後編 籠城
一か月前から、幼馴染の御手洗ダイは変わったと、澳津絵梨は思った。理由は単純明快。中間試験での彼の成績は、全て八十点以上だったから。いつもなら赤点ギリギリの現代文の試験でも八十点というのは、おかしいと絵梨は思う。
カンニングでもしたのではないかという疑念を抱く少女は、放課後いつもと同じように一緒に帰るダイの横顔をジッと見つめる。
一方、突然見つめられたダイは、頬を赤く染めながら、隣を歩く少女に尋ねた。
「何だよ? まさか、まだ俺が中間試験でカンニングしたんじゃないかって疑ってるのか?」
図星の絵梨は、無表情で少年に反論した。
「だって、おかしいでしょう。昔から現代文が苦手なダイが、中間試験で八十点取るなんて。本当は疑いたくないけど、カンニングでもしない限り、あんなに成績が上がるわけがないよ」
幼馴染の追及に御手洗ダイは困り果てていた。成績が上がった理由は、異世界でネコミミ少女に勉強を教えているから。
誰かに勉強を教えることが、最高な勉強法だ。自分が教えることを完全に理解していなければ、勉強を教えることなんてできない。
こんなことをテレビで言っていたのを、少年は覚えている。これが本当の話だと、ダイは痛感していた。最も苦手な現代文は、異世界のネコミミ少女に教えてもらっているのだが。
御手洗ダイは困っていた。本当のことを話してしまえば、追及は終わるだろう。だが、異世界の存在は秘密にするという約束は守らなければならない。
幼馴染の少女の追及は、中間試験の答案用紙が返却されてから一カ月間、終わる気配がしない。澳津絵梨の好奇心は、納得する答えが見つからない限り、覚めることはない。厄介な幼馴染だと、ダイは思った。
すると、澳津絵梨は幼馴染の少年の右肩を掴み始めた。
「じゃあ、来週の月曜日から期末試験が始まるでしょう。今週の土曜日に二人きりで勉強会やらない? 会場はダイの家ね。勉強会をやってくれたら、これ以上の追及をしないって約束する」
悪くない要求だとダイは思った。彼女が約束を守ったら、これ以上続いたらギクシャクしそうな空気になりそうな追及が終わる。
御手洗ダイは即答した。
「分かった。勉強会やろう。だから、約束しろよ。もうカンニングしたんじゃないかって疑わないって」
ダイの答えに納得したのか、絵梨は可愛らしく首を縦に振る。こうして、週末に二人きりの勉強会が開催される運びになった。
そして約束の土曜日。御手洗ダイは澳津絵梨の行動に呆れた。少女は何の躊躇いもなくダイのベッドの上に寝ころぶ。
瞳を閉じて仰向けになっている幼馴染の姿を見つめながら、ダイは少女に尋ねた。
「絵梨。なんで俺のベッドの上で仮眠をとっているんだ?」
「話しかけないで。もう少しで浮かぶとこだから」
淡々とした口調で少女が返答してから数秒後、絵梨は突然に奇声を出して、飛び起きた。
「キタァァ! こういうシチュエーションも悪くないかも♪」
少女の儀式を何度も近くで見て来た少年は、溜息を吐く。
「また小説のネタでも浮かんだか? テスト期間くらい小説のこと忘れて、勉強に集中しろよ」
ダイの意見を聞き、絵梨は人差し指を立て左右に振る。
「面白い小説のネタは、いつ思いつくか分からないからね。常にアンテナ張ってないといけないんだよ。これが速筆の絵梨の秘密なのです」
「はいはい。こういうことは自分の部屋でやって……」
言葉を詰まらせたダイを絵梨は無表情で見つめた。
「まさか、いきなりベッドの上に寝ころんだから、変なことやろうって思ってないよね? ダイのお父さんとお母さんが不在だからって、エロイことやったら許さないから。それと関節ベッドで夜にエロイこと想像して、興奮しても許さない」
「違う。俺はお前の……」
その時、ダイのお腹が激しく鳴った。おそらく異世界に行く時間が来たのだろうと、彼は思った。
この場で絵梨を一人残して良いのだろうかという疑問に悩むことなく、少年は幼馴染に告げた。
「ちょっとトイレ行ってくる」
何気ない一言から三十分が経過しても、御手洗ダイは帰ってこない。まさか怒ってトイレの中に籠城しているのではないかという突拍子もない推測が、澳津絵梨の頭に浮かぶ。
なぜ幼馴染の少年は、三十分以上もトイレから帰ってこないのか? 好奇心旺盛な少女は、トイレに向かい歩き始めた。
そうとは知らない御手洗ダイは、いつもと同じように異世界の少女、アース・マホの家庭教師の仕事をやっている。
宿題の採点の最中、マホは答え合わせをしているダイに尋ねた。
「本当は好きな人とイチャイチャしたかったんじゃないの?」
藪から棒な問いかけに少し困ったダイは事務的な答えを口にする。
「これが仕事なんだから、仕方ない」
