第34話 「街で一番綺麗なところ」

 《大聖堂》から少し下って、横道にそれた場所でした。


 白壁の平屋建ての住居らしき建物。それが三つほど並んでいます。市民区の建物はもとより、教会の建物よりもずっと質素な造りのそこが、エッダの《お家》でした。気が付けば、時間はすっかり夕暮れ時。白壁が夕日を吸収して日中とはまた違う顔を見せています。


 下の方を見てみれば、白造りの建物が多いミズヴァル全体が橙に染まっていました。

 こういった天候の変化によって変わる街並みも、ミズヴァルの魅力の一つでしょう。


 そんな変化を楽しみながら、黒須くん達が建物のそばに寄ると、わらわらと近づいてくるものがありました。


「エッダお姉ちゃんだ!」「わー!」「おかえりー!」


 エッダを迎える、十歳未満くらいの沢山の子供たち。性別も肌の色も髪の色も、種族でさえもばらばらで、皆が修道服を簡素にしたような服を着ています。


「ただいま! みんな、良い子にしてた?」


「してたー」「わー!」「エッダ、おみやげー!」「あたちもお祭りいきたかった!」


 子供たちの遠慮のない声と屈託のない笑顔がエッダを囲み、口々に話しかけます。誰もが我先にと彼女に迫る様子は、何とも微笑ましいものです。


「はいはい、明日はみんなで回ろねー。さ、もうすぐ日が暮れちゃうよ、中に戻って戻って」


 慣れた様子で、でも親愛を込めながらあしらうエッダ。子供たちは促されると素直に建物の中に戻っていきます。 


「ここは……」


「人間に、エルフも……兄弟、じゃないよね?」


「いいえ、兄弟よ」


エッダはハーディの言葉に不快な素振りも見せず、晴れやかな表情です。


「もちろん、血はつながってないけどね。ここは司祭さまが作った孤児院で……私の、大切な家族が住む家」


「孤児院ってことは、エッダは――」


 言いにくそうなハーディの言葉の先を、エッダは事もなげに続けます。


「十年前の、戦争でね。戦火に巻き込まれて、両親は亡くなったの」


 その先を予想していたハーディ。思うところがあるのか、難しい表情で視線を逸らします。

 エッダは少し眉を下げて、悲し気な笑みを浮かべました。


「せ、戦争って?」


「……この間終結した、大国の戦争のことだね。この世界では、ずっと昔から、大きな国同士が戦争をしているんだ」


「そうなんだ! ごめんなさい、その……」


 配慮の足りない発言をしたと、黒須くんがどもります。彼にとって戦争とは、歴史の教科書の中で起こる事。言葉で聞いても、あまりイメージが湧かなかったのです。


「気にしないで! 戦争に巻き込まれた人は、一杯いるんだから。あの子達だって、そう」


 エッダはそう言って孤児院を眺めます。どこか誇らしげなエッダは、悲劇を乗り越えて前に進もうとする立派な少女の顔をしていました。


「あたしは、自分の境遇を嘆いたりはしてない。たしかに、辛かったし、とっても悲しかったけど、今は優しい司祭さまが救ってくださって、沢山の可愛い弟と妹がいて、とっても幸せだもの! これで嘆いてたりしたら、神さまが怒っちゃうでしょ?」


「…………」


 黒須くんは、眩しいものを見るような表情でエッダを見ました。同い年くらいの少女とは思えぬその強さは、今の彼にはないものだからです。


「そんなことより、見せたいものはこっち! 行きましょう、クロノス!」


 沈んだ空気を振り払うように、黒須くんの手を握って駆け出すエッダ。ちょっと哀愁に浸っていた黒須くんは、引っ張れるがままに進んでいきます。


「ちょ……ちょっと、ってうわぁ……」


「ね? 街で一番、綺麗でしょ? さっきの大聖堂もすごいけど、こっちの方が凄いんだから!」


 孤児院の裏庭にある、とても広いお花畑。その先は切り立った崖になっており、ミズヴァルの街を一望できます。風に吹かれた白い花弁が、赤く燃える夕日を照り返し、祭りの熱気に包まれた街の景色を彩っていました。


 それはなんだか、とても美しくて、懐かしい景色。


「白い花は街中に咲いてるけど、こんなお花畑はここにしかないわ! 孤児院の皆で植えたの!」


「す、すっごいよ! とっても、とてもきれい!」


「はぁー……」


 その光景に素直な感想を口にする黒須くんに、心奪われたように言葉が出ないハーディ。 


「え、えへへ、司祭様と子供達以外は、誰も知らないんだから」


 黒須くんの言葉に、エッダは照れつつも自慢げです。


 ハーディは一歩踏み出して、その幻想的な風景をじっと眺めました。後ろでエッダが、同じように花を眺め、そして祭りで賑やかに騒いでいるミズヴァルの街を見下ろします。


 しばらく三人は無言で、そよぐ風を感じながら、時間から切り離されたようなこの空間をただただ感じていました。


 夕日も傾き始めた頃、そろそろ夜が顔を見せるという時になって、またミズヴァルが姿を変え始めました。明かりが付きはじめ、飾りや展示物が徐々にライトアップして華やかになっていきます。


