気味な挙動を描きながら、状況に対する理解が追いついていない彼のすぐ眼の前に、その手に持った凶刃は近付いていました。


「とりゃー!」


「へ? わぁ!」


 今まさに包丁が黒須くんの頭に刺さろうかという、その寸前。横からの体当たりを受けて黒須くんは転がります。ゾンビは振りかぶり、宙を切りました。そのまま倒れ伏し、再び立ち上がろうともがいています。


 クラリスはその横っ腹に豪快な蹴りを放ち、エプロンゾンビを数メートル吹き飛ばしました。幼女の足から出る力ではありません。これぞ、ゾンビパワー。


「何事だクロ! なんだなんだ、何なんだ!」


「ク、クラリス、起きてたんだね! 助かったよ!」


 黒須くんを突き飛ばしたクラリスは、その勢いのまま黒須くんに抱き付いて恫喝するように胸ぐらを掴みます。襲われそうになっていた黒須くんを反射的に助けただけで、彼女も現在の状況が分かってるようには見えません。


 その間にも、エプロンゾンビは起き上がり、再び彼等に近づこうとしています。その様子に気付いた他のゾンビ達も、二人の方を向いて動いていました。


「とりあえず中に戻ろう!」


「へっ」


 そう言って黒須くんはクラリスを横抱きに抱え、立ち上がりました。俗にいうお姫様抱っこの状態になったクラリス。一瞬のことに反応できず為されるがままに持ちあげられます。


 急いで宿に入り、扉の鍵をかけて戸締りをして、部屋に戻った二人。未だに他の三人は気持ちよさそうに寝ていました。


「な、なにが起きているのか分かんないけど、とにかくまずは皆を起こさないと……み、皆起きて! 大変なんだ!」


 クラリスを抱えたまま、黒須くんは焦った様子で部屋の中を見渡しながら叫びます。


「……やめろ……もう食えん……おかわり……むにゃむにゃ」


 わあ、寝言で「むにゃむにゃ」って言ってる人初めて見ました。


「ぐがああああぁぁぁぁ……」


「くー……くー……」


 トリーとハーディも起きる気配が全くありません。


「な、なんでこんな状況で熟睡できてるの皆!? ど、どうしよう……」


「ん、起こせばいいんだな? よし……というかクロ、下ろして」


 すっぽりと黒須くんの腕に収まっていたクラリスが身をよじります。動転していたとはいえ女の子をずっと抱きかかえていた黒須くん。中々やりますね。


「あ! ご、ごめんね気付かなくて……」


「いや、ま、いいんだけど……」


 似合わずちょっとおしとやかなクラリス。盗賊団の首領といってもまだ年頃の女の子。男の子に抱き抱えられたことに思うところでもあるのでしょうか。ゴッゾにはよく高い高いしてもらっていたような気がしますが。


 床に降り立った彼女は懐から二つ魔導銃を取り出しました。


「え、クラリス何を」


「者どもぉぉおおおおおおおおおおお!!!! 起きやがれぇえええええええええええ!!!!!!!!」


 部屋どころか建物全体を響かせるほど大声を上げてから、クラリスは銃声を響かせました。

 眠りこける仲間達に銃口を向けて。


「むにゃむ、にゃッ!?」


「うぎゃ!」


「っせーな! 人が寝てる時に……ッぎゃは!?」


 それぞれ順に、お腹、胸、頭と魔力弾をぶちこまれる仲間達。流石に目は覚めた様子です。トリーは覚める目すら吹き飛んでいましたが。


「わーーー!? なにしてるのクラリス!」


 いきなり仲間に穴が空くというショッキングな光景に、流石に黒須くんが叫びます。


「ああん? うちの一味じゃあたしの声と銃声で起きない奴はいねえぜ?」


「だからって人に向けて撃っちゃだめでしょ!」


「さっさと起きないこいつらが悪い! 死ぬわけでもないし、いいじゃんかよぉ」


 確かに理にはかなっています。現に吹き飛んだ身体はもう元に戻りつつあるのですから。流石に服までは直らないので、寝間着は穴が空いたままですが。しかしさっきまでの女の子モードからのギャップが激しすぎませんか。


「おい待て! 俺だけ起きてから撃ったよな!? な!?」


「な、なにが起きてるんだい、クロノス? 目覚ましにしちゃ派手だね?」


「………………飯か?」


 クラリスによる寝起きドッキリで皆さんお目々ぱっちりです。レイナ以外。


 しかし、わーきゃーしてるうちにも場面は進行していきます。エプロンゾンビを含む何体かのゾンビは既に扉と窓を破壊して宿屋の内部に侵入しており、外の徘徊ゾンビもクラリスの声量によって全員が気付いた様子で、猛ダッシュで向かってきています。


 ゾンビなのにダッシュしています。まあ、最近のゾンビは走るものですからね、一般教養です。


「!? なんだ、こいつら?」


 うめき声に反応したトリーが窓から広場を見下ろすと、そこには宿の入り口に群がるゾンビ達が。互いにぶつかりあって思うように進めないようです。


「わかんないけど、とにかく様子が変なんです!」


「あたしが起きたら急にクロが襲われとった」


 先に起きていた二人の話を聞いても、先が見えてきません。


「があ……あ……」

「ぎ……が……」

「……お……ぉお」


 そうこうしている内にもゾンビ達は彼等に迫っています。知性のかけらも感じさせない動きからは、大して苦戦もしなさそうですが、現状が把握出来ていない以上、むやみに戦うことも出来ません。


「と、とにかくここから一回脱出しないといけないようだね、早く着替えてこよう」


「たしかにな。……寝間着で外に行くわけもいかん、私も鎧を着てくる。槍もないし」


「あ、じゃあ僕も顔洗って着替えてくる、荷物も纏めないと」


「あーくっそ……何か頭がぐわんぐわんするぜ、中身ちゃんと元の位置に戻ってんだろうな……? 取り敢えず俺も着替えるか」


「お前ら余裕だな!?」


 悠長に支度を始めた四人に対してクラリスがツッコみます。まあ、着の身着のままで外に出る訳にもいかないのですが、ここは本来焦る場面では?


「クラリスも自分の部屋で着替えた方がいいよ、荷物もそっちだし」


 部屋を出て行く前に黒須くんがクラリスに行動を促しました。


「そ、そうだな……っておいこら! あたしが居んのに脱ぐなトリー! 汚えな! 眼が穢れる死ね!!」


「ズボン脱いだだけでそれは酷くねえか!?」


 少しはゾンビを気にしましょうよゾンビの皆さん。

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