結:空回りからのスタート
では、後日談である。
夏休みが始まって数日経ったころ、商店街へ買い物に来ていたら大変なものを見てしまった。
染坂さんが、男と一緒に歩いていたのだ。
随分と仲が良さそうだった。
染坂さんはその男の背中を軽く叩いたりして、いわゆるスキンシップを取っていた。少なくとも私にとっては相当に仲が良くなければ出来ない行為だ。
最近になって自分の気持ちを自覚してからは、同性に対してもかなりハードルが高い。
染坂さんは私のいた歩道とは道路を挟んで反対側にいて、男の方を見ていた彼女は私に気付くことはなかったけど、あの背の高さと横顔、間違いなく染坂さんだと私にはわかった。
一言で言おう。
大ショックだった。
その日はすぐに帰宅してずっとベッドに潜り込んでいた。
次の日も、部活があったけれど、染坂さんに会ったときにどんな反応をしたらいいのかがわからなくなって、休んでしまった。
そしてその夜、このままじゃどうしようもないと思い、薫にヘルプのメールを送ったのだ。
毎度毎度、悩みの捌け口にしてしまって申し訳ないと思いつつ、それが出来るからこその大切な友人である。
*
それから二日後の昼過ぎ。
家族は皆出掛けていて一人っきりの家の中、自分の部屋でうつらうつらとしていたら、チャイムが鳴った。
ドアまで行って確認すると、来ていたのは薫だった。
どこで相談しようか悩んだのだが、街中を出歩くと不意に染坂さんと遭遇してしまいそうな気がして怖くなり、薫を私の家まで呼び付けたのである。
自分のことながら、不躾極まりない。
ドアを開け、薫を招き入れる。
「お邪魔しまーす」
薫が靴を脱ぐのを待つ。
「今ね、みんな出掛けてるから、私一人だよ」
「なるほどね、それでずっと寝てたんだ。髪、酷いことになってるよ」
薫に指摘された初めて意識がそちらに向いた。触ってみるとかなりのグシャグシャ具合である。
「まぁ、いいかな」
「よくないでしょ。傷むよ」
薫を自室に入れてから、少し時間を貰って髪を整えた。服は部屋着だし、このままでいいだろう。
「美雪さ、御飯食べてないでしょ。適当にパン買ってきたからこれ食べようよ」
「わ、ありがとう」
気の利く友人だ。
飲み物の準備をしてから、二人でパンをもしゃもしゃと食べて時間を過ごした。薫曰く、駅前に最近出来たパン屋で買ってきたらしい。
「それで、相談って何?染坂さんのこと?」
二人とも食べ終えて一息ついたころ、薫が訊いてきた。
夜に送ったメールではただただ相談したいことがあると泣きついただけで、具体的な内容は何も書いていなかった。
「うん。よくわかったね」
「美雪が最近悩むことっていったらそれくらいでしょ」
「それじゃまるで、それ以外のこと考えてないみたいじゃない」
「そうでしょ?」
「うん」
少し呆れ顔で溜息をつく薫。
「それで、何があったの?」
「えっとね……」
私は、染坂さんと男が一緒にいるところを見かけた話をした。口にしてしまえばすぐに終わってしまうくらいの短かい出来事だ。
しかし、それで私は何日も悩んでいるのだから、期間の長短で物事の大きさは測れないのである。
「なるほどねぇ」
聞き終えた薫が呟いた。
「相手が誰だか知りたいとか、どんな関係なのか知りたいとか、そんなところでぐるぐる悩んでるんでしょ」
「……うん」
薫の勘が鋭いのか、私がわかりやすい性格なのか、どちらだろう。今回は後者な気がする。
「直接訊けばいいじゃない」
「怖いの」
「別に、もうそれくらい訊けない仲じゃないでしょ?」
「だって、そんなこと訊いたら私が染坂さんのこと意識しちゃっているってバレちゃうかもしれないし、まだ、そこまでは進んでないし」
以前と比べて、私と染坂さんの仲は良くなっていると思う。
部活でも私主観ではだいぶ自然に喋れているし、時々、本当に時々だけど、手芸用の道具や材料の買い出しに二人で一緒に行ったりもしている。先輩がつきっきりで指導する期間はもう終わったけど、今でも度々一緒に作業している。
会話の内容だって、たまには踏み込んだ話も出来るようになってきた。
例えば、中学時代に陸上部で活躍していた染坂さんが高校では陸上部に入らなかった理由が足の怪我のせいによるものだとか、家にいるぬいぐるみ達の写真を見せてもらったり名前を教えてもらったりとか。
でも、まだ恋愛絡みの話は出来ていないのである。どんな人が好きなのか、あったとすれば初恋がどんなものだったのか、とかとか。そういう話は、自分の気持ちを意識してしまって踏ん切りがつかないのが現状だ。
「でも、会ったら訊かずにはいられない、と」
「……はい」
「面倒な性格してるねぇ」
「言わないでよ、自分でもわかってるから」
そう言ってから、私は蹲まる。
わかっているのだ。訊けば一瞬で終わるということを。
だけど、もしも、その男が染坂さんの恋人だったりしたら。
私は、どうなるだろう。
多分、泣いてしまう。
そして、それを見た染坂さんはどう思うだろう。
変な人だと思うだろうか。いや、聡い子だから、もしかしたら私の気持ちに気付いてしまうかもしれない。
気付いたあと、彼女はどうなるだろう。私のことを避けるようになるだろうか。
多分、そんなことにはならない。そういう子ではない。
きっと、気付いてないふりをしてくれる。
だけど、それは染坂さんに私の気持ちという重荷を背負わせることになるわけで、そんなことはさせたくない。
だから、だから、私は。
「はぁ……」
ぐるぐると考えを巡らせていたら、薫が大きく溜息を付いた。
少し涙で滲んでしまった眼を薫の方へ向ける。やれやれ、といったポーズをとっている。どうしたのだろう。
「なるべく自分で訊いてもらう方がいいかな、と思ってたんだけどねぇ」
「?」
「ま、少しは仲も進展してるみたいだし、今回は別にいっか」
「どういうこと?」
薫が何について話しているのかわからない。
「あのね」
「なに?」
「染坂さんと一緒に歩いてた男の人ね、染坂さんの彼氏じゃないよ」
「え?」
どういうことだ?
