エンカウント
「コーヒーなかったからコレにしといたけどいいよね?」
アイスコーヒーがなかったら英梨々と同じのでいいと言った自分が悪いので、詩羽はこのいかにも体に悪そうな色をした炭酸飲料を受け取った。どんなものだろうとラベルを見ると『ペプシ きゅうり味』と書かれてある。隣でキャップを空けながら英梨々は、
「今回のプレスには目玉として『少女』の3DAIが準備されてるんだって、朱音が残れって言ったのはそれが理由じゃない?」
ゴクリゴクリといい音を立てて冗談のような液体を飲み干していく英梨々を、詩羽は火星人を見るような目で見てしまう。とてもじゃないが口につける気になれないのでバッグにしまった。
「3DAI?」
「ヴァーチャル映像の『少女』に話しかけると何かしら答えてくれるみたい、まるで会話してるみたいに。結構出来が良いらしいよ」
「顔のあるSiriみたいな感じかしら?」
「あるいはワトソンかも」
司会者からの質問攻めを辛くもしのぎ、観客の好機な視線に耐えた2人はほうほうの体で壇上から逃げてここにいる。本当は今すぐ帰って作業に取り掛かりたかったが
「朱音さんたらここ最近コソコソと何をやっているかと思えば……」
「いっつも美味しい仕事だけかっさらっていくよね朱音って。にしても信じられない、なんで
言葉とは裏腹に英梨々の顔は喜色に染まっている。
「……どうしてそんなに嬉しそうな顔してるの?」
何を馬鹿なことを言ってるんだこいつはという調子で英梨々は声を荒げた。
「だってあたしがデザインしたヒロインだよ! それが3次元になって話しかけてくるのよ! しかもこの東京ゲームショウでよ! ここで興奮しないでいつ興奮するのよ! あんたは嬉しくないの!?」
はぁそっすか、と詩羽。
ふあ〜〜、とあくびを一発。
壇上にいるのはさきほど待機部屋で青い顔をしていたはずの朱音だが、いまではそんな気配を微塵も見せずに司会者と質疑応答しながらデモプレイでゲームを紹介していた。しかしこのブースで展開されるプロモーションなど第2
暇だし、眠い。
そもそも、アニメや漫画ならともかくゲームなど本来なら詩羽の守備範囲ではない。英梨々のイラストにすっかり目が肥えた詩羽には、そこかしこのブースに展示してあるキャラ絵や背景画も、山に生えてる杉と杉みたいな感じで似たり寄ったりにしか見えず、どうかするとなぜ私はここにいるのか、という今更の疑問に首を突っ込みそうになる。
――やっぱりこのまま帰ろうかな。
このままでは立ったまま寝てしまうと思った詩羽は、重たい目蓋を持ち上げてなにか面白いものがないか見渡た。そこかしこのブースでアカネプロダクションのスタッフがちらほら見える。ゴツいヘッドセットを装着してVRの中で剣を振ってるあのオジサンは広報担当の田代で、アー◯ード・コアの新作発表に発狂して雄叫びを上げているファンはコンポーザーの鈴木だ。みんな結局、自分たちの企画そっちのけね――くすりと笑って視線を左へ移す。そこにはアカネプロダクションの新規IPを冷やかしに来たかのような2人組がいる。壇上を指差して談笑しているのは、今となっては懐かしい波島出海と氷堂美智留で――、
背筋が凍りついた。
波島出海と氷堂美智留。
「でも朱音も人が悪いよね、『少女』のAI設計者が来るなんて清水さんも直前まで知らされてなかったみたい。なんでここに来てぶっこんで来たんだろ? やっぱあれかな、『少女』の3DAIが思いの外が出来が良くって、その設計者をウチんとこに繋ぎ止めておこうって言う布石かな、ねぇ詩羽はどう思う?」
聞いてない。脳ミソが麻痺しているので、仕方なく詩羽の口は脊髄反射に近い処理で「ああ」と「うう」の中間くらいの声を放り出した。
やっぱそう思う? でもいくらAIが優れていたってあたしのビジュアルがあってこその魅力よね、見てよ観客全員の目を釘付けにしちゃってるわ――とかなんとか言ってはしゃぐ英梨々の声が、会場のざわめきが、イベントの熱気が、まるで詩羽から隠れるように遠のいていく。詩羽は波島出海と氷堂美智留に釘付けになっていて、指一本動かせなかった。
