episodeー6

 あの後、沖野は少し時間を置いて夜にラインでも良いよ、とメールを返した。

 速攻で大神おおかみからラインに「お疲れ様です」と入って来て、待っていたのだろうか、とまた一人口元を綻ばせた。


 約束の月曜日。

 沖野は十時開店の駅ビルに十時半には着いていた。

 平日の午前中の駅ビルは人もそう多くはないが、三階とだけ聞いていた沖野はまだ見慣れていない完全武装した大神を探してフロアを一周した。


「……どこのブランドか聞いとけば良かったな」


 一番近いショップの若い販売員に「大神」の名前を出して聞いてみる。


「あ、少々お待ち下さい。店長! 店長? あれ? どこ行った?」


 ……店長だったのか。しかも、この店結構値段も良いし、品も良い。

 沖野はクルッと店を見渡して、センスの良いレイアウトを満足気に眺めた。


「何だ? 店で騒ぐな、芹沢」


 バックヤードから出て来た大神は今日はモカブラウンのスーツにカモフラ柄のネクタイを締め、モノトーンのウィングチップを履いている。

 胸ポケットにはネクタイと同じ柄のチーフを差して、いつもよりシャープな印象だった。


「あ、大神店長、お客さんです」

「あ……沖野さん。いらっしゃいませ」


 笑った――。

 あの大神が笑うと少し幼くなって、しかも小首を傾げたその様は悶絶する程可愛い。


「や、やぁ、お店の名前聞いて無くて探しちゃった」

「あ、すみません。連絡しておけば良かったですね……」

「いやいや、すぐ見つかって良かったよ」

「せっかくの休みなのに、こんな早い時間に来てくれるなんて思って無くて……」

「これでも楽しみにしてたからね。今日は店長の腕に期待してるよ?」

「ちょ、止めて下さいよっ!」


 周りにいる数人のスタッフが沖野に興味津々で多方向から視線を感じる。

 そんなに見られる程変な格好はしてきてないはずだが、と居た堪れなさを感じて沖野はその視線に気づかない振りをしていた。


「ちょと視線が煩いですよね……すいません」

「え? あ、いや……」

「こんな仕事してるとお洒落でカッコいい人はつい見ちゃうから、スタッフもそんな感じなんだと思うんで、許してやって下さい」

「持ち上げるねぇ……ここカード使えるよね? おじさん、現金そんなに持って来てない」

「ははっ! どんだけ買ってくれるつもりなんですか? シャツ一枚、何なら靴下でも全然構わないですよ。でも一応、沖野さんをイメージしてコーディネートは考えてみたんで、着るだけでも着てみて下さいよ」


 また笑った。

 仕事が本当に好きなんだと、沖野はその笑顔に癒される。

 確かに親が死のうと、失恋しようと、客商売をしていれば笑顔を求められて息苦しい時がある。

 でも彼の笑顔は、作り物では無いと感じられたから沖野はそれが嬉しかったのだ。

 何パターンか試着して、どれも普段の沖野のスタイルを良く見ているのだと知らされた。

 配色やシルエットも好みのものばかりが出て来て、沖野は大神のプロ意識に普段のあの寝起き同然の浪人生と同一人物なのか? とさえ思う。


「大神さん、あれは?」

「あ、アレは新作のライダースで、ラムレザー使ってます。着るだけ着てみます?」

「俺もレザー好きなんだよね。サイズ合いそうかな?」

「インポートなんでサイズはいけると思いますけど……」


 少し語尾を濁した大神に気付かれない様に沖野は値札を見た。

 十三万。まぁ、インポートレザーなら安い方だろう。

 それでも、そんな物を買って貰う訳には行かないと大神の顔に書いてある。


「大神さん、俺にコレ似合う?」

「え、あ、はい。勿論です」

「じゃあ、何でチョイスしてくんなかったの?」

「え……それは……そのっ……」

「俺は買えない物まで買っちゃう様な優しさは持ち合わせてないよ。大神さんが俺の好きそうな物を一生懸命考えてくれてるのに、一番好きそうって分かってるコレを持ってこないのは何で?」

「ご、ごめんなさい……」

「責めてる訳じゃないよ。俺はね、大神さんにもっと俺に甘えて欲しいだけ」


 結局、沖野はそのレザーを含めて二十万近く買い物をし、昼休憩に出ると言う大神を誘って駅ビルの喫茶店へと移動した。

 大神が沖野の懐を気にしてあのレザーを持ってこなかった訳じゃない事位は、分かっていた。

 自分の為に、付き合いで、買わせるのが嫌だっただけだ。

 だからこそ沖野はお付き合いじゃ無く、好きなものを彼から買いたいと思った。


「こんなに沢山買って貰って、ありがとうございます」

「お礼をそんなしょげた顔でする販売員は可愛くないな」

「あっ……ごめんなさい」

「笑ってよ。俺は大神さんの笑顔、めっちゃ好き」


 彼の口癖を真似た沖野は、赤面して俯きがちの大神に愛おしささえ感じる。

 これから話さなければならない暗号の答えを大神がどんな顔で聞くのかと思えば少し躊躇いがある。

 それでも、とあの小説をジーンズのポケットに差し込んで来た。

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