第4話「偉大なる刻の女王」

 地下深く、薄闇うすやみの中で階段を降りる。

 遊馬アスマが引く手は、弱々しく握り返してきた。

 うつむくナルリの声が、小さく背を叩く。


「誰もさ、あたしの力なんか必要としてないよ。だって」


 わずかな湿り気が、か細い声音ににじむ。

 遊馬はただ、だまって城の最下層を目指していた。


「あたしが持ってきたもの、何一つ役に立たなかった。ネットが繋がらないだけで、あたしは無力だなんて……思いもしなかった」


 結んだ手と手の中で、二つの指輪がかすかに響き合う。

 その小さな空気の震えを引き寄せるようにして、遊馬は立ち止まった。

 ナルリへ振り向き、間近で見上げてくる彼女の双眸そうぼうを見詰める。

 それは、彼にとっても意外な言葉で、同時に素直な気持ちだった。


「ナルリ、誰も君の力なんて欲してないし、超科学文明の便利アイテムだっていらない」

「そう、だよね……じゃあ、なんで? どうしてあたしを――」

「僕が必要なのは、。君なんだよ」

「え……?」

「君に力がなくても、凄い道具がなくても……ネットに繋がらなくても、君が必要だ。君しかいらないよ、僕は」


 言ってて自分でも照れてほおが熱い。

 だから、再びナルリの手を引いて歩き出す。

 すでにもう、ナルリはしっかりと遊馬の手を握ってくれた。


「僕はね、ナルリ。ずっと自分の部屋で見てきた。色々な世界が繋がって、そこを行き来する人達を。人ですらない『なにか』は多種多様たしゅたようで、そして頻繁ひんぱんに通り過ぎてった」

「う、うん」

「初めて声をかけた人は、僕にこの指輪をくれた」

「あたしも! ……あたしも、多分同じ女の人に、会った」

「そして、僕をあの部屋から連れ出したのは、君が初めてさ。ね、ナルリ……僕と一緒にここへ来たのは、君だろう? 君だけ、君でしかないそのままのナルリだろ?」


 そう言って、遊馬は自分にも言い聞かせる。

 この絶望的な状況に飛び込んだ、そのことになにかしらの意味があるかもしれない。それを見出すのは、意義のあることだと思えた。

 探してなければ作ればいい、ナルリと二人の異世界でなにかができるはず

 その想いを自分の中に確かめていると、不意に視界が開けた。

 地の底まで続くかのような螺旋階段らせんかいだんが途切れ、大きな広間に明かりがともっている。

 そして、祭壇らしき場所と巨大な円環の前で男が振り向く。

 学者風の老人達を連れた、騎士アイゼルだ。


「来たか、遊馬」

「彼女も一緒ですが構いませんね?」

勿論もちろんだ。異世界から来た君達なら、なにかこの遺跡のことがわかるのではと思ってね。二人共それぞれ、違う世界の住人と聞いている」


 不思議な光沢で輝く輪っか、真円まえんのリングだ。

 大きさは直径3mメートルくらいで、ふちにぐるりと謎の文字がきざまれている。

 すぐに遊馬は、既視感デジャヴの正体を思い出した。

 だが、まずはアイゼルの説明を聞く。


「これは我々の世界では『ゲート』と呼ばれている。古き神話の時代より、様々な伝承や言い伝えに登場する……異世界への門だ」

「なるほど、アイゼルさん達はこれを当てにして城に逃げ込んだ」

「そうだ。だが、全く起動しない。この大陸でないならば、どこへだって逃げるつもりで来たが……思えば、姫はわらにもすがる思いだったのだろう」

「ナルリ、あの門を見て。……見覚えがないかい?」


 遊馬の言葉に、ナルリは大きくうなずいた。

 二人の繋いだ手に光る指輪……それに浮かぶ文字と同じだ。

 そして、不意に門がうなり出す。

 目の前の円環は無数の文字を揺らめかせながら回転を始めた。

 そして、その中心に発生したうずが光り出す。

 祭壇さいだんと思しき場所からも薄明かりが昇って、その中に映像が現れた。


『我はソロモン、偉大なるソロモンの女王なり。ん、おや? ふむ、ボウヤは……久しぶりだねえ、大きくなったもんだ』


 その人影を見て、流石さすがの遊馬も驚く。

 それは、白い髪に白い肌、真紅の瞳で自分を見詰めてくる女性だった。以前と同じあやしげな美貌で、蠱惑的こわくてきくちびるに笑みを浮かべている。


『その世界は随分前に私が攻略してしまったからねえ。最後に門で飛んでから、千年ちょっとくらいだろうか? 悪い魔法使いをやっつけたから、もういいと思ったのさ』

「千年前。悪い魔法使い。もしかして」


 遊馬の疑問にアイゼルも言葉を失う。

 外の軍勢を率いる不死の王、その正体は……千年前に死んだ魔道士だ。それはもしかして、例の女性が倒した者と同一人物かもしれない。

 それを伝えたら、映像の中の彼女は愉快そうにのどを鳴らした。


『そうかい、不死者アンデットとなってよみがえったのかい。まあ、その可能性を見過ごしていたのは私だねえ。多少は責任も感じるものさ。では……この門を使うといい。どこに繋がっているかはわからないけど、どこかには繋がっている。それは、


 それだけ言うと、ゆらぐ光の中で女性の像が薄れてゆく。

 完全に光が消え入ると同時に、遊馬の背後で声が響いた。

 振り向けば、亡国の姫君が立っている。りんとしたたたずまいは、絶望にくっしてはいない。


「アイゼル、そして異界の者達。門が動いたようですね。では……民を集め、この先へ。それまで、私が敵へくだって時を稼ぎましょう」


 そう言うと、姫は長い長い蒼髪そうはつを掴んで腰の短刀を抜く。

 守り刀とおぼしき刃がひらめき、バサリと髪が切られた。


「私はこれより女を捨てます。アイゼル、民を頼みました」


 死を覚悟した姫の視線は、アイゼルの眼差しに収斂しゅうれんされた。

 行き交う特別な感情を感じていると、遊馬の隣でナルリが叫ぶ。


「そんなの駄目だめっ! お姫様は最後まで民に寄り添って。この先、これから先の場所でこそ、あなたが必要なの! 姫の地位も、髪も女も捨てても、ただそのままのあなたが!」

「しかし、そなたは」


 ナルリは不意に、腰のポーチに手を突っ込んだ。

 引っ張り出されたのは、不思議なつるぎ


「これは、あたしの家に先祖代々伝わる、ラグネリアの秘宝。星をも神代かみよの剣」


 そういえばナルリは、先祖伝来の超破壊兵器ちょうはかいへいきがどうとか言っていた。

 そして、彼女は遊馬をも驚かせる。


「これ、お姫様にあげるっ! ここから先も全ては続く、繋がってつらなって……戦いだってあるかもしれない。だから、持っていって!」

「そなたの家の宝でありましょう」

「あたしは、あたしだけが必要だって言う人、いるの! あたしは自分だけで、きっと大丈夫! 行こう、遊馬……時間、稼がなきゃ! あたし達二人で!」


 ナルリの声が、ようやく勝ち気な強さを取り戻した。

 遊馬は改めて頷くと、こうべれる姫とアイゼルに背を向け走り出したのだった。

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