スーツの男

白神護

スーツの男

Kの勤めていたファミリーレストランには、深夜になると幽霊が出るという噂がありました。


 しかし、Kは霊感とは無縁といった感じのさっぱりとした性格をしているので、春先に勤め始めてからたったの一度も、噂の幽霊というものを見たことがありませんでした。


 そんなある日――八月十六日の、まだ夜明けには程遠い、丑三つ時のことでした。とうとうKは、噂の幽霊らしきものを目撃してしまった。と、いうのです。




 その幽霊は、ピシッとスーツで身なりを整え、いつの間にか、噂の幽霊の特等席として悪名高い、店の奥の角の席に陣取っていました。あまりにもくっきりとした輪郭を保っていたので、Kは最初、普通のお客さんかと勘違いしてしまったそうなのです。


 けれどメニュー表を渡しに出ても、そのスーツの男は一切の反応を示さず、ただひたすらにブツブツと呟き、クスクスと不気味に微笑むばかり。不審に思ったKがF先輩に相談すると、F先輩は姿も見ずに、「それ、幽霊だから、無視しといて」と言い放ちました。


 Kは生まれてこのかた幽霊とは無縁の人生を送ってきていたので、恐怖よりもまず、好奇心を胸に抱きました。当時の夜間のフロア担当はKだったので、清掃業務にかこつけて、Kはこっそりとスーツの男を盗み見たりしていたといいます。




 スーツの男が来店して、二時間ほど経った頃合いでしょうか。東の空が微かに白み始めた午前四時、Kが数分目を離した隙に、スーツの男は姿を消してしまっていました。机の上にはホットドリンクのカップとアイスドリンクのグラスが残されており、その傍には、二人分のドリンクバーの料金、460円が置かれていました。


 ――二人分?


 Kは不思議に思ったそうです。Kが見たのは、スーツの姿の男の幽霊だけだったからです。


 F先輩は既に帰宅してしまっており、KはC先輩に幽霊の件を尋ねることにしました。


「お金? 幽霊が?」


 Kの手に握られたお金を見て、C先輩は素っ頓狂な声をあげました。


「てか、なんで二人分?」


 C先輩は不思議そうな顔をしつつ、Kを伴って、少しずつお客さんの増え始めたフロアへと足を運びました。


「あれ、まだいるじゃん」


 例の、店の奥の角の席を見て、C先輩は平然とそう言ってのけました。Kの目には、空のカップの残された、空の席にしか見えません。


 KはC先輩の言葉に動揺しつつ、さっきまで居た、スーツ姿の幽霊について話しました。




「へー……。そんな幽霊、初めて聞いた」




 C先輩は真顔でそう呟き、それから、Kの顔をまじまじと見つめました。


「それ、本当に幽霊だったの?」


 C先輩の言葉に、Kは、色々な意味で、ゾッとしたといいます。

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スーツの男 白神護 @shirakami

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