まだ二人はこちらに気付いてない。出海はそこらのブース一つ一つに指を指して、滾る思いをぶつけるように話し続けていた。聞き手の美知留は乾いた笑いしか出てこないらしく、そのこみかみには一筋の汗が流れている。
どうしてここにいるの? とさえ思わなかった。
やがて、氷堂美智留と目があった。
しかし、こちらに注意を向けようにも、興奮冷めやらぬと言った調子でのべつ幕なし話し続ける出海を落ち着かせる必要があったらしく、ドゥドゥとなだめてこちらを親指で示した。すると、出海はあっと手で口を覆った後、眉をきゅるりと鋭角に持ち上げて「ここで会ったが百年目」みたいな目つきで睨んできた。
詩羽にとってそれは理解できる。
理解できないのは、まるで連休明けに会った同僚に挨拶するような気軽さで、こちらに小さく手を振ってくる美知留の方だった。美知留はそのまま、「面白いもんが見れるぞ」と言わんばかりに顎で壇上を指した。
意識から締め出していた会場のざわめきが、詩羽の耳にゆっくり戻ってくる。
司会者のアナウンスが聞こえた。
「このゲームのヒロインを語るにあたって、本日はゲストを招いております。ヒロインのAIアルゴリズムを設計を担当してくれました、どうぞこちらへ!」
予感、などと言う生易しいものではない。
ゆっくりと、
ゆっくりと、
ゆっくりと、
振り返った。
そこにはガチガチに緊張して手足が震えながらも、何度も何度も練習してようやくここまでになりました、という感じのスピーチをする――、
「私のような裏方をこのような晴れ舞台にお招きいただき大変恐縮です。皆様との顔合わせはもちろん初めてですよね。初めまして、安芸倫也です」
7年前より、背が少し伸びたように思う。
7年前より、声がよく通るようになっていた。
7年前は、眼鏡を外した方が見栄えがいいとは気づかなかった。
倫理君なわけない、という声が理性とは別の場所から聞こえた。
目が合った。
錯覚ではない。なぜなら倫也の顔に何重にも覆いかぶさった青い縦線が晴れていくのがここからでも見て取れたからだ。それまで身体をがんじがらめにしていた緊張から開放され、頬を上気させて瞳が輝くその表情に、2人は強烈な既視感を覚えた。
見覚えがある。どこかで描いたはずの誰かと、いつか書いたはずの誰かと。
倫也の視線を真正面から受け止める形になった詩羽は、もう何も考えることができない。視線に射すくめられて、英梨々は後ずさりの一歩がどうしても踏み出せなかった。
「……このプロジェクトに参加できたのは幾つもの幸運が重なった結果です。私1人が語るのはお門違いでしょう。でも、そこを敢えて言わせてもらえるのならば、“少年”と“少女”の2人が様々なスタッフによって命を吹き込まれていく過程を見ることができたのは、私にとって間違いなく僥倖でした。アーキテクチャーは身体を、イラストレーターは心と表情を、シナリオライターは人生を与えて――」
「LAST JOURNEY」の最終局面で、主人公は“
これら一連のシーケンスは言わばラスボス戦の前座であり、そこにはムービーが差し込まれる。画面には、あらん限りの声で逃げてと叫ぶ異形の少女と、一歩たりとも後ろへ退かない少年が。
「――このゲームにおける2人の旅路は、全てのスタッフが持てる技術と心血のすべてを注ぎ込んで生まれました。皆様の期待を決して裏切ることはないでしょう」
倫也は英梨々と詩羽をまっすぐ見つめて、かつてよくそうしていたように破顔した。
――だいじょうぶ、君の旅路を阻む全ての脅威は、ボクが退けてみせる。
そう言って腰の長剣を抜き放ち、少年を殺してしまうかも知れない恐怖に心を支配されそうになっている
主人公のように。
彼女たちの旅路 いづみゆうた @Gold_Blend
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