なまもの

発条璃々

姉と妹

「今日も一段とかわいらしい。この服も、キミに良く似合っている」

 男の言葉に姉は俯きながらも嬉しそうに微笑む。

 男は歌うように姉を褒めちぎる。

 その度に姉は、口を噤んで嬉しさと恥ずかしさで一杯いっぱいになっている。


 私はそんな姉と……話す男をただ傍らで、物音立てずにじっと眺めていた。

 姉は男の顔を見つめている。男もまた姉に微笑みかける。私が今までに見たことのない饒舌さだ。

 姉はお姫様のように男にかしずかれながらも、控えめに笑っている。店の扉に備え付けた鈴が鳴った。

 男は立ち上がり、姉に少しだけ待っているようにいうと、初めて私の方を見た。

 だが、男は一瞥するだけで私の横を素通りし、店へと通じる扉を開ける。


 男が帰ってくる間に、私は椅子に腰掛けて少し気落ちした姉に近付いた。

 姉は私と口を利こうとしない。長い間、私と姉はケンカをしている。仲直りが出来ないまま今に至る。

 姉の肩にそっと手を伸ばす。姉は微動だにせず私のするがままにしている。

 私は姉を抱きしめた。私よりも華奢で筋張っている。昔はどうだったろうか。思いを巡らしていると。

「今日は、店終いだから……帰ってくれないか?」

 男は、店から戻ってきては、私の背中越しに声を掛けた。

「……うん。明日も来ていいかな?」

「いつも、お前のために開いているわけじゃない。それに私はが苦手だ」

「わかってる。私に構わなくていいから。ちょっと姉さんの顔が見たくて」

 私の言葉に少し、逡巡してから首肯する男。

 男に挨拶して扉を開ける。姉は男が椅子に座ると途端に生気が宿ったようにみえた。

 私には決して見せてくれない顔。男もまた活き活きとした表情。私の居場所は元よりここにはない。

「さよなら」と呟くように言葉を吐いて後ろ手に扉を閉めた。


                      ❇︎


 冷え切った部屋。辺りに人影はいない。私はひとり、仏壇に手を合わせる。

 あれからもう……三年は経つ。あの日から家族は壊れた。

 私もまたあの日から、姉とは口を利いていない。解決できない悩みに私は迷い込んでいる。


                      ❇︎


 放課後、またあの店に立ち寄る。

 店の正面から入るのではなく、隣接された工房の通用口から足を踏み入れた。

 鍵はいつものように開いている。しかし男はいつも定位置にいる場所にはいなかった。

 男が仕事をする机の横で、寂しそうに佇んでいる姉がいる。

 そっと近付き、俯いた姉の横顔を撫でる。 

 姉……とは名ばかりの、姉を模した容器。つまり人形だ。

 だが人間に見紛うばかりの精巧で美しい人形だ。

 直視されて恥らうかのようにも見える……

 しかし、私の中の姉はもう笑うことはない。悲しむことも、叱ってくれることも、一緒に喜び合うことも……

 これはあの男の心を慰めるものだ。

 だから私を見て、あのときのように、いつものように笑いかけてくれない。声を掛けてくれない。

 

 姉の人形を見かけたのは最近だった。普段は降りない駅。何かに導かれるように降りてみた。

 吸い寄せられるように知らない道を歩いていて。

 ふと、店先に座った姉を見つけた。私は自分の目を疑ったが、気付いたときには店の扉を開けていた。

 遠目の所為か、私が誰であるかを気付いていない様子だった。

 扉の鈴に気付き、店の奥から男が営業スマイルで話し掛けてきた。

「ようこそ、当店に御出でくださいました! 本日は何をお探しですか?」

「あ、あの! なぜ姉がここにいるんですか? 姉とあなたの関係は!?」

 捲くし立てる私。言葉に詰まりながらも言いたいことは告げた。

「……姉? 似ていないこともないが。は彼女の妹だといいたいんだな」

「へ? な、生もの!? そんなことよりも、あなたは一体!」

「彼女が好きさ。そして彼女も私を好きだ。私は、なまものとこれ以上、言葉を交わしたくはないのだが」

 姉は男の言葉に、頬を染めた……風に見えた。

 店内を夕暮れの西日が染め上げたのだ。

 ——つまりは、私が知らない間に、そういう関係だったのかもしれない。

 そして、姉だと思ったのは姉ではなかった。姉の人形だった。

 それでも私は久々に会えた喜びで、時間を作っては通い詰めている。

 

