第4話 「対話と本音」
蘇ったエルフの冒険者と黒須くんは、そこらに乱立する様々な形状の墓の中から、座りやすいものを探してそれぞれ向かい合って腰掛けていました。
腰を据えて、落ち着いて、意味の通った会話をするために。
「ボクの――ボクの名前はハーディ。種族はエルフだ。今日冒険者になったばかりなんだ。君の……名前は?」
しかし早速黒須くん、首を傾げています。種族、エルフ、冒険者――彼の言った言葉の意味がどれも分からないのです。
けれども、彼が真剣に自分と話をしようしていることは伝わったので、黒須くんもまた言葉を紡ぎます。
「僕は黒須――黒須玄米です。えっと、人間です」
「くろず、げんまい? 聞きなれない、いや、珍しい名前だな。そして……人間、か」
ハーディは少しの間だけうつむきました。
「えっと、くろ……ず、だっけ?」
「あ、もし言いにくいのなら、クロノスって呼んで下さい。学校でもそう呼ばれてたから」
「そうか。クロノス、クロノス……うん、こっちの方が呼びやすいね」
そしてハーディもまた黒須くんの言った『学校』という言葉の意味が分かりません。それでも無理して笑顔を見せます。
お互い素性不明というぎくしゃくした空気の中、彼等は何とか歩み寄ろうとしていました。
「それで、クロノス。君はここがどこか分からない、と言ったね? ここは数あるダンジョンの中の一つ、《ニブルのダンジョン》その最奥にある。アンデッドの巣だ。《冒険者の墓場》という別称もある。そして僕のような新米にとっては、経験値とお金を稼ぐための《狩場》さ」
「は、はあ。狩場、ですか……」
(そういえば、さっきの汚くて臭い
そんなことを思い出す黒須くんですが、やはり何がなんだか分かっていない様子です。
そしてそんな空気はハーディにも伝わったようでした。
「その反応を見る限り……クロノス。君はダンジョンのことを、いやダンジョンはこの世界の常識……そもそも君は、この世界の事を知らないのか」
知らないも何も、黒須くんは目覚めたらそのダンジョンの中にいたのです。知る由も無いでしょう。
勝手に何かに思い至ったようなハーディが、黒須の格好を上から下まで見やります。
「……クロノス、君の質問に答える前に、ボクの方から質問させてほしい。キミは、一体どこから来たんだ?」
そして黒須もまた、彼の言う言葉の意味を、しっかりと理解していました。
黒須くんが薄々察していた事実が、ハーディと会話することで形になっていきます。
ハーディの口調の固さ、整った顔を強張らせて生唾を飲み込んだような仕草。彼の黒須くんに対する警戒が、未だに一切解かれていないことが見て取れます。
彼の中で、黒須くんはまだ、得体の知れない敵なのです。
二人の間には緊張した糸が張られていました。
ハーディの敵対心を感じながら、それでも黒須くんは、口を開きます。
「僕は……多分だけどこの世界の人間じゃ、ないんだろうね。そもそも、僕はもう、人間じゃなくなってる、の、かな……」
それから黒須くんは、ここに来る前、地面から出てきてハーディに襲い掛かるその前、学校に向かっていて、猫を助けようとして、車に轢かれるまでのその経緯を、彼に話しました。
異世界の住人であるハーディには、内容の半分も伝わらなかったでしょう。
けれども彼は、黒須くんが嘘を吐いていないこと、たどたどしく繋ぐその言葉が、決して偽りではないことを感じ取っていました。
「――それで、気付いたらここにいて。それで……お兄さん、ハーディさんを襲って、いました……」
今度は黒須くんが、耐え切れなくなったように顔を伏せます。
気まずそうに。自分のしたことを思い返して、慙愧の念に耐えられなくなったように。
そんな彼の様子を見て、ハーディもまた黙りこくります。
少しの間、沈黙が場を支配しました。
しかし、何時までもそうしている訳にはいかず、先に口を開いたのは年上のお兄さんであるハーディでした。
「……ハーディ、でいいよ。さん付けはいらない。呼び捨てにしてくれ」
「……え?」
思わず、といった風に顔を上げた黒須くん。ハーディはそんな彼の顔を見ながら、一度途切れてしまった会話を続けます。
「なるほど、君はこことは違う世界……異世界で亡くなったんだね。それで理由は分からないけどこの世界に飛ばされ、その際に君は人外の存在に変貌した……こんなところかな」
