第9話 「狂気な正気」

「あ゛、あ゛、あ゛、あ、あれ? アタシは、なにを?」


「はっ! ワシは確か、デューカを助けようとして……?」


「なんだ? 身体が操られていたような……うわ! なんだこの腕!?」


 ゾンビたちは、理性を取り戻していました。黒須くんが常に纏う薄い『瘴気』を吸い込んだ、その途端です。虚ろだった目に光が戻り、動きに知性が現れます。

 聞き取りにく(く書きにくかった)声も、普通に戻りました。


「も、……もどった、のか? ……!?」


「……! レイナ! ぼろぼろじゃないの!」


「誰にやられたんじゃ! それに、この少年は……?」


「紅蓮の素顔なんて、久々に見たよ! よっぽどの強敵なのか?」


「み、皆…………!?」


「よ、よかったぁ……」


 正気を取り戻した女騎士の仲間たちを見て、黒須くんは胸をなで下ろします。心の底から嬉しそうに、冒険者たちが元に戻ってくれて良かったと。そして女騎士の方を振り返りました。


 そんな嬉し気な黒須くんを、女騎士は見つめます。静かな、澄んだ瞳で。


「クロノス! 避けろ!!」


「え?」


 そして彼の左胸に、迷いなく槍を突き刺しました。女騎士の突き出した槍は、簡単にクロノスの身体を貫きます。


 無表情の裏で沸々と湧き上がる感情が、爆発しました。


「貴様ぁぁあ!! なにをしたぁ!!!」


 喜ぶ黒須くんとは対照に、女騎士はかつてない程に激昂していました。どす黒い殺気と怒気が突き刺したままの彼を刺激します。


「どうしたの、レイナ!」


「お、落ち着くんじゃ!」


「紅蓮!」


 仲間たちが女騎士を止めようとしますが、彼女のただ事ではない雰囲気に、今まで一度たりとも見たことのないその激情に、足が竦んで近寄ることが出来ません。


 しかしその止めようとする行為自体が、女騎士の怒りの理由なのでした。


「これほどまでに、私達を愚弄するのか! 貴様!」




 黒須くんとハーディは、冒険者からすると遭遇してすぐ戦闘体勢に入るほどに、ごく当たり前に化け物モンスターなのです。例え人に近い姿をしていても、彼等の纏う空気と気配は異形のもので、到底『人』と判別することが出来ません。


 人とモンスターが生物としての根本が違うように、生者とゾンビは、その存在の位相からして、決定的に異なっているのです。


 そして女騎士の仲間たちもまた、黒須くんとハーディに襲われゾンビとなりました。


 正気に戻ったと感じたのは、黒須くんとハーディだけ。まだ不完全だった彼等が完全なゾンビになることで、理性が戻った様に見えただけです。


 それはつまり、三人の冒険者が二人の同胞になったということ。


 なら、その光景は女騎士にとってどう映るのでしょう?


「化け物があぁぁ!」


 女騎士は目の前の光景に、絶望しました。彼女は気付いてしまったのです。かつての仲間はもう、どこにもいないということに。


「な、何をしとるんじゃ! 紅蓮!」


「そ、その子は敵じゃないわよ! ちょっと!」


 ゾンビである黒須くんを庇う言動をし、攻撃した女騎士を見る目はどこか攻撃的であり、まるで敵を見るような眼つきをしています。


 彼女の目の前には、もはや自分の仲間ではなくなった、元人間がいます。あろうことか。モンスターの仲間になってしまった、元仲間がいます。


「うぁああああぁぁぁぁああ!」


 女騎士は泣き叫ぶような表情のまま、身の内を焦がす衝動のまま、引き抜いた槍をもう一度黒須くん目がけて放ちます。


 狙いは傷口が再生して、学生服が破れたまま剥き出しになっている右肩。槍を引き抜いた左胸はその瞬間に修復していました。


「許さない! 許さない! 絶対に許さない! 仲間を、私を、どこまで弄ぶつもりだ! 糞、糞、クソォ! 死ね! 死ね! 死ねェェェッ!」


 何度も何度も、残像が発生する程の速度で槍が黒須くんの体を通り抜けていきます。それでも、血の一滴すら流れることはありません。全てが致命傷となる怒涛の乱撃も、黒須くんの身体は即座に回復させていきます。


 体を何度も貫かれながらも、彼は冷静にその光景を眺めていました。


 黒須くんには迫り来る槍も、女騎士の歪んだ顔も、全てがスローモーションのように見えていました。


 痛みも音もない世界の中で、彼が捉えていたのは彼女の赤い髪。


 揺れ動く絹のように滑らかな赤い髪が、ただただ目を引いて離さない。


 涙に濡れた赤い双眸が美しい。何かをこらえるように引き締められたその桜色の可憐な唇が美しい。血が通い桃色に染まった頬が美しい。汗と熱で上気し色気すら放っている艶めかしい首筋が、美しく、美しく、彼を誘います。


 気づけば彼は動いていました。


 がぶり。


 あ。


「あ゛」


「……っぇ」


 やってしまいましたね。


「クロノス、お前……守っておいて、結局……結局食べるのか……?」


 ハーディを食べた時より夢中に、ひたすら美味しそうに、黒須くんは彼女の全てを貪り食らい始めたのでした。


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