第1話 「新たな出会い、そして別れ」

「あ゛、あ゛あ゛ー゛ー゛?゛ 息゛苦゛し゛く゛て゛這゛い゛出゛た゛ら゛、変゛な゛と゛こ゛ろ゛に゛僕゛が゛い゛る゛ぞ゛?゛ そ゛れ゛に゛な゛ん゛だ゛か゛す゛ご゛い゛ノ゛ド゛が゛か゛ら゛か゛ら゛だ゛。た゛し゛か゛学゛校゛に゛行゛こ゛う゛と゛し゛て゛い゛て゛、そ゛の゛途゛中゛、車゛に゛轢゛か゛れ゛か゛け゛て゛い゛た゛猫゛を゛助゛け゛て゛、そ゛の゛直゛後゛に゛意゛識゛が゛な゛く゛な゛っ゛た゛よ゛う゛な゛気゛が゛す゛る゛け゛ど゛、は゛っ゛き゛り゛思゛い゛出゛せ゛な゛い゛な゛ぁ゛。そ゛れ゛に゛し゛て゛も゛こ゛ん゛な゛薄゛気゛味゛の゛悪゛い゛、ゲ゛ー゛ム゛に゛出゛て゛く゛る゛墓゛地゛み゛た゛い゛な゛と゛こ゛ろ゛に゛、ど゛う゛し゛て゛い゛る゛ん゛だ゛ろ゛う゛?゛」


 何ともまあ説明口調!

 独り言にしては文字数の多い文章を、醜い発声で吐き出す日本産ゾンビこと黒須玄米くん。


 しかし文章にしたら常に濁点が付いていそうな聞くに堪えない声色。恐らく読むのもしんどい、眼にも優しくない、おまけに書くのも面倒臭いと、色々な方向からその喋り方をとっとと止めろと非難されることでしょう。


 地面から這い出たばかりの彼は、元の世界で「学ラン」とか「襟詰」と呼ばれる黒衣を着ているけれど、それもあちこちが破れてほつれて、割と無残な恰好です。


 見苦しく聞き苦しいという状態の彼ですが、そんなことは気にしない。いや、気にしてはいられない。


 何故なら、


「で、出たな! アンデッド!」


 ゾンビとなった彼の前に現れたのは冒険者。

 もとはどうあれ今の黒須くんはゾンビ、つまり生きとし生けるものの敵です。

 つまり、どうなるか。


「や、やってやる……やってやるぞ!」


 ファイッ! となります。


 突如として黒須くんの前に出現したように思えるその冒険者は、短い剣に小さな盾を構え、身に着けている鎧は鉄ではなく革仕様のレザーアーマー。当然兜もなし。

 どう見繕っても新米冒険者の装備であり、その立ち居振る舞いも素人臭さが抜けていません。


 というか勇ましい声を発していますがそれも震え声ですし、体もぷるぷると震えています。


「はっ、はぁ、はっ、お、落ち着け、経験値稼ぎのアンデッドだ。大丈夫、ちゃんとしっかり訓練してきたんだ、ボクなら勝てる……!」


 完全に、いやもう完璧に新米のペーペーです。

 特徴的な尖った耳に女性にも見える中性的で端正な顔立ちをしていることから、種族はエルフでしょうか。しかし、今まさに生まれたばかりの黒須くんにはそんなことが分かる筈もなく。

 彼はただ、純粋に、純粋に、心の底からこう思っていました。


(……喉が、乾いた、な。この、お兄さん……)


 そして、思考よりも先に、彼の身体は正直に動きます。


「う、わ、わ、アアア――――ァ!」


「あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛、あ゛ぁ゛ー゛!゛!゛!゛」


 黒須くんが新米冒険者に襲い掛かりました。二人の距離は大体歩幅七歩ほど。それを軽々、一足跳びで距離を詰め、まさにゾンビらしい雄叫びと挙動で冒険者のもとへ飛び込みます。


