episodeー3
「足はもう、大丈夫なのかな……?」
「……シラネ。今日は良く喋るな、
「じゃあ、黙っとく」
「……悪い。そう言う意味じゃねぇよ」
「別に。僕は
会話の流れを変えたくて、沖野は一瞬口を堅く結んだ。
「そういや、お前って小説とか読むっけ?」
「まぁ、そこそこ」
「ミステリーとかは? 読んだりすんの?」
「恋愛モノよりは好きかな。あんまり猟奇的なのとかは読まないけど……」
「ならさ、これ、分かるか?」
沖野はポケットから大神が持っていた暗号のメモを取り出し常陸の前へと差し出した。
「
「暗号らしいんだが、サッパリでな」
そのメモ紙をジッと見て顎に手を当て考え込む常陸に、顎上げろ、と上を向かせる。考え込む様な素振りを見せた常陸は、暫く黙りこんだ後「あ、出た」と呟いた。
「は? 何、もう分かったの?」
「いや違う。これ、小説の中で使われてる暗号だよ。多分二、三年前に売れた本で、結構話題になった……」
「へぇ……」
「確か【蜘蛛と蝶】って言うタイトルだった」
「暗そうだな……」
「明るくはないかな。小説家になりたい女が、俳優になりたい男に恋をして売れっ子になれば振り向いて貰えると思って頑張るんだ。だけど、やっと売れた頃には相手も売れていて手の届かない存在になっていて、自殺――」
沖野はカットしている手が、今度こそ震えた。
ミスらない様に、一度シザーを拭う振りで常陸の髪から手を離す。
「それで――」
沖野は続きを喋ろうとする常陸に食い気味に問う。
「お前その小説読んだって事は、その暗号の答えも知ってんだろ? 教えろよ」
「……小説、読んだら分かるじゃない」
「教えろよ、もったいぶらずに」
「嫌だ」
「お前何怒ってんだよ?」
「別に怒ってない。って言うか他人から答え聞いたって、意味分かんないと思うけど? これ、誰に貰ったか知らないけどさ」
「何だよ……そんなつっかかんなって」
「そんな鈍感だから、そんな暗号貰うんだよ」
「どう言う意味……」
「教えない」
臍を曲げた常陸はそれ以降黙りこんでしまう。
沖野はこうなった常陸は
機嫌を損ねたまま帰った常陸に、沖野はヤレヤレと後頭部を掻く。
閉店間近になり店も片付き始めた頃、外の照明を落とそうとしている所に店のガラス窓を覗き込む人影を見つけた。
「……もう閉店だっつの」
こんな時間に飛び込まれて残業する程、気分が良い訳でもない。
お断りしようと店の外に出ると「沖野さん」と聞いた事のある声で呼ばれた。
黒いロング丈のテーラードジャケットにダメージの効いた緩いラインのデニムをロールアップして履いて、胸開きの緩いTシャツは鎖骨が綺麗に出る襟開きだった。
ワインカラーが彼の白い肌に良く映えていてすっかり秋の装いだ。
履いているスニーカーはレザーで、良い色に老けている。
丁寧に履き込まれたのが分かるのは、沖野もレザーには目が無いからだ。
緩い前下がりの前髪の隙間から抜ける様に黒い眸が見えていた。
ピアスやバングル、指輪もシルバーのごついのを沢山つけている割に、肌が綺麗だからか清楚感がある。
こんな小洒落た知り合いいただろうか? と沖野は素直に首を傾げたが、声には聴き覚えがある。
「あの、俺……大神です」
「っ!? 大神さん? え、いつもと違くない!? メガネは?」
「あぁ……すみません。今日は仕事帰りで……ここに来る時はいつも休みだから」
「あ、そうなんだ? 凄いイケメンがいて、おじさんビックリしちゃったよ」
「おじさんって、沖野さん、めっちゃ若いじゃないですか」
「って言うか、昨日のカット気に入らなかった? やり直そうか?」
「あっ、いや、そう言うんじゃないんです……」
いつもの様に低い声でそう言って、大神は少し恥ずかしそうに蟀谷を掻いた。
沖野は「入って」と店の中へ大神を店の中に入れ、スタッフを早々に追い帰した。
「それで? 何か用だった?」
「あ、あの暗号のヒント貰ったんで沖野さんにも教えないとフェアじゃないと思って……」
「ヒント? って言うか連絡先渡したよね? 態々その為だけに来てくれたの?」
「あー……いやぁ……、何かメールとか電話とか、して良いのかなって凄い考えてたら、会いに行った方が忙しいかどうか分かるし、迷惑なりそうだったら帰れば良いしって思って来ちゃいました」
「あっは! 大神さん、めっちゃカワイイな……くくっ……」
「ちょ、か……わっ……」
沖野は茹で上がっている大神の顔を見て、たまらんわ、と口元に当てた手の内に呟く。
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