本当なのだろうか。本当だとして、薫がどうしてそんなことを知っているんだ。そのことを話したのは今が初めてなのに。
「なんか余計に混乱しちゃったみたいだね。なんでこんなこと知ってるのかは今話すから落ち着いてね」
「う、うん、わかった」
とりあえず、蹲まっていたままの姿勢を元に戻す。
「で、どうして?なにがどうなってるの?」
「昨日ね、私、ちょっと用があって学校に行ってきたんだよ。それで帰り際、美雪に挨拶しようと思って手芸部に寄ったの。だけど美雪が見当たらなかったからそのまま帰ろうとしたら、染坂さんに話しかけられたの」
「え、染坂さんと知り合いだったの?」
「そういうわけじゃないよ。だけど、互いに見かけたことはあったの。私からすれば染坂さんはそもそも目立つ容姿だし、染坂さんにとっては私は美雪とよく一緒にいる人って感じで」
「そうだったんだ」
「よかったじゃん。少なくとも私と一緒にいるのをよく見かけるくらいには意識されてるってことだよ」
「え、あ、そう、なのかな」
はたしてそれがどれくらいの話なのかはよくわからないが、まぁ、日常生活の中で時々目に入るくらいには仲がよくなってきた証だろうか。
「話戻すね。で、その時訊かれたの。美雪に何かあったのかって」
「染坂さんがそう訊いてきたの?」
「そ。なんでも、この前商店街で美雪のことを見かけて、挨拶しようと思ったその時には駆け出してどっか行っちゃったって」
ほぼ確実に、私が染坂さんを見かけたその日だ。まさか染坂さんの方からも見られていたとは。しかも、逃げ出すその瞬間を。
「ちょっと、蹲まらないでよ、話しづらいから」
「あ、ごめん」
「それで、もしかしたら自分が美雪に何か悪いことしちゃったんじゃないかって心配してたんだよ、染坂さん」
「そうだったんだ……変な誤解させちゃったな、謝らないと」
「次会ったらぜひともそうしてね。で、話を聞いてピンと来たの。美雪から来たメール、絶対このことだって」
やはり、薫は鋭い。
「だから詳しく訊いといたのよ、その日のこと。そしたら、久し振りに会った幼馴染と駅前を散歩してたんだって」
「幼馴染?散歩?」
それが、染坂さんと一緒にいた男なのか。
「なんでも、小さい頃に引越していったのが、最近になって戻ってきてたんだってさ。で、たまたま道端で遭遇したからそのついでに散歩してただけだって」
「そうだったんだ……」
「で、一応訊いておいたんだよ。絶対美雪が気にしてるだろうと思って、その人が恋人かどうか。そしたらね、違うってはっきり言ってたよ。よかったね」
どれだけ気の利く友達なのだ。本当にありがたい。
「こんなことだからさ、美雪が染坂さんと直接話すのが手っ取り早いと思ったんだけど、どうにもそんな感じじゃなかったから仕方なく私が教えてあげたってわけ」
「うぅ……恩に着ます」
「着なくていいからさ、とりあえずシャキっとしなよ。彼氏だったらどうしようって思ったのかもしれないけど、訊かなきゃ今以上に状況が悪くなるだけだったじゃない」
手厳しいが、実際その通りである。何日も悶々と悩んでいたことが、こんなにあっさりと解決してしまったのだ。
「とりあえず、染坂さんの誤解、解いておきなよ。気にしてたから」
「うん、そうする」
明日、まっさきにそうしよう。
*
帰り際、薫が靴を履いてドアに手をかけようとする直前に、あ、と呟いた。
「でも、油断は出来ないかも」
薫がこちらを向くことなくそう言った。
なんのことだ?
「久し振りに会った幼馴染、だよ。ポイント高くない?」
「え」
「幼馴染ってだけでも十分なのに、久し振りに再会した、だよ?昔の記憶って馬鹿に出来ないから、案外やばいかも」
「え、え」
「いやぁ、手強いライバル登場だなぁ」
薫はそう言いながらドアを開ける。
「ちょっ」
「それじゃぁまたね、お邪魔しましたー」
「待っ」
伸ばした手は空を掴む。
するりと隙間を抜けて薫は出ていき、ドアは閉じられる。
勝手に火蓋を切り落とし、友人は去っていく。
とにかく動けということか、こんちくしょう。
最後の瞬間、こちらを見てニヤリと笑う薫の顔が、ドアの隙間から覗いた。
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