第3話 生き観音との夜
私が件の観音像と初対面したのは、小学校6年生の時だった。
夏休みに祖母の家に泊まりに行くと、祖母は喜々として観音像を祭壇から恭しく下ろし、手に取って私に見せてくれた。
「観音さま、孫が東京からわさわざ会いにまいりました」
祖母の手の中にある金色の観音像は、私が想像していたよりもずっと小さく、その小さな身体のサイズにぴったりの小さな厨子の中に収められていた。
小さいためもあるのか、観音像の顔や衣のひだなどはそれほど細かく彫りこまれておらず、全体的に摩滅しているような印象を抱いた。肝心の観音像の顔の表情は、ぼんやりとしていてよく分からなかった。
「土から掘り起こした時は、もっと小さなお姿やったんやで」
「えっ、そうなん!?」
「そうや。最初は割りばし1本分くらいの太さしかありはらへんかった」
私は改めて、まじまじと観音像を見入った。観音像は少なくとも、成人女性の人差し指らいの太さはあった。
「この観音さんはなぁ、日々成長してはるんや」
祖母は至極満足そうに、観音像を祭壇に戻し、手を合わせた。そして恍惚とした表情で、なおも話を続けた。
「この観音さまを拝んでいると、辺りが錦色に輝いてきて、観音様がいはる祭壇から、衣冠束帯姿のひとたちが、次々と下りて来はるんや。ああ、ありがたい、ありがたい…。ご先祖様がお守りくださってるんや」
祖母は、観音様やその衣冠束帯の人たちから、日々、新たな宝の啓示を受けていると語った。それは、祖母が所有している土地のどこかに、大判小判の入った3つの箱が埋まっているという内容だという。
当時は日本国中、とにかく土地さえ買えば儲かるとされていて、たくさんのひとが土地を買いあさっていた。
「原野商法」なるものに踊らされた人も多く、祖母もその一人だった。
満足に登記もされていないような山奥の荒地までもが売買され、祖母もその手の土地売買にのめり込んでいた。いつかその土地のどれからか、必ず大判小判の財宝を掘り当てると、祖母は胸を張った。
祖母はひとしきり喋ったあと、自室へと行ってしまった。
私はその晩、仏間横の部屋で、眠ることになった。
夜が更けても、暑さのため開け放たれたふすまの向こう、薄闇の中に、観音像の祭壇はうかがうことができた。
実は大阪に来る前に、私は姉からもう一つ、観音像についての不可解な話を聞いていた。
「おほほほほほって、声を立てて笑うんやて。あの観音さん」
姉は気味悪そうに、そう私に話した。
祖母は近年、大金を稼いだが、長年の習慣からか食べ物や着るものに関しては至って質素で、好物と言えば、うどんくらいだった。
ある日、自分の大好物のうどんを観音様にお供えしたところ、観音様が、
「おほほほほ、おいしいなぁ!」
と、甲高い声を上げて笑ったのだと言う。
「観音さまなぁ、おいしいなぁ!って、声上げて喜んでくれはるねんで」
祖母は、自分は観音様と以心伝心の間柄になっていると、自慢気に孫である姉に話していたのだ。
蒸し暑い床の中で、転々と何度も体を寝返らせながら、私は姉から聞いたそんな話を思い出していた。件の観音様は、すぐそこにいるのだ。
当時小学6年生の私は祖母のことは大好きで、祖母の言うことに真っ向から異を唱える気も、そこまでの頭も、まだなかった。
ただ、あの観音像が、霊験あらたかな本物の「観音さま」ではない、ということは、子ども心にもなんとなく分かった。
(おほほほほ、って、一体どんな声なんやろう…。)
そんなことを考えつつ、布団の中で、少しまどろみかけた時だった。
キーン、…おほほほほほほ、…キーン、おほほほほ…。
金属音のような、女性の金切り声のような、微かだが鋭い音が、私の耳を突き刺した。
びっくりして体を起こすと、笑い声だと思ったのは、どうも耳鳴りのようだった。
私は、そっと、ふすまの向こうの祭壇を見返した。
そこにはただ、寝苦しい夏の夜の空気が淀んでいるだけだった。
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