麦わら帽子

麦わら帽子

 

 大粒の汗が額から滴り、目の前の雑草にぶつかって爆ぜた。

 

「…ないなぁ」

 

 茂みから顔を上げ、少し離れた場所で草木をかき分けているヒナセを見る。

 僕の視線に気づいた彼女は、眉をひそめて力なく首を左右に振った。

 落胆のサイン。こちらも全く同じ動作で返す。

 

「…ふぅ」

 

 腰を伸ばすように胸を張ると、背骨から軽い音が鳴った。しばらく前かがみになっていたから腰にきたのだ。


「…暑い」

 

 

 僕らは麦わら帽子を探していた。

 

 

 事の発端は一時間前に遡る。

 午前十時の陽光を尻目に、僕は床に就いていた。ここ数日は朝陽を拝んでいない。夏休みという病に侵され、不規則で不健全な生活がもはや習慣になってしまっていたからだ。


 今日も今日とて遅寝遅起き…のつもりだったけれど、そんな僕を叩き起こすように、ふいにスマートフォンから軽快なマリンバの演奏が流れた。

 電話の着信、画面に表示されるヒナセという文字。

 応答するか数秒考え、寝ぼけ眼で画面を操作しスマホを耳にあてる。

 

「今日って、最高気温四十度近いらしいよ」

「…急だね」

 ヒナセと電話をする際の常識その一。通話は「もしもし」から始まらない。

 

「しかも肌を刺すような陽射しときた」

「それは対策が必要だね」

 ヒナセと電話をする際の常識その二。彼女の話を折ってはならない。そもそも折ろうとしても折れない。

 

「だから私はお気に入りの麦わら帽子をかぶって、意気揚々と家を出たの」

「へぇ」

「反応がいまいち。もしかしてつまらない?」

「そんなことないよ」

 ヒナセと電話をする際の常識その三。反応が悪いと怒られる。

 

「まぁいいわ。で、話の続きなんだけど…家を出る頃にあったはずの帽子が、今は手元にないの。この意味がきみにわかる?」

 ヒナセと電話をする際の以下略。唐突な出題。もちろん適当に答えると怒られる。

 

「これはあれかな?なぞなぞってやつ。だとしたら『帽子は今、頭にかぶっているから手元にない』とかどうだろう」

「ふむ、なかなかとんちの効いた解答ね。一休さんも感心するかも。帽子だけに脱帽ってね!」

 ヒナセと電話を以下略。解答に凝ると恥ずかしい思いをする。

 

「で、正解は?」

「普通になくしちゃったんだけど」

「とんちが余計に恥ずかしい!」

 

 これが電話でよかった。赤面がヒナセに見られなくてすむ。

 

「そこで本題。探すの手伝ってくれないかな?もちろん無理にとは言わないんだけど」

「もし断ったら」

「それは仕方ない。私が暑さに倒れて病院送りになるだけだから気にしないで」

「………」

 ヒナセと電話をする際の常識の総評。彼女はジャイアニズムを振りかざす。

 

「…手伝わせていただきます」

「四十秒で支度しな」

「十五分待ってもらえる?」

 

 

 そして今に至るのだ。

 

 合流してから四十分。

 ヒナセが帽子をなくした場所を起点にその周囲を捜索しているが、今のところ成果はない。

 たまに吹くビル風に流されてしまっている可能性も、もしかしたらあるかもしれない。

 

「麦わら帽子って、ルフィがかぶっているようなやつ?」

 

 目の前の空間に人差し指で麦わら帽子を描く。

 

「う~ん…シャンクスがかぶってるようなやつかな」

 

 訂正するように、ヒナセも目の前に麦わら帽子を描く。それは僕が見る限り、僕の描いた麦わら帽子と同一の物に見えた。

 

「なるほど」

 

 誰がかぶっていようと、イメージが一致しているならいいか。

 

「今度はあっちを探そう」

 

 

 それからさらに十五分くらいが経っただろうか。

 

 

「結構探したけど、見つからないね」

 

 首に巻いたタオルで顔面の汗を拭う。

 

「広すぎるのよ、この運動公園」

 

 ぶうたれるヒナセの気持ちはわからないでもない。

 ここの運動公園はとにかく広い。六面のテニスコート、サッカー場に野球グラウンド、ゲートボール場に大型のアスレチックゾーンが併設されているからだ。

 そのため、普段は老若男女入り乱れ多くの人で賑わっているのだが、今日は打って変わって人っ子一人見当たらない。

 

 しかしその理由は単純明快。


「暑すぎる…」

 

 四十度近い気温。全身を貫かんとする陽射し。命の危険を孕む炎天下。

 こんな日に自ら進んで汗を流す人の気が知れない。

 

「もうダメ。ちょっと近くのファミレスで休憩しよう。あわよくばきみの奢りで」

 

 だからこそ僕は疑問を抱いていた。避暑地に向かって少し前を歩く無邪気な女の子に対して。

 

「なぁ、ヒナセ」

「ん?」

 

 首だけ捻り横顔で僕を見る。前髪がぺったりとおでこに張り付いていた。

 

「なんでわざわざ、この運動公園まで来たんだい?」

 

 運動をするでもなく。他に予定があるわけでもなく。そもそもとして、ヒナセの家からここまでは、並ではない程の距離があるのに。

 

 僕の問いかけから五秒ほどの沈黙が流れた。ヒナセは相変わらず少し前を歩いている。

 不味いことを聞いてしまったかな。言いにくいことだっただろうか。

 

 耐えかねた僕が別の話題を振ろうとしたその時、身体ごと振り返ったヒナセが静寂をそっと破るように小さく言葉を発した。

 

「…きみに会いたかったから」

 

「えっ?」

 

「なんてね」

 

 にっ、と笑って踵を返す。

 

 

 振り返りざま一瞬だけ見えたヒナセの頬が紅みを帯びていたのは、きっと夏の熱気のせいだろう。

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麦わら帽子 @rokurou

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