第214話カーペンターズ4
「たくやくん、あの二人はどこ行ったの??」
「何か借金があるみてぇだもんで建て替えたったんだわ。ついでに一斗に股引と腹掛け貰ってこいって頼んどいた」
澄人と一斗に借金分のカードをくれてやった俺は、二人が帰ってくる間をブレイクタイムとして、マチコのコーヒーに舌鼓を打っていた。アイツらの負債をチャラにする事は、俺にとって何の利益にもならない。働き手の使い勝手をほんの少し良くするくらいだ。だけど、子分の面倒を見てやるのも親方としての役回りだ。そういう風に職校で教育された。
それができるのも、人件費やら初期費用などの支出に重きを置いていないからだ。別に俺は商売で成り上がろうとは毛ほども思っていない。やなぎ家に貝を上納できればそれでいいのだ。
「あ、じゃあ一斗くん、道具の事も相談してきてくれるかなぁ?」
マチコの話では、大工仕事に必要な道具にもやなぎ家が絡んでいるらしい。賭場と同様、やなぎ家も貝の貸付を行っている様で、担保として道具を預けている職人は結構いるのだとか。ソイツらは全員、今は都を離れているので、引き取り手のない道具をやなぎ家は持て余している状態なのだ。上手く行けばそれを貸してもらえるかも知れない。
作業服と道具の心配がこんなにも早く解決するとは、やはり日頃の行いがいいからだろうな。根拠のない自画自賛に現を抜かしながら、コーヒーカップを空にした俺は、おかわりをマチコに頼もうとした。丁度その時、店の扉が開いたのに気付き目をやると、やなぎ家に向かったはずの一斗が入ってきた。
「早かったな、一斗。ん?何だお前、手ぶらで帰ってきやがって。股引と腹掛けはどうした?」
「いやぁ…、貰えなかった……」
聞けば12万のカードはしっかりと取り上げの婆ぁで、借金はチャラになったと思った一斗は、俺から言われた通り作業服の相談を持ち掛けたのだが、僅かばかり額が足らなかった事を理由に断られたのだとか。
「お前、少しは頭使って食い下がったりしろよ。おかみさんに何て言ったんだ?」
「800足りねぇ、800はどうしたんだ?って言うからさぁ、『800は御の字だ』って」
ん?
「したら、御の字って何だって言うからさぁ、『あたぼうだ』って」
は?
「したらまた、あたぼうって何だって言うからさぁ、『当たり前ぇだ、ベラボウめッ』って……」
「お…、お前……ッ。それをおかみさんの前で言ったんかッ!?バカかてめぇはッッ!!ありゃあ俺とお前の楽屋話じゃねぇかッ!んな事言われりゃどんな気のええヤツだってブチ切れるわッ!あのおかみさんのこった、怒ったろ?」
「怒った…。真っ赤になって怒った…。んで、『何て口のきき方しやがるッ!帰れぇッッ!』って言うから、ササーッと気前よく帰ってきた」
特級もんのバカだな、コイツは。とんだ与太郎だぜ。考えもなしに俺に食って掛かってきたワケが分かったわ。オツムがお粗末すぎる。コイツに任せてたら、道具はおろか作業服もままならなくなっちまう。
小一時間ばかり説教してやりたいのは山々だったが、糠に釘を打ちつけた所で屁の役にも立ちそうにない。俺は大きく一度深呼吸をして怒りを収め、思考を切り替えた。
「ほんじゃあ、俺が話付けるでお前はついてこい。あんずも付き合ってくれるか?マチコ、澄人と高桑が来たらここで待たせてやってな」
「分かったよ。いってらっしゃい」
――――――――――………
やなぎ家までの道中でやっぱり気が治まらなかった俺は、諭す様に一斗に小言を放った。言葉というのは、特に目上の人に対しては気を付けなきゃならないんだと。それを聞いていた彼は、歯切れの良い返事をしてくれたが、肝心の所は何も分かっていない様な顔だった。どーすんの、これ。
何だか肩に重たい物が乗っかっている様な気分でやなぎ家に辿り着いた俺は、裏口から来訪を伝えた。出迎えてくれた女郎は初めて見る顔だったが、どうやら俺の事を知っているみたいで、歓迎してくれる雰囲気では決してなかった。
「ええか、一斗。先ずは俺とあんずが中に入るで、お前は呼ばれるまで部屋の前で待っとれ」
先導してくれた女郎が座敷の襖を開けると、おかみさんの姿が目に入ったが、彼女はまだ喪服に身を包んでいた。俺が思っているよりも、よっぽど三谷に思い入れがあったのだろうか。
そんな事を考えてしまった俺は、おかみさんに対して自然と頭が下がっていた。
「さっきは佐藤が来たと思ったら、今度はまたお前さんかい。どうした?そんな所でしおらしくしちゃって。いつもみたくコッチまで来なよ」
この人に負い目とか引け目は感じたくないんだけど、さっきは一斗のバカがバカやらかしてるから、慎重に対応しなければならない。俺の目的はあくまで作業服と道具だ。それが手に入るまでおかみさんの機嫌を損なう様な真似は厳禁なのだ。
「いいから早くコッチに来な。それじゃ話ができないよ。ん?誰かお連れさんでもおみえなさんのかい?私とお前さんの仲じゃないか。入ってもらって構わないよ。
もしーッ!お連れさん、どうぞご遠慮なくお入りよッ」
「あはは…ッ。どーも……」
「……、はぁ…。バカが入ってきやがった…。あぁ、そういう事かい。色々と察したよ…」
俺が一斗を連れてきた事で、おかみさんは全ての合点がいった様だ。一斗は車夫としてやなぎ家に無償で雇われていた。そんな彼がここでの職を追われれば、残るのは借金しかない。丁度その時に俺が出した求人に条件が合った一斗は、それに食い付いたのだ。大工仕事なら二週間も働けば返せる額だったし。
だが一斗は一日目で借金分のカードを持ってきた。おかみさんはそれを不審に思ったそうだが、一斗の雇い主が俺だと分かれば納得もいくだろう。不審に思うなら受け取るべきじゃないと思うんだけど、貝に頓着がない俺とは違って、おかみさんは根っからの商売人だ。取れる所から取れる時に取っておきたいのだ。
「一斗の借金が12万と800ってのは俺も知ってたんですが、何分大雑把な性格なもんで12万キッカリを渡してヤツを使わせたんです。まぁこんなバカ野郎の事ですからコチラに来て何をくっちゃべったか存じませんが、そこん所は俺の顔に免じて勘弁していただいて。あとはたかが800の事ですから、ついででもありましたら後日にでも持って来させるとして、今日はおかみさんに少し相談したい事があるんです…」
俺は早速、作業服と道具の事をお願いしようとした。しかし、言葉というのは、特に目上の人に対しては気を付けなきゃならないんだと誰か俺に教えてくれる人はいなかったのだろうか。何気ない会話の中で、俺は一斗と同レベルの過ちを犯してしまっていたのだ。
「おい、お前さん今なんて言った…?あとは『たかが』800だと…?あぁ、そりゃあお前さんは一日で1000万用意できるほどの手練れだ。800くれぇ『たかが』かも知れないよ。でも私にとっちゃあ大金だね。地べた掘ったって800の貝が出てくるんじゃない。まぁそれはいいさ…。
なんだい?『ついででもありましたら』って。じゃあ何かい?『ついで』ってぇのがなかったら、800はそれっきりになるってぇのかい?
あんまり大人をなめるんじゃないよ……ッッ」
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