一瞬の出会い

明日

郵便ポスト


俺は中宮正人。しがないサラリーマンだ。


実家は青森のド田舎で農家をやっていて、よく母親から美味い米が大量に届く。それを美味いなぁとか言いながら俺は毎年、一人で食っている。


中学生の頃からなんとなくあった都会への憧れから、地元でそこそこの大学を卒業後上京。東京の中流企業で働いている。


特にでかいミスをすることもなく、かと言って自分で言うのもなんだけど物凄くいい成績を残してるってわけでもない。


平々凡々、どこにでもいそうな28歳彼女ナシ。寂しい一人暮らしだ。


俺は今日も満員電車に揺られて、街の中心部から少し離れたアパートに帰宅した。


外付けの階段を、疲れた体を引きずるように登る。


今日は仕事はできるがやかましい取引相手と話をしたせいで、俺はなかなかに疲れていた。


外回りでくたびれてしまった革靴で、だいぶ錆の入った外付け階段を登る。


カンカンカンと金属音を響かせてやっとこさアパートの二階に辿り着き、鍵を取り出してドアを開けようとして、俺は気づいてしまった。



「…くっそ、郵便受け見るの忘れた」



このアパートの郵便受けは、一階にある。


俺の部屋は二階だから、郵便を取るとしたらまた一往復しないといけない。


そんなハードな階段ではないのだが、もう精神的に疲れまくっている俺からするとただの錆びまくった階段が切り立った崖にしか見えない。


重力に任せて降りるのは簡単だが、そうするとまた登らなければならないというのが非常に億劫だった。



(…どうする)



別にそんな重要な手紙とか入ってないだろ、どうせ。読まなくてもいいダイレクトメールとか、最近やけに多く入ってる探偵事務所だったかどこかのチラシとかだけだろ。


新聞も取ってないし、正直1日くらい置いといても問題は無い…よな。


うんうん、と一人で頷いて鍵を開けようとしたが、一度気づいてしまったものはやけに頭の中で存在を主張してくる。


鍵をドアノブにぶっ刺して回そうとして、



「…………くっそ」



やっぱり鍵を引き抜きその勢いで一気に階段を下る。


結構大きな足音が響いて、ご近所さんごめんなさいと心の中で謝り倒しながら一階に到着。


途端に湧き上がった、また二階まで登るのかという気だるさと太ももの疲労に気づかないうちに、とガチャガチャと郵便受けを開けようとするが何故かなかなか開かない。


防犯という概念を捨てた、鍵なんてついてないシンプルな郵便受けだ。


むしろ風が強い日は勝手に開閉してカンカンカンカンうるさいくらいなのに、今はまるでボンドでくっつけたかのように開かない。


きっと何かが挟まっているのだろう。焦っている時ほどこういうことが起こる、と思いとりあえず息を吐いて落ち着こうとするが、フーッ、フーッとまるで猫の威嚇のようになってしまってむしろ逆効果だった。


自分の異常な程の焦りにやや呆れてしまって、今頃普通に家に入ってたらビールでも飲んでゆったりしてたんだろうな、とか思って後悔の念が湧いた。


その時だった。


馬鹿みたいにぐるぐる葛藤してる俺を見兼ねたのか、郵便受けが「しょうがねぇなぁ」とでも言うかのようにすんなりと開いたのである。


郵便受けが開いた、それはいい。


だが、なにがなんでも扉を開けてやろうと全体重を掛けていた俺は、どうなる。


────答えは、「後ろに倒れて腰を打つ」。


どうなるもこうなるもない、今腰を壊したら仕事はどうなる、何回も何回も通いに通ってあとちょっとで契約完了だってのに。


倒れてたまるかと足を踏ん張ろうとして、もう両足が地面に着いていないことに気づいた。どうやら凄いコケ方をしているらしい。


ほんと何なんだよ最低じゃねぇか、なんであの時郵便受けなんて思い出した? しかもこんなに疲れてんのになんでわざわざ郵便取ろうとしてんだよ?


ああもうなんかいいや、これで怪我して仕事休んであっさりリストラされて田舎帰って米でも作ろうかな。


うん、そうしようか。


…こういうときに世界がスローになるってほんとなんだな。


なんて、余計なことまで考えてしまった。



───────ガッ



「…はあ?」


「…えっ?」



後ろへ傾いていた俺の体が、誰かに支えられた。────郵便受けを開けようとしていた手首を、掴まれることによって。


俺はただ呆然としながら、その力強くもしなやかな白い手の主を視界に捉えた。


日焼けを知らない白い肌。柔らかくウェーブを描く金色の髪の毛。世の中の穢れとか闇とか一切知らなさそうな無垢な瞳は黄緑色で、驚いたように俺を見ている。


便


当時を振り返れば、とりあえずそこにツッコめという一言に尽きる。


だが、非日常すぎる出来事に、俺の疲れた頭はもうパンクしていた。


だからこそ……本ッ当に、本当に当時の自分を面影が残らなくなるくらい殴りたいほどに後悔しているが、俺はその美しい女性ひとを見て、思わず言ってしまったのだ。



「……天、使?」



その人は俺の言葉に目を細め、頬を引き攣らせて言った。



「あ? 何言ってんのお前」



ドスの効いた、低い声だった。


手首がギリィッと握られる。骨が軋む音が確実に聞こえた。



「痛い痛い痛い痛い痛いッ!?」


「当たり前だろ痛てェようにしてンだからよ…チッ」



ブンッと手首を振り払われ、整いかけていたバランスが崩れたが根性でなんとかその場に踏み止まる。


天使の顔をした、中身は完全にヤクザなその人は、まだ郵便受けを内側から開けて俺を睨みつけていた。


俺をジロジロと観察するように見ると、より嫌そうに舌打ちをする。


そして後ろに振り返って、



「おいジジイ! この扉引くんじゃなくて押すんじゃねぇか! 間違ったこと店員に教えんじゃねぇよ!!」



それだけ叫ぶと、バンッと扉を閉めてしまった。


郵便受けの向こう側から溢れていた光が消え、一瞬で暗くなる。


しん、としたアパートの1階。



「……は、ぁ?」



俺の疑問しか込められてない声だけが、寂しい裏道に響いていった。

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