第3話「歌にわすれて」

 とりあえずの自由を許された遊馬アスマは、ナルリと一緒に行動を始めた。

 まずは現状把握げんじょうはあく、そして打開策だかいさくの検討だ。

 それも、今できることをやりながら。

 それで遊馬は、アイゼルから頼まれた仕事を小一時間で片付けた。成果物を手に場内を探せば、すぐにアイゼルは見つかる。

 彼に会うまで歩いた場所は、そこかしこで民が疲れた顔を並べていた。

 その数、五千人弱……皆、命からがらこの城に逃げ込んだ者達だ。


「アイゼルさん、頼まれていた翻訳ほんやくを済ませました」


 遊馬の声に騎士の青年は振り向く。

 彼は「ん、ありがとう」と言ってくれたが、差し出した羊皮紙ようひしたばを受け取らない。そして、再び腕組み視線を放る。

 彼が見詰める先の大広間には、不思議な歌声が満ちていた。

 なんだろうと遊馬も、アイゼルの眼差しを追って首を巡らせる。

 避難民がひしめく中、子供達が輪を作っていた。

 その中央でナルリが、歌っている。

 重苦しい沈黙でにごった空気に、清水のような歌声が波紋を広げていた。誰もが皆、外の怒号どごうや絶叫を一時いっとき忘れているようだ。

 アイゼルも以外そうな顔をして、ふむとうなる。


「不思議なだ」

「ええ、妙なんです。変ですよね」

「ああ。この状況下で誰もが、民への気遣きづかいを忘れていたのだ。この城が落ちれば、いよいよ我らは身の破滅……俺は武人、討ち死には怖くない。だが、姫と民は」

「これが彼女に、ナルリに今、できること。お互い、まずはそれをやるって彼女も言ってくれてましたから」

「フッ、そうだな。どれ、頼んだ仕事を見せてもらうぞ。確か、遊馬だったな」


 アイゼルは遊馬から書簡しょかんの翻訳を受け取る。

 すでにこの城では、事務処理をする文官ぶんかん達の手も足りないらしい。

 敵軍が送りつけてきた書状の翻訳は、不思議な指輪の力を得た遊馬には容易たやすいことだった。同時に、内容を読んで確信を深める。

 そう、遊馬はこの絶体絶命の窮地きゅうちに違和感を感じていた。

 それは、アイゼルが聡明そうめい機知きちむ騎士だからこそ、強く思う。

 そのアイゼルだが、翻訳された文章を読んで眉根まゆねを寄せた。


「ふむ、まずいな」

「ええ、まずいですね。二重の意味でまずいです」

「わかるか? 遊馬」

「なんとなくは」


 この城を取り囲む闇の軍勢は、アイゼル達の国を滅ぼした。そうして今、逃げ延びた王族を根絶やしにしようというのだ。

 そのための最後通牒さいごつうちょうが、遊馬が翻訳した書簡だ。

 そして、書面には無慈悲むじひ文言もんごんが並んでいた。


「遊馬、君の翻訳が正しいとすれば……少なくとも民は助かる。……奴等の奴隷どれいとして」

「ええ。姫の身柄を差し出せば、他のものの生命は奴隷として保証するそうです」

「どこまでもくさった連中だ、化物共め。まあ、実際腐っているのだが。奴等の首魁しゅかいは、千年前の魔道士、そのむくろだ。死して尚も永遠の生命を得て、野望仕掛やぼうじかけの殺戮細工さつりくざいくさ」

「なるほど……では、約束が守られる保証はないとも言えますね。そしてまずいことに」

「ああ。この書簡を見れば、。そういうお方だ」


 そう言ってアイゼルは、遊馬の翻訳した文章を細切こまぎれに千切ちぎって捨てる。

 その横顔を見上げて、遊馬は実直に疑問をぶつけてみた。


「アイゼルさん、籠城ろうじょうというのは……古来より、援軍をあてにして時間を稼ぐ戦術です。もしくは、戦略的に事態が好転するまでやり過ごす戦術。違いますか?」

「……そうだ。しかし、この大陸にもう連中と戦える国家など存在しない」

「アンデットが率いる軍勢が、一週間や一ヶ月で態度や指針を変えるとも思えませんね」

「そうだ。我々は絶望的な状況でこの城を選んだ。……ここは聖なる場所だからな。古き伝承でんしょう一縷いちるの望みをたくそうと思ったのだ」


 アイゼルは「あとで城の地下に来てくれ」とだけ言い残して、去っていった。彼も忙しいのだろう。それを見送る遊馬の隣に、気付けばナルリが立っていた。

 少し恥ずかしそうにほおを染めて、うつむきながらも上目遣うわめづかいに見詰めてくる。


「……いつからいるのよ。聴いてた、でしょ」

「歌、上手いんだね。周りを見て、一時とはいえみんなが不安を忘れられたみたいだ」

「これくらいしかできないなんて。あたしは異世界でなら、大活躍して英雄になれる……そう思ってたのに」


 ナルリは彼女なりに、軽率けいそつで夢見がちな自分をじているようだ。だが、先ほどのナルリは小さな希望を皆に灯していたし、遊馬には希望そのものに見えた。


「いい歌だったね。宇宙を生きる超科学文明ちょうかがくぶんめいの歌?」

「よしてよ、もう。あたしの氏族しぞくに伝わる、古い古い神話の歌よ。一万二千年前、あたし達のご先祖様……始祖しそたる伝説の英雄がいたの。異世界より民と共にやってきた、絶世ぜっせいの美男子」

「凄いね……歴史ある一族なんだ、ナルリの家は」

「そうよ。辺境宇宙の名だたる氏族ときずなを結び、今は無数の銀河を守って絶対民主主義ぜったいみんしゅしゅぎかかげる機械群キルマシーンと戦争中。……そして、あたしはその戦いでなにもできない、お荷物なの」


 さびしそうに笑って、ナルリは目を伏せた。

 彼女は、遊馬のいた現代の日本よりも、遥かに優れた科学文明の人間だ。無限に広がる星の海を渡り、宇宙の半分をおさめる高貴なる一族の娘……そして、そこに居場所のない落ちこぼれ。

 だから彼女は、謎の女性から不思議な指輪をもらった時、考えたのだ。

 はるか古代の父祖ふそが異世界から来たのなら、自分も異世界に未来を求めようと。


「ナルリ、アイゼルさんが城の地下に来てくれって言ってるんだ」

「そ、頑張んなさいよ? あたしは、ここにいる。子供達もおびえてるし」

「それは、ゴメン。一緒に来てほしいんだ」

「え? あ、あたしに?」

。多分、恐らく。きっと、確実にね」


 遊馬が手を伸べると、おずおずとナルリは手を重ねてくる。

 手と手の中で指輪と指輪が、まるで呼応するように小さく、リン! と鳴った。

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