第2話「はじめての異世界」

 永遠にも思える、一瞬。

 光の濁流だくりゅうに溶け入るような感覚の中で、突然遊馬アスマの視界が開ける。

 気付けば遊馬は、ナルリと共に硬い床に放り出されていた。すぐに起き上がろうとした、その時……目の前に突然、鋭い輝きが突き出される。

 二人を今、やりを構えた兵士達が囲んでいた。


「ナシタ!? 光ッタジャ!」

「ナァ、ドサカラ来タ!」

「ワモ見タハァ、光ノうずッコカラ出ハッテキタジャ!」


 兵士達は皆、混乱しながら異国の言葉を並べる。

 見た感じは、中世のヨーロッパを思わせる格好だ。

 そして、遊馬の今いる場所は城壁の上らしい。

 次の瞬間には、ナルリが立ち上がる。

 驚いたことに、彼女には兵士達の言葉がわかるようだ。


「待たせたわね! あたしはナルリ……辺境宇宙百八氏族へんきょううちゅうひゃくはちしぞくが一つ、ラグネリアのナルリよ。!」

「ワイハー、コノホンズナシガ……」

「コッタラ非常時サ、ヨォグシタダメグサイコト言エンナ」

「ちょっと、救世主様が来てやったって言ってるの! ピンチなんでしょ? 助けてあげるわ!」


 言葉が理解できても、ナルリは状況が飲み込めていないようだ。そして、空気も読めていない。そう思っていると、ナルリは自分の手を遊馬へかざす。


「なにやってんのよ、あんた! その指輪よ、指輪!」

「あれ……君のその指輪」


 ナルリの右の人差し指に、遊馬の持つものと同じ指輪が光っていた。

 あわてて遊馬はチェーンから指輪を外し、それを適当な指にはめる。

 瞬間、頭の中を無数の情報が乱舞した。

 不思議な全能感と共に、突然響く声が自然に理解できた。


「待て、みなの者! 敵の間者スパイかもしれん。生かしたままらえよ」


 現れた青年は甲冑姿かっちゅうすがた帯刀たいとうして、夜風にマントをなびかせている。月明かりに照らされた長身に、遊馬はここが深夜だと理解した。

 今まで夜だと気付けなかったのは、ずっと周囲が明るいから。


「ナルリ、話のわかりそうな人が出てきた。あと、僕にも言葉がわかる」

「その指輪ね、便利なのよ。はめてるだけであらゆる言語が自動翻訳されるの」

「まるでおとぎ話だね。ほら、なんて王様だっけ……七十ニ柱ななじゅうにちゅうの魔神を――!?」


 不意に青年は片手で遊馬の首をつかみ、吊し上げた。細身の身体が嘘のような胆力たんりょくで、城壁の外へと突き出す。

 そして、遊馬は見た。

 この城を囲む、何百万もの異形の軍団を。

 人ならざる化物ばけものの大軍が押し寄せている。

 昼間のような明るさは、四方を取り巻く敵の松明たいまつ篝火かがりびだった。

 だが、不思議と遊馬は恐怖を感じない。

 むしろ、状況が少しわかったところで逆に落ち着きを取り戻していた。


「ほう? 取り乱さぬばかりか、その目……大した精神力だ。では問おう! 騎士アイゼル・ラクファーカの言葉に答えよ!」

「あの……もしかして、籠城ろうじょうしてるんですか?」

「――ッ!? 質問をしているのは俺だっ!」


 アイゼルと名乗った青年を前に、遊馬は澄み渡る思考で現状をひろってゆく。現実を認識するほどに、危機的状況だというのが理解できて……一方で、気持ちは平静そのものだった。まるで、ゲームの盤面を俯瞰ふかんするような気持ちだ。

 ちらりと下を見たが、不思議な指輪があっても話し合いが成立しそうもない雰囲気である。ナルリが豊かな胸を揺らして高らかに叫んだのは、そんな時だった。


「アイゼルと言ったわね、あんた! いいこと、あたしは救世主! 異世界よりやってきた、あんた達を救う英雄よ」


 腰に手を当て胸をそらし、ナルリは堂々としていた。

 奇妙ないでたちもあいまって、兵士達がいぶかしげに呟きと囁きを連鎖させる。

 そんなナルリの足元に遊馬を放り出し、アイゼルは神妙しんみょう面持おももちでナルリをじっとにらんだ。


「救世主? ……ふむ。この城は聖なる地、そして突然現れた奇妙な男女。もしや――」

「ふっふっふ、あたしに不可能はないわ! さあ、救いをいなさい。助けてあげる!」


 ざわつく兵士達の一人が、おずおずと歩み出た。


兵糧ひょうろうが尽きてる……逃げ延びた民が食べるものさえない」

「食べ物ね、わかったわ。たっぷりごちそうしてあげる!」


 不意にナルリは、宇宙服のような姿で腰のポーチを開ける。彼女は遊馬に「これはクライン・ポケット、超空間収納装置ちょうくうかんしゅうのうそうちよ」と小声で話すと、なにかを取り出した。

 それは、手の平サイズの密封された固形パックだ。


「これはあたし達が星の海を渡る時にストックするものよ。一つで500人分の食料に相当するの。さ、これをチンして頂戴ちょうだい。いくら異世界でも、電脳調理器でんのうちょうりきくらいあるでしょう?」

「……ナルリ、君は」

「遊馬、驚いた? あたし達は宇宙に生きる超科学文明の申し子……これくらい造作ぞうさもないわ!」

「いや、それ……電子レンジのたぐいが必要なのかい?」

「失礼ね! そんな旧世紀の遺物いぶつなんて必要ないわ。もっと最先端の……あ、あれ? もしかして」

「ないよね、そんなもの」


 固まったナルリは、再びなにかを取り出す。どうやら携帯端末けいたいたんまつのようで、スマホに似ていた。その画面に指を走らせるが、彼女の顔色が徐々に悪くなっていく。


「ユニバーサル・ネットワークに繋がらないわ。ここ、圏外けんがい? え、えっと」

「ナルリ、他にはなにかないの? その、超科学文明の申し子的なアイテムは」

「あとは……先祖伝来の超破壊兵器と、お菓子が少し。いざとなったらネットでなんでも買えるし、超空間航法で配達してくれて」

「……でも、ネットに繋がらないんだよね? それ」


 ナルリはうつむき黙ってしまった。

 そして、アイゼルが剣を抜く。

 呆然ぼうぜんとするナルリを背にかばった、その時……不意に清冽せいれつな声がりんとして響いた。


「アイゼル、その者を傷付けてはなりません」

「ハッ! しかし姫様」

「よいのです。今は人手が必要。救世を語るならば、お力添ちからぞえくださるでしょう?」


 現れた少女が、ニコリと遊馬に微笑ほほえみかける。長い蒼髪そうはつにはティアラが飾られ、彼女の身分を自然と伝えてきた。

 謎の姫君によって救われ、とりあえず遊馬とナルリは命の危機を脱するのだった。

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