「そう。ダイダイの世界だと学校休みの日なんでしょう? せっかくの休みなんだから、幼馴染さんとイチャイチャするのかと思ったの」
いつの間にか御手洗ダイが好きな人=幼馴染の澳津絵梨という公式になっていることに気が付いたダイは、赤面しながらネコミミの少女に問いかけた。
「なんで俺が好きな奴が澳津絵梨だって分かった?」
「馬鹿でも分かるよ。私がダイダイの世界のことを聞いたら、いつも幼馴染さんの話題が
出てくるから」
そういえばとダイは思った。マホに自分が住んでいる世界のことを話す時に、必ず幼馴染の名前が無意識に出てくる。それだけ彼女の存在が大きいのかと少年は思い始めた。
それでも好意に気が付かない彼は頭を掻く。
「アイツとは兄妹同然に育ってきたからなぁ。好きなんじゃないかって指摘されても、今の俺には目が離せない妹にしか見えない」
「じゃあ、私もダイダイを好きになっていいよね?」
「えっ?」
突然スマートフォンを操作し始めたマホの口から告白の言葉が聞こえ、少年は頬を赤く染めた。その直後、今度はマホが笑う。
「……冗談」
マホは躊躇ったような顔付きを一瞬見せた後で、イタズラな笑みを浮かべた。この少女の気持ちに気が付かない鈍感な少年は、何事もなかったかのように、答案用紙を確認していた。
一方その頃、御手洗ダイの家では幼馴染の少女による捜査が始まっていた。最初の手がかりは、「トイレに行ってくる」という彼の証言。この言葉通りならば、幼馴染はトイレにいるはずである。
少女はドアノブを握りドアを開けようとした。しかし、ドアは施錠されていて開こうとしない。
おそらく彼はトイレの中にいる。そう思った彼女はトイレのドアをノックする。
「ダイ。いるんでしょう? まさかまだカンニングのことで怒ってるの? あのことは謝るから出てきて」
しかし、中にいるはずの彼は一言も返事しない。そのことに怒った絵梨は強くドアを叩いた。
「口も聞きたくないってこと? それとも謝るだけじゃダメ? だったら、カワイイネコの写真集を買ってくるから、許して」
それでも彼は返事をしない。何を言っても返事がないということに、少女は腹を立てた。
「分かった。そっちがその気なら、私にも考えがあるから」
頬を膨らませた幼馴染の少女は、トイレから離れていく。
少女が撤退してから二十七分が経過した頃、澳津絵梨はトイレに戻ってくる。その手にはノートが握られていた。
「放課後の教室でネコの写真見てニヤニヤ笑うのが許せないって私が言ったことを、今起こっているのかな? そのことだったら怒らないで私の話を聞いて。私はダイのあの顔を他の人に見てほしくないだけなの。私が小説のネタが浮かんだ時に奇声を出すのは、私の家族とダイしか知らない。だから、同じようにあの顔は私だけが見たい。独占欲が強い女だって思うかもしれないけど、私はダイのことが好き」
少女が顔を赤くしながら言い切った時、トイレのドアが開き、幼馴染の少年が姿を現した。
異世界から戻ってきた時、少年はトイレのドアの外から幼馴染の告白を聞いた。突然の出来事に、少年は少女と顔を合わせる顔がなくなり、頬を赤く染めながら彼女から顔を反らした。
「ダイ。トイレから出て来たところ申し訳ないけど、やっぱり怒ってるの?」
そう彼女に尋ねられ、少年は首を横に振る。「いや。怒ってなんていない。ただトイレ中、急に眠くなって、トイレの中で寝ていただけだ」
苦し紛れな言い訳だが、少女は疑わずホッとした顔になる。
「良かった。じゃあ、私が何って言ったのかも聞いてないよね?」
「確か好きとか言っていたよな」
正直すぎる少年の発言を聞き、幼馴染の少女は急に顔を真っ赤になる。そして、彼女は手にしていたノートを少年に押し当て、逃げるように部屋に戻った。
何がどうなっているのかが分からない彼は、ノートを読み始める。
何気なくノートに書かれた物語を読み始めた彼は絶句した。
その物語に登場するヒロインのキャラ設定は、アース・マホに酷似している。どこにでもいる男子高校生が異世界に行き、現地のネコミミの種族に勉強を教えるストーリー。
これまで自分が異世界でアース・マホと会話した内容まで再現されている。
一体これはどういうことなのか?
あの異世界は澳津絵梨が書く物語の世界だったのか?
それとも……
疑念を抱き始めた御手洗ダイは、とりあえず勉強会を再開するため、自分の部屋に戻った。幼馴染の少女が恥ずかしがって籠城しているとも知らずに。
ちょっと異世界で勉強教えてくる。 山本正純 @nazuna39
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