針人形
安藤そど
これは現在専業主婦をしているDさんから聞いた話を元に再現した文章である。
あの年の初夏は例年より蒸し暑かったと記憶しています。
その日、私は夫と六歳になる息子と三人で一緒に布団を並べて川の字になって寝ていました。エアコンの送風音がささやかに聞こえる以外は静かな夜でした。
「オ、ギャウ、アウ!」
突然耳元で雄叫びが聞こえて私は飛び起きました。
息子が暴れ泣き始めたのです。
タオルケットを蹴り飛ばし、獣のように叫びながら体をくねらせて布団の上でのたうち回ります。
夫は息子の体に馬乗りになり、押さえつけます。
「何ぼさっとしてんだ! お前は足を押さえろ!」
私は何が起こったのか理解できずにぼうっと眺めていましたが、夫の声で我に返りました。空中に登らんばかりに振り上げる息子の足を掴みます。気を緩めると私の体ごと吹き飛ばされそうです。
「ウウッ! い、い ガアッ!」
息子は意味不明な叫びの合間合間に何事かを喋ろうとしていました。夫は息子の言葉を聞き逃さないように顔を近づけます。
「どうした? 痛いのか? どこが痛いんだ!」
「で、う、う」
強張っていた息子の体から急に力が抜けて、動きを止めました。
「おい、おい?」
しばらくして、息子の穏やかな寝息が聞こえてきました。
私は夫と顔を見合わせたまま、しばらく呆然としていました。
朝になり、息子に昨日の夜のことを訪ねましたがまったく覚えていませんでした。朝食もキチンと平らげ、小学校にも元気よく登校して、なにもおかしな様子は見受けられません。
たまたま息子の虫の居所が悪かったのかもしれない、と思い込むようにして
同じようにまた昨夜と同じように
「え、どうしたんだ、言ってみろ」
「う、で」
しゃがれて錆びた声が聞こえてきました。
夫が息子の腕をまくりました。
「なんだ、これは」
腕には黒い大きなホクロがブツッと、浮かびあがっています。今日の息子は半袖で過ごしていましたが、その時にはありませんでした。
夫は腕に手をかけて、ホクロをさすりました。すると息子の体がさらに強くのけぞりました。
「なにか硬いものが入っている」
夫は呟きました。
「おい! ピンセット!」
私は聞き返そうとする前に夫が遮り、慌てて布団脇のタンスからピンセットを取り出し、夫に渡しました。
夫は息子の腕をしっかりと地面に押さえつけて、ホクロの辺りに近づけると思いっきり押し付けたのです。
息子は更に強く泣き叫びました。
ホクロがピンセットで持ち上がったのです。ホクロではありません。
親指の爪ぐらい持ち上がったでしょうか。ツルッとぬけました。
息子はピタッと泣くのを止めて、またいつものように静かな寝息を経てました。私が薄っすらと汗をかいている額をタオルで拭き取っても、起きる気配すらなく、深い眠りに入っているようで安心しました。
「針だぞ」
夫が私の肩を叩いて、先程腕から抜き取ったものをみせました。
親指の先ほどの長さがある金属製の針です。まっすぐではなく途中で何度か曲げられており、これが体の中に入っていたのだと思うと、私自身の腕が疼きます。息子の血なのか、錆なのかはわかりませんが、針は所々赤黒く染まっていました。
息子の腕をみると針があった場所は、出血したりかさぶたになったりすることもなく、ただ針と同じ大きさの穴がボツッと開いています。
針を抜いて安心したのもつかの間、次の日の夜も同じように泣き出しました。今度は左足のふくらはぎに針が刺さっていました。三日目は右脇腹、四日目はなんと顔の頬にできておりました。
そのいずれも抜いてしまうと息子はすぐに寝入ってしまい、その時のことはまったく覚えていないのです。ただ針があった場所にはボツボツと黒い穴が開いています。
病院にいったとしてもいたずらで埋め込んだのではないかと疑われるのが目に見えています。
どうしようか迷った末に実家の母に相談することにしたのです。
私の実家は現在住んでいる場所から隣県にあり、車で二時間ほどのところにあります。幼い頃、父に先立たれてから、母は女手一つで私を育ててくれました。私も母は親子であり、昔からの親友みたいな関係なのです。だから大切なことや悩みがあると相談していました。
夫を会社に、息子を小学校に送り出してから、さっそく母の家に向かいました。