 どれくらいの時間、私はくうを見て惚けていただろうか

 いつの間にか男は工房にいた。黙々と作業をしている。隣にいた姉はいつの間にかいなくなっていた。

 私は一瞬、姉がいなくなった日と重なり錯乱した。

 私は男の背中に言葉をぶつける。

「姉はどこにいったの?」男は答えない。

「どこにいったのか、知ってるんでしょ?」男は答えない。男の規律正しい木槌の音だけが響く。

 私は遠慮ない乱暴な足取りで歩み寄り、男の肩を無理に掴み振り向かせた。

 怪訝な表情で私を見る。だがその目は姉を見るときのような意志を感じさせない。

「一度だけ言う…… 邪魔をするならもう帰ってくれないか?」

 投げやりに男は発する。私は肩を掴む手に力が入った。男は唸ったが私は放さなかった。


                    ❇︎


 今日は工房に行かなかった。ただ店の中を覗く。珍しくレジに姉は座っている。

 あの男とは会いたくなかった。だけど、一言姉に言いたかった。

 私はもう目の前にいるのが人形でも、関係がなかった。私にとって姉は姉だった。

 ゆっくりと扉を開ける。鈴は鳴ったが男は工房から出てこなかった。

 私は姉に近付いた。

 姉は寝ているかのように、俯いていて目を閉じている。

 頑なに姉は私と目を合わせてくれない。

「姉さん……見違えるように綺麗になった。仲直りしようよ、私とは口を利いてくれないの?」

「いい加減にしてくれないか。彼女は話したくないってことだよ」

 声に振り向く。言われずともそんなことはわかっている。この人形は男にしか心を開かない。

 私と姉は永遠に仲直りなんて出来ないのだ。

「……姉を返して」男に向き直り、痛切に呟いた。

「私に、姉さんを返してよ!」男は黙って私を見つめている。男に訴えても物事は既に決している。

 ただ、姉だけが帰ってこない現実があるだけだ。

 私と、男の間で静かに佇む姉の顔は冷水の如く冴え冴えとしていた。


                      ❇︎


 どんよりとした曇り空。今にも雨が降り出しそうだ。

 あの日も、こんな天気だったと思う。

 喪服の私。両親も、未だ顔は優れない。お墓に手を合わせる。

 だが墓の中は空っぽだ。遺骨はここにはない……

 三年前、姉とケンカした私は一人残して家に帰った。他愛無い言葉の遣り取りによるものだった。

 姉はその日から帰ってこなかった。未だ、行方不明のままだ。

 その後、防犯カメラに映っていた姉と一緒にいた老年の男が捕まった。

 供述では暴行するつもりで誘拐したと話したが、犯人の示す場所に姉の遺体はなかった。

 

 空はとうとう泣き出したように大粒の雨を降らせた。

 私の心を投影しているようで、只々憎らしかった。

 私はいつも姉の後をついて回った。家にいても、外にいても。

 姉が友達と遊ぶときでも私は姉についていった。姉が好きだったのだ。

 身体の弱かった母の代わりに、面倒を見てくれた姉は私のもうひとりの母だった。

 姉の友達が嫌がって私をのけ者にしようとしても、姉は笑顔で謝っていた。

 姉は私の太陽であり、いつも見守ってくれる月のようでもあった。

 大きくなっても、私は姉のすることを真似た。

 姉がバレエのレッスンに通うというと、私も行くと両親を困らせた。

 姉が吹奏楽部に入れば、私もそれに倣った。

 どんな時でも引っ付き倒す私に、姉は嫌な顔ひとつせず「しょうがないなあ」といって頭を撫でてくれた。

 だが……私でも知らないことはあったのだ。

 いつの間に姉はあんな男と知り合ったのだろうか。

 あの男は、私の知らない姉を知っている。憎い。殺したくなる。

 だけど、それ以上に私も姉のように、あの男を愛したくなっている。

 姉があの男を愛したというなら私も愛さなければならない。

 それが、姉妹というものだろう。

 私は、雨の中を駆けた。私の顔は、泣いているのか怒っているのか、楽しいのか、悔しいのか……

 様々な混沌とした表情をしていることだろう。


 私はあの工房へと辿り着く。

 びしょ濡れになりながらも、工房の扉を開ける。

 中央の椅子に腰掛けているのは純白のドレスを着た姉がいた。手にはある箱を大事そうに抱えている。 

 まるで、ウエディングドレスのように綺麗で美しい。よく見ればほんのりと化粧もしている。


 どうしてこれほどこの人形は姉に似ているのだろう。

 男はどれほど姉を愛していたのだろうか。姉の人形をみていると、嫉妬と憧憬の思いが錯綜する。

 ひょっとしたら、"姉の遺体はここにあるのか"

