もういいかーい(2)


 伏見万葉ふしみかずはは、入学式で見かけた時からずっと狐のお面を持ち歩いていて、授業中や昼休み以外はほとんどそれをつけているという変わり者だ。

 先生の前でも平然とつけているが、不思議と先生は何も言わない。


 それ以外は、まぁ普通で。


 最初こそ弄られたり、からかわれたりしていたが、当人は大人しいが暗いわけでもなく誰とでも分け隔てなく接するような奴だったので、今ではだいぶクラスに馴染んでいた。

 だが、俺はまだ一度も伏見と話したことはなかった。特に話す機会も、お互い話しかけるネタもなかったし。

 そんな伏見と、ひょんなことから同じ委員会で活動する羽目になり、委員会の初仕事の日に初めて言葉を交わすことになった。


 さっそく放課後、掃除用具入れのロッカーとその中身のチェックに駆り出される俺と伏見。

 夕陽に染まる薄暗い廊下を二人で歩いて行く。


 「掃除用具入れって校内に意外といっぱいあんだなぁ。全クラス分とか地味に大変だよな」


 俺が小言を垂れると、一歩後ろを歩いていた伏見は感情がこもっていない相槌を打つ。


 「そうだね」


 会話終了。


 「……伏見はなんで美化委員やろうと思ったの?」

 「なんとなく」

 「へぇ……」


 会話終了。まあいいけど。


 それでも無言が苦手な俺は耐えきれず話かけ続けた。


 「そういや俺ら、何気に話すの今日が初めてだよな。クラスの他のやつらとはもうあらかた話したの?」

 「うん」


 会話終了。おいぃ、なんなんだ一体。


 他の連中とは会話のキャッチボールができているのに、なんで俺相手だと一言で終わるんだ。

 しかも、今の伏見は例の如くお面をつけているので、表情もまったく読めない。


 何を考えてるのかさっぱりわからん!


 若干イラついてきている俺を尻目に、もくもくと任務を遂行していく伏見。


 やっぱりこいつとは相いれない。

 そっちがその気なら俺も同じ態度を取ってやる。


 その時の俺は少しばかり頭に血がのぼっていて冷静さに欠けていたというか、大人げなかったと思う。

 何個目かの教室に入ると、突然廊下の方から「もーいいかーい」と聞こえた。

 だいぶ遠くから聞こえたような気がして、俺は、学校の近くで子供がかくれんぼをして遊んでいるんだろうと思ってさほど気にしていなかった。


 「もーいいかぁーい」


 すると、すぐにまた声が聞こえた。今度は少しはっきりと。


 「ここまで聞こえるって、どんだけでっけー声出してんだよなぁ。全力すぎだろ」


 くすりと笑いながら独り言のように言うと、伏見は初めて普通に返してきた。


 「……そうだね。まずいなぁ。早く終わらせて行こう」

 「あ? あーそうだなー」


 なにがまずいのか分らなかった俺は、この後なにか用事でもあるのかなと思い、生返事だけしてわざとゆっくり作業をする。


 「駄目だ、神田くん。もう出よう」

 「わかってるって」


 言葉の割に特に焦ったような口調でもなかったが、見ると伏見の視線は廊下の方に注がれている。

 その時、今度は割とすぐ近くであの声が聞こえた。


 「もーぉいい~かぁああああぁい」


 ぎょっとして、思わず俺も廊下の方を見る。


 「な、なんだ……?」


 さっきまで聞こえていた幼い声とは打って変わり、まるでスローモーションにした時のような、大型動物の唸り声のような、低くて身体の中心に響く声。

 そしてそれは、確実に校内の、この階の廊下から聞こえてきた。

 伏見は俺の方を見て―実際お面越しなので俺を見ているかはわからないけど―小声で話しかけてきた。


 「……神田くん、今から絶対に声や物音立てちゃ駄目だよ」


 意味がまったく解らなかった俺は、さっきまで自分に無愛想だった奴に突然指図されたことでむかっ腹が立ち、思わず反発してしまった。


 「は? 何言ってんのおまえ。つーかさっきからさぁ……」


 文句の一つも言ってやろうと声を荒げると、同時にドン! と俺たちのいる教室の壁がものすごい勢いで叩かれた。

 口から心臓が飛び出すんじゃないかと本気で思った。


 「あーあ。見つかっちゃった」


 伏見がぽつりと言う。

 状況がまったく飲み込めていない中で、不意に伏見の視線の先を見る。

 開いている引き戸にゆっくりと指がかかった。

 子供の手だ。


 その時は「なんで子供が?」くらいにしか思っていなかったが、次の瞬間、戸を抱くようにして、片腕が肘まで滑るように現れた。

 それを見て俺の背筋は一気に凍りつく。

 何故なら、戸の上半分にはめ込まれているスリガラスに誰の姿も映っていなかったから。

 腕の位置から考えて絶対にありえない。


 「ミィ…ツ、ケ…タァア……」

 「――ッ!!!」


 あまりの恐怖に身がすくみ声も出せないでいると、伏見はいきなり俺の腕を掴み、脱兎の勢いで教室を飛び出した。

 教室から出る際、一瞬だったがはっきりと手の正体を見てしまった。

 白い襟つきの水色のワンピースを着た、ボサボサのざんばら髪の女の子。

 全身の肌は青白いのに、歯茎をむき出しにして食いしばっている口は血で真っ赤だった。

 目の部分は目玉がなく、ぽっかりと開いていて、まるでブラックホールを彷彿とさせる深い闇。

 とりあえず、今までみたこともないような血まみれの子供がこっちを見ていた。


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