 ただ跳んだだけの彼の体勢はひどく不格好で、攻撃するような動きには見えません。

 両の腕も、両の足も、放り出されたように後ろに反っています。


 彼の狙いはただ一つ。防御範囲の狭い革鎧の、誘うように剥き出しになっている、白い首筋。


 尋常ではない速度で、黒須くんはその首筋に噛み付きました。


「――あ、うそ」


 噛まれた瞬間、冒険者が浮かべたのはとても綺麗な、茫然とした表情。


 そして、始まります。


 真っ白な首筋に噛み付いた歯が最初に感じたのは、柔らかな皮膚の感触。ダンジョンの中であるも関わらず、汗一つ浮かんでいないその肌は滑らかで程良い弾力があって、いつまでも噛んでいたいような中毒性があります。どくどくと血管の中を流れる血の鼓動もまた心地よい。


 ですがそう思ったのは一瞬で、躊躇いなく黒須くんの顎は皮を破いて肉を裂いていました。

 

「ぐじゅ゛る゛じゅ゛る゛じゅ゛る゛じゅ゛るじゅる、じゅるるるる」 


「うぎ、うぁ、ぁぁぁあ」


 筋線維を引き千切って飲み込み、溢れだす血液の噴水が舌と喉を潤していく。


「あ、あぁ、うが、ぁぁぁ」


 血潮が口元を濡らし、二人の首元と服を赤で染めていく。何も気にせず、玄米はゾンビとしての《食事》を続けていきます。


 肉を食み、血液を貪り飲み吸いだす。舌が噛み切った肉の断面をこそぐように動き、その軟肉を削り取るように舐っていく。飲む、なんて上品な作法ではなくただ貪る。口と舌を使い、肉を血を、その感触と匂いと、極上の味を本能のままに味わい尽くします。


 恍惚とした表情で冒険者の首元に顔をうずめる黒須くんと、全身を震わせながらこれまたあまり人に魅せられない表情で色々吸われ続ける冒険者。


 完全に抱き付く態勢になっている二人の様子は、状況が状況なら扇情的にも見えたかもしれません。

 あらい鼻息と動作で首元に吸い付く黒須くんと、びくびくと見ようによっては気持ちよさそそうな表情にも見えない冒険者。


 けど実際は色気も何もあったものじゃありません。


 徐々に新米さんの透き通るように白い肌は土気色に染まり、反対に黒須くんの皮膚と顔色は生気を取り戻すように瑞々しくなり、爛れた肉も修復していきます。


「じゅるじゅるじゅるるるるる、じゅるり」


「……あ、ああ…………」


 ミイラのように干からびてしまった新米の冒険者。完全に沈黙してしまっています。


「ふぅ……ああ、すっきりした!」

 

 一方全てを吸い尽くした黒須くん。表情も声色も潤っていました。それはもう、本当にゾンビなのか疑うくらいに。


 そして色々とすっきりしたことにより、思考も落ち着き冷静になってしまいます。


「……? は! ぼ、僕は一体、何を? え、え、ちょっとお兄さん? お兄さん!?」


 揺さぶっても当然、お兄さんが蘇ることもなく。


「もしかして、僕、こ、ここ、殺しちゃった? と、いうか食べた? 食べちゃった?」


 イグザクトリィ。その通りでございます。


 自分がしでかした事に気づき、茫然自失と立ち尽くす黒須くん。ゾンビになって初めての食事の爽快感もすっかり忘れてしまい、おろおろと狼狽しています。


 だがダンジョンは甘くない。

 後悔する暇も、懺悔する暇も与えてくれないのです。


 忘我の黒須くんの眼の前に、新たな敵が押し寄せます。


 何と墓の下から。


 もぞもぞ、ずぼぼ、ずぼ。ずぼぼぼぼぼぼ。


「おいごら新入り、何調子こいてくれとんじゃ、あ?」


 墓の下から、何ともご挨拶な感じで。


 それは彼に良く似たアンデッドの群れでした。

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