母は私の姿をみてとても嬉しそうに出迎えてくれました。
「お昼ごはんどうする? ひやむぎでも茹でようか」
聞いてきた母を後で一緒に食べようと制して、息子の身に起きたことを話しました。
母はにこやかに応対して、へえふん、そうなのーとか頷きながら聞いていたが、話の途中から母親の顔色がだんだんと青くなっていきました。
私が説明し終えると、母親は何も言わずに立ち上がり、家の奥にあるものを物置部屋へ入り、普段は滅多に開けることのない押入れを開けました。舞い上がるホコリにまみれながら一抱えほどの汚らしい木箱を取り出しました。
母が木箱のフタを開けると中に入っていたのは一体の人形でした。
ただ人形にしては出来が悪く、茶色の布だけで仕上げられた人形で、髪の毛が毛糸、目と鼻がボタンで作られていたため、かろうじて人形だろうと予想できるぐらいです。
形も歪で、人の形をしてはいますが、明らかなメタボ体型で木箱の内壁にミッチリと詰まっています。長いこと放っておかれたせいか、遠目からみても布が劣化しているのがわかります。
「この人形がどうかしたの?」
「これね、私が小学生の頃に学校で流行ったのよ。『針人形』っていう……呪いのおまじない」
呪い、という物騒な言葉が母親の口から飛び出し、急に周りの音が消えたような気がしました。
「私が小学校二年生の頃、同じクラスにNちゃんという女の子がいてね。体が大きくてちょっと威張っているようないけ好かない子だったの。私はその子にいじめられていた。暴言を吐いてきたり、私物を隠されたり、叩かれたりもした。先生や他のクラスメイトは見ぬふりを決め込んでいて……本当に辛かったの。その時『針人形』というおまじないの話を聞いてすぐにやってみたの。茶色一色の人形を自分で作って、Nちゃんのカバンに入っていたブラシから髪の毛をくすねて、綿のなかに混ぜ込んで人形を作った。
その人形に満月の出ている日の真夜中、その子のことをどうなって欲しいか言いながら、人形を塩水にひたしてぬい針をブスッと刺していくの。一本、また一本と言いたいことが終わるまでずっと刺していくのよ。全身、くまなく」
「母さんはなんていったの」
「ひどいことよ。お前なんか死ねばいいとか、殺してやるとか」
目を凝らしてみると表面には所々小さな穴がボツボツと開いていました。
人形の表面に開いた穴の数が恨みの数なのです。穴をみていると息子の体に開いた穴を思い出してしまい、背筋を針の背で引っ掻かれたようなおぞましさを感じます。こめかみから汗が一筋流れてきました。
「その儀式をやった次の日、Nちゃんは急に体調が悪くなって病院に入院したって担任の先生がいったの。それも体中にまるで針で刺したみたいな黒い斑点が出たらしかったの。私は真っ青になったわ。本当に呪いはあったんだって。先生たちは知らなかったかもしれないけど、針人形の呪いってほとんどのクラスメイトは知っていたから誰かが呪いをかけたんだって大騒ぎになって……結局、そのままNちゃんは良い病院がある他の街に転校してね。そのまま音信不通よ……今だったら偶然が重なっただけだって考えることもできるんでしょうけど」
黒い斑点、私の息子にできたものと同じものでしょうか。
「この人形だって儀式が終わって効果があったらすぐに燃やさなければいけなかったのに怖くなってそのまま手短な箱に入れてそのま、まにして……」
それまで思い出話を語っていた母の言葉尻が小さくなっていく。
「どうしたの母さん?」
私の質問に、母は首をひねりながらポツリと呟きます。
「この人形こんなに大きかったかしら?」
「どういうこと?」
「いまこの人形、箱いっぱいの大きさになっているけど……私がこの人形を作ってこの木箱にしまった時、まだ隙間があって余裕があったはずなのよ。へんねぇ」
そう言いながら母親は箱から古びた人形を取り出そうとして両手で持ち上げようとする。
「痛っ!」
叫んで母は人形を放り投げました。
人形は木の箱の淵に当たった。ジャリンと人形らしからぬ重い音がする。長年物置の奥にしまわれていて劣化していたのでしょう。人形の布はだいぶもろくなっていたらしく、布は音も立てずに裂けました。中から赤茶けた針が木箱の内、外へと次々とこぼれます。
「私、こんなに刺してないわよ!」