 犯人が示した場所にはなかった姉の遺体が。

 私は男の背後からそっと抱き締めた。

 男は"なまもの"と呼んでいた私にこんなことをされて震えている。

 それほど触れられたくないのだ。

 だが、死んでいたら……魂がなかったら、私も姉のようになれるかもしれない。

 私はそっと耳打ちした。きっとあなたなら私の願いを叶えてくれる。

 男は驚嘆しながらも、頷いてくれた。

 

                     ❇︎


 改めて工房に訪れる。少し緊張した面持ちで私は扉の前に立つ。

 この日のために姉が来た筈であろう淡い黄色のワンピースに身を包んで、私は願いを叶えるために来た。

 扉を開けると、男は優しい顔で出迎えてくれる。

 今まで見てきたどの顔よりも穏やかで、そして綺麗だった。

「約束、守ってくれるの?」

「ああ、きみの姉は……姉の遺骨は実家に帰る」

「そう。ありがと。あの家は私がいなくても姉さえいればいいのよ。だからこれで安心だわ」

「……」

「フフ、私のもうひとつのお願いは?」

「準備は出来ているよ。あまり、なまものを触るのは好きじゃないが嘗てない作品が生まれそうでゾクゾクするよ」

「はじめは、《《なまもの》》の意味……全然わからなかったけど。生もの……つまり生き物ってことだったのね」

 逡巡した後、言葉を紡ぐ男。

「何度も言うが、ほんとうにいいのか?」

「ええ、構わないわ。姉さんと同じになりたいから」

 男は何も言わず頷き、奥の部屋へと私を誘った。

 

 この男は姉が死んだとき、泣いたのだろうか……それとも喜んだのだろうか。

 だが、もうどうでもいいことだ。私もこの男の手で、姉と同じになるのだから……

 

 私は奥の部屋へと進み、鏡の前で服のリボンに手を掛ける。

 男は真剣な眼差しで私を見ている。

 気付くだろうか……私も姉と同じように腰に小さいながら黒子があることに。

 私は期待に胸が膨らむのを抑えられず、笑みを浮かべていた。

 

                    ❇︎


 男は眺めている。

 暗い店内で一際ひときわ輝く、ふたつの人形を。

 手を繋ぎお互いを見つめて微笑みあっている。どこからどう見ても仲のいい姉妹だ。

 だが、私はそれにある細工をしている。


 正面からは見えにくいが、お互いに腕を交差させてナイフを腹に突き立てている。

 いつも妹に縛られて見張られ、行き場のなかった姉の憎しみ。

 いつも姉と同じだと思っていたのに裏切られた妹の憎しみ。


 久々に傑作を完成させることが出来て、昨夜は興奮仕切りだった。

 だが、完成してしまえば情熱が冷めてしまうのも早い。

 もう目の前の姉妹には興味がない。

 私はまた、新たな土地で店を開くだろう。


 そして、同じように、作り続けるのだ。


 さて、長居は無用だ。

 目の前の作品は"期間限定"で拵えたものだ。腐敗も早い。

 私は、簡単な身支度を済ませると、店の看板をクローズにしてその場から去った。


 駅へと近付くと、夫婦だろうか。必死の形相で額に大粒の汗を流しながら、チラシを配っている。

 私はそれを一枚、受け取った。

 例の姉妹の片割れだ。

 私はそのチラシを丸めポケットに突っ込むと、公衆電話からチラシに書かれた番号に掛ける。

 電話は留守電に繋がったので店の住所に加え、こう吹き込んでおいた。


『娘さんの晴れ舞台。是非、ご鑑賞ください』


 終

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なまもの 発条璃々 @naKo_Kanagi885

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