詩羽の原点


 あれは歳が10に届こうかという頃、わたしがどうしても観たいと駄々をこねて母がしぶしぶ了解し、両親と映画を観に行ったときのこと。どういうタイトルの作品だったかはもう憶えてないわ、モンスターパニック物であまり子供向きの作品ではなかったと思うけれど、そこが逆に当時のわたしにとって魅力的に映ったのは憶えている。買ったいいけれど映画に集中しすぎて全く手を付けてない父のポップコーンを横から拝借していたとき、物語もクライマックスが近づいきて、視覚ではなく聴覚で獲物を探す怪物を前に隠密行動を取る主人公が、ヒロイン役の女性に息を殺せと注意している場面になると、わたしは疑問に思って隣で映画に没頭している父に問いかけたの。

「息を殺すってどういうこと?」

 父は映画から目を離さず、

「音を立てるなってことだよ」

「なら、静かにしてって言えばいいんじゃないの? 息は生き物じゃないよ?」

 すると、父はそれまで夢中になってた映画よりも、我が子の好奇心を優先したわ、そういう父だったの。声を潜めて内緒話をするかのように、わたしの耳に手を当ててこう囁いたわ。――息を吸ってごらん。

 思い切り息を吸って、肺が空になるまで吐いた。

「うるさいというほどじゃないが、音が鳴るだろう? 呼吸という行為を生き物に見立てて、それを殺すわけだ。息がかわいそうだが、そうしないといけないくらい今の主人公たちは追い詰められているんだよ」

 見識が広がるというのはこういうことを言うのでしょうね。

 それまでわたしは国語の授業が大の苦手だった。文字なんて読めればそれでいいと考えていたものだから、ひらがなや漢字の練習をするとき、ここは止めろここは跳ねろと、実に細かく指示してくる先生が鬱陶しくてたまらなかったの。漢字ドリルの宿題などもってのほかで、何がドリルだ穴でも掘ってろと床に叩きつけたことを今でも憶えている。

 だから、あの時の父の言葉には今でも感謝してる。国語の先生はひらがなや漢字のきれいな書き方を教えてくれても、これは教えてくれなかった。当時のわたしにとってそれは、大袈裟ではなく一つの革命だった。

 言葉は、それがまるで意思を持って生きているかのような振る舞いを、モノですらない行為や出来事にさえ、与えることができるの。命を吹き込むように。

 父はこくりと頷いたわたしを見て満足したみたいで、また映画に集中する。

 わたしは帰ったら家にある全部の絵本を読み返してみようを心に決めた。

 母は映画の最初から最後まで決して鼻提灯を手放さなかった。

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