「人外の存在、ですか」
不思議とその言葉に疑問や悲しみは浮かんでこない黒須くん。
「ああ、武器も持たずに、あれだけのアンデッドを一瞬で一掃したんだ。襲われた僕が保証しよう、君は間違いなく、人間ではない」
爽やかに、まるで軽快なジョークでも言ったかのようにキラリと笑顔を向けるハーディですが、黒須くんには笑える要素など一切ありません。
ある程度、予想も覚悟もしていた事実ですが、それでも面と向かって告げられるには、幼い精神にとって強すぎる、そして残酷な衝撃でした。
「君は、僕らエルフのような亜人よりも、アンデッドのような死霊系モンスターに近しい存在だよ。
衝撃のあとに更に衝撃の追撃を食らわされる黒須くん。中学生から一転して、いていはいけないレベルのモンスターになったと言われてしまいました。若干涙目になってます。
「ああ、そういえばそうだ。実は君に食べられた僕も、どうやら君の仲間になったみたいだよ」
そう言ってハーディはどす黒く、グロテスクに変異した首筋を、革鎧の隙間から覗かせませた。あくまで、笑顔で。
隙間から見える白い歯が、ピカッと光りそうな笑顔で。美麗な顔つきをしていますので、笑顔が非常に魅力的です。えぐい傷跡さえ無ければの話ですが。
「え! ええ!? お兄さ、ハーディは何もなかったんじゃ!?」
「死霊系モンスターに噛み付かれて、血も肉も魂も取られたんだ。それで健康な体だったら、冒険者がモンスターを駆逐する必要はなくなっちゃうよ」
そう、ハーディは黒須くんに、カラカラに干上がるまで血肉を、魂を吸い取られて、存在を食い尽くされて、そして再生したのです。
新たな《ゾンビ》として。
「なに、気にすることはないよ。君は人外として、モンスターとして当たり前のことをしたんだ。そしてボクも冒険者として、少し早いけれど当然の運命を辿っただけだ。もしキミが襲ってこなかったら、ボクが君を倒そうと襲い掛かっていただろう」
まあ、勝てた気はしないけどね。ハーディは軽く笑ってスッと腰を上げました。
「さあ、こんなところでのんびりしていても仕方ない! アンデッドが復活するかもしれないし、とにかく行動しよう。そうだな、とりあえずこのダンジョンを脱出して地上に出ようか。キミが元の世界に、僕らが、人間に戻るための情報はそれから探すとしよう!」
「は、はい!」
その姿に黒須くんも元気づけられた様子で、続いて立ち上がります。
なんて頼もしいお兄さんだ! よかった! ひょろ長くて頼りなさそうだったけれど、とってもしっかりしてる! 頭も良さそうだし、勇気もある! この人に会えてよかった!
黒須くんは、キラキラとした目でハーディを見上げながら、そんなことを考えていました。
一方、頼もしいお兄さんであるハーディの心中はというと、
(訳が分からない訳が分からない訳が分からない訳が分からない。異世界から来た? 人間? これが? 異世界の人間は皆こうなのか!? ボクの記念すべき冒険者デビューがめちゃくちゃだ……! しかもエルフであるボクが、このボクが、モンスターとして蘇生させられた? 長老に知られたら村人全員の前で死刑確定だ! 生き恥を晒されるんだ! もう死んでるけどな! ちくしょう、ちくしょう、ちっっっくしょう! でもこの子供異様に強いし、戦っても勝てる気がしないし! いや、さっきは油断しただけで、本気をだせば余裕なんだけど。でもほらここは穏便に、どうせ死んでるわけですしお互い)
超パニック。
「ああ……訳が分からない……!」
新米冒険者ハーディの心は、ゾンビこと黒須くんに襲われ食べられたその瞬間から、すでにぽっきりと、それはもう完膚無きまでに折れていたのでした。
さっきまでの余裕の態度は、オーバーフローした精神が生み出した虚勢。
ぼそっと漏らしたその呟きこそ、彼の本音です。
「あれ? なんか言ったハーディ?」
「いや、なにも。さあて、新たな冒険の始まりだよ、クロノス!」
彼の前向きさは、もう前を見ることでしか生きられない、ぎりぎりの前向きでしか、ありません。後ろにあるのは、決して輝かしいとはいえないけれど、彼に取って大事な過去。
全てを後ろに追いやって、彼は強く逞しく生きていくしかないのです。
あ、もう生きてはいないのですけどね。
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