もういいかーい(3)


 気が付いたら、俺は途中から伏見の手を振りほどいて自力で走っていた。

 三階に上がり、二人で適当な教室に転がり込むと、伏見はゆっくり戸を閉めて鍵を掛ける。


 「い、い、今の…っ な、なんだよっ!」


 俺はその場でうずくまると、震えてガチガチいう歯を押さえ込むように、精いっぱい口に力を込めて何とか言葉を絞り出す。


 「うん。今のは幽霊かな」

 「んなのぁ見りゃわかる! 俺が聞きたいのはそういうことじゃなくてだな……!」


 平然と答える伏見に食ってかかる俺。咄嗟に口を押える。だが、伏見はまったく動じず、悠然と構えている。


 「やっぱり見えるんだ……」


 そう言って、座って蹲っている俺の前にしゃがみ込んできた。


 「”みえるんだ”って…、お前だって見えてるだろ」

 「うん。でも、あれは普通の人はなかなか見えないものだから」


 そう言うと、伏見はおもむろにつけていたお面を頭の後ろにずらした。

 なんだかすごい久しぶりに伏見の顔を見た気がする。

 というか、こんなに間近で伏見の顔を見るのは初めてだ。

 一重ですずしげな目元だが、案外整った顔をしている。

 しばらく伏見の顔を見ていたら、だんだん落ち着いてきた。


 「神田くんは、いつもは見ないの?」

 「あ? ああ。……たぶん」

 「たぶん?」

 「視界の隅とか、遠くとかにちらっと、たまーに変なもんは見るときあるけど。でも、あんなハッキリ見たのは初めてだ」


 こんなことを言うと馬鹿にされるだけだと思って今まで誰にも言わないできたけど、この時は不思議と伏見になら言ってもいいかなと思った。


 「ふぅん、そっか……」


 伏見は、今度はちゃんと感情が込められた相槌をうった。

 その時、また近くで声が聞こえた。


 「ドコォ……、ドコナノォオ……」


 「ヒッ!」


 俺は反射的に飛び上がり伏見の後ろに隠れる。

 友達を盾にするとか、今思えばものすごく最低なことをしたと思う。

 そんな俺とは裏腹に伏見はあくまで冷静だ。


 「怒ってるね。見つかったのに逃げちゃったから」

 「んな呑気なこと言ってんなよ、どうすんだよ!」


 情けなくも、ほぼ半泣き状態で俺は伏見のシャツの襟を掴んで揺さぶる。

 伏見はされるがままでしばらく考え込んでいたが、ふと何か思いついたのか、お面をつけ直すと、


 「こっち」


 と言って、俺はあれよという間にロッカーの中に連れ込まれた。

 幸い二人とも細身だったので、ぎりぎり二人入ることが出来た。が、やはり狭い。


 「な、なんだよ!」


 突然のことに狼狽えていると、伏見は人差し指をお面越しの自分の口元に当てて「しー…」といって制止する。

 百歩ゆずって密着するのは仕方ないが、できれば顔は突き合わせたくなかったので少し屈んで伏見の身体にしがみついた。

 その瞬間、鍵を閉めたはずの戸が開いたのが分った。

 無意識に腕に力がこもる。


 「ココカナァ……」


 ひたり、ひたりと足音が聞こえる。

 その時、なぜか冷静に「幽霊って足あるんだな」と、ぼんやり思った。

 ふと見ると、伏見はロッカーの隙間を覗いている。

 俺は慌てて知らせる。もちろん極小の声で。


 「おいっ 何してんだよ、見つかるぞ!」


 だが聞こえていないのか、あえて無視しているのか、なんの反応もない。

 ただ真っ直ぐ外を見ている。

 やがて、ひたりと足音が止まった。


 「ネェ、アソボォ……」


 俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。

 ロッカーの前で気配がする。

 恐る恐る見上げると、未だ微動だにしていない伏見の姿。

 だが、さっきまで外の微かな明かりが入っていた部分が暗くなっている。


 ――ということは……中を覗いている?


 「アソ…ボォ、ヨォ……」


 真後ろで、ものすごい近くで声がする。

 自分の心臓の音がうるさい。

 鼓動が頭の中まで容赦なく打ち付けてくる。

 バレた。もう終わりだ。そう思っていると、頭上からぽつぽつと言葉が降ってきた。

 伏見の声だ。

 何かお経…というか、呪文? を唱えている。


 魂磨くため

 生まれし事を思え

 辛く悲しき淵に立つ時

 嫌々のことでも勇み喜べ

 我魂磨くため

 生まれ変わりし事思い

 うらみ辛むこと無かれ

 我生まれしことは

 全て魂磨く為と思え


 すると、さっきまでの気配が嘘のように消え、心なしか身体が軽くなった気がした。

 ロッカーのドアを開ける音がして、周囲が一気に明るくなる。


 「いなくなったみたいだよ」


 伏見の声がして、はっと我に返る。

 俺は急いで伏見から離れると、バランスを崩してへたり込んでしまった。


 「大丈夫?」


 「うぐっ……」


 腰が抜けた。が、恥ずかしくてそんなこと言えるわけがない。

 当の伏見はお面を外すと、なんとも涼しい顔で俺に手を差し伸べる。


――俺、カッコ悪い……。


 助けてもらっておいてなんだが、あまりの恥ずかしさとやるせなさでついカッと なって、伏見の手を勢いよく引っ張った。


 反省はしていない。


 「!」


 伏見はがくっと膝を折ると、俺の上に倒れ込みそうになる。が、すんでのところで耐えたようだ。


 「…ちょっ、あぶないなぁ。どうしたの?」

 「ちょっとムカついたから」

 「そうなの?」


 きょとんとして首を傾げる。


 ――ああ、もう。


 俺は深い深~い溜息を吐くと、「とりあえず今日はもう帰ろうぜ」と言って、再び伏見の手を求めた。


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