「お、また違う雰囲気になるんだ。夜の祭りも楽しそうだね」


 崖側に寄って興味津々といった様子で街を見下ろすハーディ。黒須くんも好奇心一杯といった様子で、聞こえてきた夜の祭りの音を聞いています。祭りというのはどこの世界においても華やかで、彼くらいの年頃の子にとっては無条件で楽しいものなのです。


「そうでしょう? あたしも行きたいんだけど、夜は門限過ぎちゃうし……なによりあの子達の世話もしないといけないから、見に行けないんだよね。こうして眺めることは出来るんだけど」


「子供の世話か……すごいねエッダは。自分のことだけじゃなくて、周りのこともしっかりしてる、中々出来ることじゃないよ!」


感心したように笑う黒須くん。街から目を外し彼は空を見上げていました。夜と夕暮れが混じったその空模様は、見る人によっては不安を感じる奇妙な色合い。この時間にしか見ることのできない、特殊な景色です。


 今のミズヴァルもそんな空と同じ特殊な状態。浮かれてはめを外す人も多いというのに、エッダはなんと真面目なことでしょう。


「あはは、ありがとう。大変は大変だよ。でもこうやってミズヴァルを訪れた人に、この街の魅力を一杯知ってほしいから、あたしは案内人をやってるんだ。折角来たのに、ただ泊まるだけなんて勿体ないしね」


 そこまで考えて案内をしていたんだと、黒須くんは更に感心します。


「ありがとう、エッダ。キミは、その……この街が、好きなんだね」


 黒須くんはエッダの方を向いてお礼を言います。辛い過去を持ちながらも、真っ直ぐな心を持ち、こんな風に笑える彼女が、彼にとっては凄く眩しいものに見えました。



「ええ、とっても!」



 はきはきと応えるエッダ。差し込む夕日に、その笑顔が眩しく光ります。


「この街も、子供達も、司祭様も、あたしにとって何より大切で、一番の宝物! どう? 期待に応えられたかな?」


「うん……ありがとう。凄い楽しかったよ!」


「どういたしまして!」

 

未だに手を繋いだまま、黒須くんとエッダが笑い合います。ハーディさえいなければ、恋人同士がヒミツの場所でいちゃこらしているようにも見えます。


「さて……そろそろ戻らないと。皆も待っている頃じゃないかなぁー?」


 そんな二人を見ながらハーディが気まずそうに声をかけます。決して邪魔してやろうとかそういう訳ではなく、そろそろ日も暮れるし、ミズヴァルでの本来の目的をどうするかを話し合わなければいけないと考えてのことでした。


「あ、そうだね。 それじゃあ名残惜しいけど……」


「?」


 そう言いながらも動かない黒須くん、エッダが不思議そうにしています。この少女、天然なのかはたまた狙ってやっている悪女なのか。

 何にしてもまだ若い黒須くんには刺激が強いでしょうね。


「……エッダ、手離してくれないかな?」


「あ、ごめんね! また引っ張っちゃって!」


 ぱっと黒須くんから離れるエッダ。ちょっと名残惜しそうな黒須くん、青春してますね。


「それじゃあ、ありがとう。今日は僕ら二人だけだったけど、明日は残りの三人も一緒に、改めて案内をお願いするよ」


 そういえば後の三人はどこで何をしているんでしょうか。完全に忘れてましたよ。果たしてトリーは二人をセーブすることが出来ているのでしょうか。


「楽しかったよエッダ! 明日はもっと騒がしくなるかもだけど……楽しみにしてるね!」


 そんなことはさておき、黒須くんとハーディは、エッダに取り敢えずのお別れを告げます。また明日、今度は皆で祭りを巡ろう。そんな楽しみを残しながら。


「クロノス、ハーディ! また明日ね! ミズヴァルの色々な魅力、もっと教えてあげる!」

「またねー!」「誰かわかんないけどじゃあねー」「楽しんでなー!」


 黒須くんとハーディをお見送りするエッダ。その周りにはまた孤児院の子供たちが集まっていました。無邪気に初対面の二人に声をかける様子は、実に微笑ましいものです。


 孤児院を後にする二人の背中が見えなくなるまで、エッダは手を振り続けるのでした。

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