転:妄想ベースド恋愛講義

「それが、一ヶ月前のこと」


薫は、私の話をひたすら黙って聞いてくれていた。

「その間は何もなかったの?」

「うーん……、ここ一ヶ月は普通にしてようと頑張ってたんだけど、やっぱりいざ染坂さんに面と向かうと色々意識しちゃって、変な反応しちゃうんだよね」

「例えば?」

「声が上擦ったり、目を合わせられなくなったり、ちょっとしたことで身体が触れるたびにびくっとしちゃったり……」

「恋してるって感じだねぇ」

薫が茶化すように言う。


「……変じゃないかな?」

「何が?」

「女の子を好きになったこと」

「気にすることはないんじゃない?」

薫は軽い口調でそう口にした。

私は、その台詞を聞いて少し虚を突かれたみたいな気分になってしまった。

「そういうものなの?だって、これ、女の私から見て染坂さんが男みたいに思えてるとかじゃなくて、多分、女の子として染坂さんを好きなんだよ?」

「気にしたって仕方ないってのが半分、それほど特別なことじゃないって思うのがもう半分。数の多寡はあるだろうけど、そうであっても不思議なことじゃないと思うよ。女の子が女の子を好きになるのって」

少し突っ慳貪な言い方にも聞こえるけれど、薫の基本的な話し方はこんな感じだ。そして、別段優しさを纏わない物言いが、今の私にとっては心地良い。

「そうかな。それなら、いいな」

ほっと一息ついて、残っていたアイスティーを流し込む。


「で、美雪はどうしたいの?」

薫が少し身を乗り出して問い掛けてきた。

染坂さんが好き。それは紛れも無いことだ。

だけど、それからどうしたいのか、言われるまで、考えてもいなかった。

「どうしたいんだろう、私」

「染坂さんと付き合いたいの?それとも、思いを抱えたままで静かに過ごす?」

「……」

「難しいよね」

「うん。付き合うっていうのも、よくわからないし……」

「ま、それは私もなんだけどさ」

言っといて難だけど、と薫は軽く笑う。

「でもさ、そのままでいたいって思ってるわけでもないんでしょ?」

「それは……そうだね」

自覚してはいなかったけれど、今思えば、何かを変えたくて薫に相談することにしたのだと思う。

「好きって気持ちをずっと隠しているのは無理だし、そうしたくない」

「叶うなら、染坂さんにその気持ちを受け入れてほしい?」

「うん」

そう口にして、改めて自分の気持ちに気付く。


やっぱり、このままではいたくない。

染坂さんを好きな気持ちをどこかにやってしまいたくはない。

とはいえ、ずっと抱えたままで秘めているのはつらい。

薫に話したことで気持ちは楽になってきたけれど、何かが解決したわけではないのだ。

私が染坂さんを好きで、染坂さんも私を好きで、そんな風になれたら、とても嬉しいのに。


「焦らず、ゆっくりでいいと思うよ」

悩み出して口を噤んだままでいた私をじっと待っていてくれた薫がそう言った。

「少なくとも、そのままではいたくないんでしょ?今はそれだけで十分だと思う」

「そうかな……」

「まずは、距離を少しずつ縮めることを考えてみたらどうかな」

「どういうこと?」

「今、美雪と染坂さんの関係はまだ単なる先輩と後輩でしょ?」

「だね。会ってからまだ二ヶ月くらいだし」

「気持ちを伝えるにせよ、伝えないにせよ、今のままじゃ難しいし唐突だと思う。特に、染坂さんにとっては」

「うん、そうだよね、きっと。私が一人でどぎまぎしてるだけで、染坂さんから見たらたくさんいる先輩の内の一人だと思うし」

「そこをさ、仲の良い先輩後輩、学年を越えた友達、みたいに徐々にステップアップさせていくの」

薫が、身振り手振りを加えて解説してくれる。

「段々と打ち解けてきて、なんでも話せるような仲になってきたら、まず確認しておこう」

「確認?何を?」

「染坂さんの好きなタイプ」


「あ」

言われて初めて気が付いた。そういえば、自分の好きって気持ちばかりを考えていて、染坂さんにとって好きってことがどういうものなのかについて全く考えていなかったのだ。


「あぁ、独り善がりだったなぁ……」

私はそう言って机に伏せる。

「仕方ないでしょ、そういう時って周りのことが見えなくなるもんだよ」

薫がポンポンと私の頭を軽く手で叩いてくる。

「それに、好きなタイプ自体はどうでもいいんだよ。いや、どうでもよくはないけど、大事なのは、染坂さんがどういう人を好きになるのか、それを知ること」

「染坂さんが都合よく同性を好きでいてくれるとは思えないけどね……」

「かもしれないね。だけど、その情報は判断の助けになるでしょ?美雪がどうアプローチをかけていくのかってことについて」

なる、のだろうか。

「もしも染坂さんも同性を好きなら、美雪は恋愛対象に入るかもしれないから、うん、素直にアプローチをかけていっていいと思う」

「……うん。誰かを好きになるのなんて初めてだから、上手くいくかはわからないけど」