誰も聞いていないのに、母が叫びました。
私も母が針をこんなに刺したとは考えにくいし、人形の綿をぜんぶ抜き取って針と取り替えっこするほど相手を憎んでいたとは思えません。
結局、後にはぺちゃんこになった人形の皮が箱の淵にひっかかり、中から木箱半分ほどの分量がある針がすべて出て、山と積まれた。
母の人差し指の腹から赤い血の玉が膨らんでいる。
その後、私たちはホウキとちりとりで針と人形をまとめてすくい取り、厚手の紙袋の中に放り込み、ビニール袋の中に入れました。
「あんたはすぐに帰りなさい。私がなんとかするから」
母はお昼も用意せずに、私をすぐに家から追い出しました。
家に帰ったと同時に、母親からメールがありました。タイトルは『燃やしました』と書いてあり、本文はありませんでしたが添付されていた写真には家の裏手にあるドラム缶が煙をあげているのが写っていました。
その後、息子も夫も無事に帰宅したので、簡単な手料理を作って夕飯にしました。
夫には母の針人形のことは説明しませんでしたが、食事中に
「たぶん解決したから今日からは大丈夫だよ」
といってみると、缶ビールを手にしたまま表情を変えずに「そう」といって終わりました。
その日の夜、息子に泣き叫ぶことなく、針も刺さっていませんでした。
朝、私が起きたとき隣で息子は仰向けで静かに眠っている姿をみて、よかったと胸をなでおろします。
息子を学校に送り出した後、見知らぬ番号から電話がかかってきました。
電話を受け取ると、母と親しい近所のおばさんでした。
「あのね、落ち着いて聞いてほしいんだけどね。あなたのお母さんが……亡くなったのよ」
私はその言葉を聞いたときから、周りから現実感が失われて、夢の中にいるようでした。
昨日まであんなに元気でいたのに。出勤の準備をしていた夫が私の様子に気がついて、電話に代わりに出ておばさんとやりとりしてくれなければ私はずっと立ち尽くしていたことでしょう。
夫と共に急いで学校に息子を迎えにいき、実家に向かいました。葬儀社の人や近所の人、親戚たちが次々と集まってきて、黙々と手続きや作業をしています。
私は腑抜けになっていました。棺に入った母の姿どころか、遺影の顔もみることができません。息子も夫の親戚に任せっきりです。
まるで人形のようにぼんやりと椅子に座っています。電話をかけたおばさんが発見したときの様子を他の人に話をしているのが聞こえてきました。
「朝、いつものようにお話しようかと呼び鈴を鳴らしたんだけど、まったく応答がないのね。留守なのかなと思って帰ろうと思ったら、なにか焦げ臭いにおいがしたのよ。慌ててにおいの元を探したら、家の裏手にあるドラム缶でなにか燃やした跡があって、ちゃんと消化していなかったものだから、ずっと火がくすぶり続けていたのよ。ずいぶん不用心ねと思っていたら、勝手口のドアが開いていて、中に入ったら……台所で倒れていてねえ……あんまり大きな声ではいえないけれど、目が飛び出して、自分の歯で舌を半分噛み切っていて、暴れたのか体中アザや傷だらけになっていたし……物取りじゃないかって警察も調べていたけど、体の傷は自分でつけたものだし、何も盗られていないし、自分で暴れたと考えるのが自然だろうって」
大きな声ではない話をしっかり聞いていたが、なんの感慨もわきませんでした。
本来喪主であるはずの私の代わりに夫が取り仕切り、お通夜、葬儀が過ぎ去って、出棺、火葬までつつがなく終わり、あとは母親の骨上げをして遺骨を骨壷に収めるまで段階になりました。
火葬炉の扉が開いても、母が骨となった姿をみたくないために俯いていました。夫の声が聞こえます。
「ほら、いい加減に顔を上げて。これでお義母さんとは最後になってしまうのだから、骨上げはちゃんとお前がやりなさい」
そうだ。ちゃんとお別れしないといけない。
そう思い意を決して、母のお骨を拾おうとして、箸を手に取り顔を上げたとき母の頭蓋骨には無数の小さな穴がボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツボツと開いている。
針人形 安藤そど @andorsodo
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