episodeー7

 混雑していたファーストフード店を避け、イタリアンの専門店へ入る。

 ピザを単品で頼もうとする大神にピザをシェアして、パスタを頼まないかと提案すると昼食はパン食にしていると言われて理由を聞いた。


「いつ呼び出されるか分かんないんで……パンとかなら持って帰れるし」

「なるほど? でも今日はお客さんが一緒なんだから呼出は無いんじゃない?」

「あ、そか……」

「食べれないなら無理にとは言わないけど、食べたいもの無いの?」

「ミートソースが好きです」

「じゃあ、それ食べよ」


 ミートソースが好き。

 うん、ペスカトーレよりボンゴレより、ミートソースが良く似合う。

 沖野は真面目にそんな事を思った。


「そう言えば大神さん、この前の暗号さ……」

「ん、はい」

「部下から貰ったって言ってたけど、女性?」

「え、いや……男ですけど……」

「……そか」


 男と来たか。

 沖野はまた内心、それはどう言う事かと自問自答を始めた。


「も、もしかして沖野さん、答え分かっちゃったんですか!? 早い、え、マジ?」

「あー……いや、知り合いにちょっと聞いてみたら、案外簡単に答えが……」

「どんな答えだったんですか?」


 あの暗号は男から大神へと渡された暗号で、なるほど、だからあの答えなのか。

 そう腑に落ちた沖野はジーンズのポケットから文庫本を取り出しテーブルに置いて差し出した。


「この【蜘蛛と蝶】って言う小説に使われてる暗号だって教えて貰って、答えだけ見たんだ」

「これ……」

「暗号の答えは【君以外の人と幸せになる】だった」

「え……?」


 ――葦火の和と問い競る鬼が仁菜見い――


 これをまず平仮名に全て直す。

 

 ――あしひのわとといせるきがになみい――


 そして四文字づつ区切って縦に並べる。

 

 あしひの

 わととい

 せるきが

 になみい

 

 これを右から二列目、上から三段目の【き】から下、右、上、上、上、左、とまるで蝶を描く様に蛇行させて行くと【君以外の人と幸せになる】と言う一文が読める。

 これは蜘蛛の経路と言う暗号の作り方をアレンジしたものらしい。


「嘘だ……何で……? 俺、ちゃんと言ったのに……」

「大神さん?」


 大神の目には涙が溢れていた。

 これはどう言う状況かと沖野は呆気に取られて、さっきまでの脳内仮説をもう一度反芻した。

 沖野の中でこれは大神の事を好きな男が、諦めます、と言う意味で渡したものだと解釈した。

 でも目の前の大神は、この答えに驚愕している。

 唇の震えが止まらない大神は、噛み殺す様に「何で……」と繰り返し、俯いてしまった。


「大神さん、大丈夫?」

「何で……じょ……ち……さん」


 じょちさん――?


 沖野はその言葉が自分の聞き間違いかと耳を疑う。


「ちょっと俺、トイレ行ってきます」

「あ、うん……」


 堪えきれなくなったのか、片腕で顔を覆ったままトイレに駆け込む大神をハッキリとしない意識のまま沖野は見送った。

 「お待たせしました」と注文した料理がテーブルに並べられたが、さっきの大神の言葉が耳から離れてくれない。


「さっき、上智じょうちさんって言ったのか――?」

 

 二十分待ってもトイレから戻らない大神を案じて、沖野はさっき買い物した時に貰ったレシートにある店の電話番号に電話をかけ、大神の体調が悪い事にしてこのまま早退させる事を伝えて、席を立った。

 トイレへと様子を見に来て閉まった個室は一つしかなく、その扉の前に立って二度ノックする。


「っ! す、すいませんっ。すぐ、行きますからっ!」

「良いよ。大神さん、一回ここ開けてくれる?」


 開かれた扉から大神を押し戻す様にして、個室へ入った沖野は後ろ手にドアの鍵を閉めた。


「お……沖野さん?」

「良いから、座って」


 便座の蓋の上に大神を座らせて、両肩に手を置いた。


「大神さん、さっき、上智さんって言った?」

「……」

上智利秋じょうちとしあきを知ってるの?」

「え、何で上智さんの事を沖野さんが知ってるんですか?」

「……」


 答える事に躊躇いがあったのは、沖野に大神への恋情が生まれていたからだ。

 上智利秋に未練があるかと言われたら、もう未練なんて呼べるような物でも無い。

 ただ、沖野にはずっと引っ掛かっている事があって、それを確かめたいと言う想いはあった。


「俺、沖野さんに一つだけ嘘を吐きました」

「嘘? 何?」

「あの暗号を俺に教えてくれたのは、部下じゃ無くて上智さんなんです」

「その上智さんって、足引き摺ってる?」

「事故で右足に後遺症が残ってるって聞いてます」


 事故で右足に後遺症が残った上智さんが、この世の中に何人いるだろう。

 そう有り触れた苗字でも無い。下の名前も利秋で間違いなさそうだ。

 もうこれは、天地が引っ繰り返る程度の確率でなければ、別人な訳がない。


「大神さんは上智利秋が好きなの……?」

「え? 何で? 違いますよ……?」

「え? だって、あいつの事が好きだからあの答えを見てこんな風になっているんじゃないの?」


 睫毛に残る涙を瞬かせてキョトンとした大神は、口籠ってそれ以上はどう話したら良いのか分からないとでも言いたそうな顔で眉間に皺を寄せる。


「一先ず、帰ろう。お店には早退させるって電話入れておいたから」

「……すみません」

「そんな顔じゃ、店頭に立てないだろ? それに、これで半日おじさんとデートして貰える」


 注意深く軽い口調でそう言ったつもりだった。

 沖野はトイレの個室から出た所で背中に当たる重みを感じて立ち止まる。

 背中に頭部をぶつけて来た大神は遠慮がちに沖野のシャツを握っていた。


「……おじさんじゃないです。沖野さんは、大人の男です」


 あんまり挑発しないでくれよ、沖野は内心呟いて眉尻を下げた。

 自分から近付いて来た大神に嬉しいと思う反面、上智利秋が大神にこの暗号を教えた根拠は大神と自分が知り合いである事を知った上智利秋が、自分に解かせる為の暗号では無いのか? と言う疑念が湧いて胸がざわつく。


 ――でも、あいつ生きてた。良かった。

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