「誰だって最初はそうでしょ。気にしてちゃ始まらないよ」

「そうだね。でも、もしも染坂さんが異性を好きになるタイプだったら、私はどうしたらいいんだろう」

現実的にはそうなる可能性が高い。そして、その場合にどうすればいいのかが、私には全くわからない。


「簡単なのは、諦めること。思いは通じないんだなってことにして、身を引くの」

「え」


「簡単なのはね。そうしろって言ってるわけじゃないよ。だって、諦めたくはないんでしょ?」

「うん」

「これは私の想像、というか妄想でしかないんだけれど」

薫はそう前置きしてから、話を続けた。

「あのね、恋愛における好きって感情は人それぞれで形が全然違うものだと思うの。美雪が染坂さんを好きって感情と、染坂さんが他の誰か、例えば男の人を好きになる時の気持ちって、同じ形をした感情じゃない、と思う。勿論、私が誰かを好きな気持ちも」


「形が違う?」

「そう、形が違う。そしてね、付き合う、つまり恋愛関係を結ぶっていうのは、好きって言い合うだけじゃなくて、互いに相手が自分に向けている好きって感情の形を知って受け入れることなんじゃないかと思う」

私は黙ったまま、薫の話に耳を傾ける。

「だから、まず大事なのは、相手が、自分の好きなその人が、どんな形の好きって感情を人に抱くのか、それを少しでも知ることだと思う。受け入れるのための準備をするの。多分、それは相手がどんなタイプを好きだろうと関係ない。それが自分には向けられないかもしれなくても、その人を好きって気持ちを実らせたいなら、逃げちゃダメだと思う」

「私は、染坂さんのことをもっと知らなきゃいけないってことかな……」

「そうとも言えるかもね。今のままでも十分に好きかもしれないけど、やっぱり、その先に進むにはもっと相手のことを知るのって必要だと思う」

こくり、と私は頷く。薫は話の続きを始めた。

「相手の好きを受け入れる準備は、相手の好きの形を知れば、多分出来る。なら、その逆、相手に自分の好きを受け入れてもらうにはどうすればいいのかってこと」

「……自分の、好きって感情の形をその相手に知ってもらう、だね」

「そういうこと。で、もしも染坂さんが異性を好きになるタイプだった場合なんだけど、実際のところ、やるべきことは同性を好きになるタイプだった場合と変わらない。相手のことを知って、自分のことを知ってもらって、それで好きって気持ちを伝える。それだけだよ」

「そう、かな……」

「染坂さんが異性を好きになるからって、自分に向けられた同性からの好意を受け入れないって決まったわけじゃないんだよ」

「それはそうだけど、でも、やっぱり好きになってもらいたい」

「それもさ、形の話だよ。人によって好きって気持ちの形が違うなら、自分が人に向ける好きの形だって、相手によって形を変えてもおかしくないじゃない。異性に向けるそれとは違う形でも、染坂さんが美雪の気持ちに応えてくれることがあれば、それを美雪が受け入れればいいだけの話だよ。大事なのは、互いに相手の形を受け入れること」

「互いに……、か。染坂さんに気持ちを向けるだけじゃなくて、染坂さんがどういう気持ちを抱くのか理解しなきゃ、理解しようとしなきゃダメってことだよね」

「そういうこと」

薫が微笑む。


「なんだか経験豊富に聞こえるね、薫」

私は、薫がこんなに熱心に話をしてくれたことが嬉しくて、そして恥ずかしくて、少し茶化すような返事をしてしまった。

「最初に言ったでしょ、これは妄想でしかないって。真剣に考えはしたけどさ、実際のところ通じるかはわからない話だよ」

「それ言っちゃうの?」

「仕方ないでしょ」

そんなやりとりをして二人で笑う。

「薫、ありがとう。なんだか楽になってきた」

「そうかな。それなら嬉しいよ」

「このままじゃダメだっていうのもわかった。結果がどうなるか、私がどうしたいか、そういうのは置いといても何もしないんじゃ始まらないよね」

「うん」

「なんにせよ、まずは染坂さんともっと仲良くなるところから始めなきゃだなぁ。最近、こっちがおかしくなってて上手く話が出来てないから、それを取り戻さなきゃ」

「だね。頑張って」

薫はそう言ってにっこりと笑った。


気付けば夕日が差し込んでいて、窓の外はオレンジがかった空気を纏い始めていた。

「そろそろお店出ようか」

外を眺めていた薫がそう呟いた。

店内の照明は暗めだったから、店の外に出ると夕日がとても目に眩しい。だけど、今はそれをあまり不快には感じない。

最近ずっと一人で抱えていたものを、薫に話すことができて、気持ちが楽になった。

どう扱えばいいのかわからなかった感情を、自分の手でしっかりと持つ勇気が出てきた。

また明日、と言いあって駅前で薫と別れる。


明日が来る。

きっと、今日よりももっと近づけるはずの、明日が。

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