承:退院
翌日。
朝早くに目は覚めたはいいものの何が出来るわけでもないので、慣れない左手で、昨日叔母さんたちが持ってきてくれた本をのんびりと読んでいた。
昼飯時に差し掛かるころだっただろうか、ほぼ寝落ちしている状態でぼんやりと本を眺めていたら、病室のドアが開いて人が入ってきた。
気配に気付き、そちらに顔を向ける。
「あ、明仁。寝てた?」
そこには、幼馴染の
僕よりも背が高く、多分、180cmくらいはある長身の持ち主だ。
「半分寝てて半分起きてたって感じ」
「だろうね、眠そうな顔してるよ」
そう言いながら、真は僕の右腕へと視線を向ける。
「やっちゃったねー」
「やっちゃったっていうか、やられた、だけどね」
「あぁ、轢き逃げだったっけ」
「そ。参ったよ」
そんな話をしていると、再びドアが開いて女性が一人入ってきた。
「真。先に行かないでよ。部屋の場所わからなくて大変だったんだから」
「あ、花村先輩」
真の後に入ってきた女性は、真の彼女の花村先輩だ。僕より一つ年上である。
「皆川くん、大丈夫?」
そう言いながら、花村先輩も僕の右腕を見る。
「……じゃないね」
「そうですね」
花村先輩と会うのはかなり久しぶりだ。真と一緒にいるときくらいしか遭遇する機会がないのである。
そして、僕と会うときに真が花村先輩を連れているのは中々に珍しいことなのだ。
「とりあえず、生きててよかったね。車に跳ねられたんでしょ?」
「えぇ、受け身が上手く取れたのか、右腕だけで済みました。退院もすぐに出来るみたいです」
「明仁、運動神経は良い方だったっけ」
「……真と比べると劣るけどね、平均以上にはある方だよ」
真と会うのも、実は高校を卒業して以来初めてだった。
真と僕は別の大学に進学した。花村先輩は真と同じ大学だ。真が花村先輩を追っていった形になる。
主に僕と真が大学に入ってからの話をお互いにし合いながら、時間は経っていった。
どうやら二人は大学へ向かう道すがらに寄っていってくれたようで、しばらくしたら、これから講義があるから、と真が口にした。
「とりあえず、比較的元気そうで安心したよ」
「あぁ」
「とはいえ、無理はしないでゆっくり休んでね」
「わかりました」
「それじゃぁね。多分、入院中はもう来ないよ」
「それでいいよ。そんなに長くはいたくないし」
そんな軽口を言いあってから、真と花村先輩は一緒に病室を出ていった。
入院すると人が群がってくる。なんだか不思議な気分だ。
***
退院自体はその週の土曜日に出来た。思っていたよりは早い退院だ。
それに際しては叔母さんがやってきて荷物を纏めたりしてくれたので、僕がやることはほとんどなく、ぼーっとしていたらいつの間にか病院の入口に立っていたという具合である。
長いことぼんやりとベッドの上にいたので、気を抜くのに慣れてしまったのかもしれない。
「なんだかふわふわしてるけど、大丈夫?」
叔母さんが話しかけてきた。
「え、えぇ、大丈夫です」
「具合が悪かったらすぐに言ってね」
「はい」
少し心配性だが、叔母さんはいい人である。入院に際してのややこしい手続きやらその他諸々をやってくれたのも叔母さんだ。頭が上がらない。
タクシーが来たので叔母さんと二人、それに乗り込む。
歩いて帰れる距離ではあったのだが、無理をするなと言われたのだ。それに、付き添う叔母さんも歩くことになるのだから、素直に従っておくことにしよう。
「真ちゃん、来た?」
「えぇ、来ました」
真が来たのは入院して翌日だ。多分、事故に遭ったその日のうちに、叔母さんが真に連絡を入れてくれたのだ。
「相変らず背が高かったわね」
「多分、叔母さんが前会ったときよりも伸びてますよ、真」
「あらそうなの。そうそう、そういえば真ちゃん、可愛い女の子連れてたけど、あの娘は誰?明仁くんの知り合い?」
おそらく真は、僕に会いに来る前に家の方に寄っていたのだろう。その時、花村先輩も一緒だったのだ。
「いや、その人は真の彼女ですよ」
「え、そうなの?」
叔母さんはかなり驚いたようだった。
まぁ、花村先輩が真の彼女だと知ったら、大抵はそうなると思う。
僕だって、初めてそのことを知ったときはびっくりしたものだ。
女にモテるやつではあったが、恋愛絡みという意味では噂をとんと聞かないやつだった。
確か話に聞く限りでは、もう二年以上の付き合いになっているという。
「明仁くんは彼女とかいるの?」
「いや、いませんねぇ」
「あら、そうなの」
叔母さんはそう言って不思議そうな顔をする。
そんな顔をされても困る。いないものはいないのだ。
***
医師によると、一週間くらいは無理して大学に行かず安静にしておけとのことだ。
叔母さんもそう言って、家から出ることを許してくれないので、僕は大人しく引きこもり生活をすることにした。
とはいえ、さすがに復帰直後に講義に全くついていけなくなっては困るので、気が向いたら教科書をパラパラと捲るようにはしていた。
そんな風に過ごしていた月曜日の夕方頃、叔母さんが僕の部屋までやってきた。
「明仁くん、入ってもいい?」
「はい、いいですよ」
答えると、ガチャリとドアが開く。
「どんな用です?」
ドアの方に振り向くと、バインダーらしきものを持った叔母さんが立っていた。
「あのね、さっき、大学の人が来て、この荷物、明仁くんにって渡されたの」
「大学の人?」
「えぇ、黒髪の美人さん」
誰のことだろう。そもそも、荷物とは何だ。
「荷物って、そのバインダーですか?」
「うん」
叔母さんから手渡されたバインダーをよく見てみると、表紙には「先週の分」と書いてあった。先週の分?
バインダーを開いてみると、中には大量のルーズリーフが挟まれていた。
パラパラと捲ってみてわかった。これは全部、大学の講義のノートだ。
多分、僕が受けている講義については全部入っているのではないだろうか。
「もしかして、持ってきてくれた人って長い黒髪の?」
「うん、綺麗な髪をしてたわね」
となると、おそらくこれを持ってきたのは獅子木さんだ。
そういえば、ノートを見せてくれるとかどうとか言っていたが、まさか家まで持ってきてくれるとは思わなかった。
「その人、もう帰っちゃった?」
「えぇ、これを受け取ったらすぐに行っちゃったわよ」
礼を言いたかったのだ。なにせ、連絡先すら知らないので、そうするには直接会うしかない。
「知ってる人なの?」
「うん、一応。大学の同級生」
「あらあらそうなの。隅に置けないわねぇ」
「そういう間柄じゃないよ」
入院した時が初めての会話だ。
そして、それ以降一度も会っていない。勿論、大学に一度も行ってないからだ。
礼を言うのは、仕方ない、来週、大学生活に復帰してからだ。
僕は精々、その時にこのバインダーをちゃんと返せるように、渡されたこれの中身をしっかり頭に叩き込むことに専念しよう。
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