都事後編

第201話賠償1

 あれから一日近くの時が過ぎ、日の境を跨いでいた俺の身体は、しっかりと傷が癒えていた。意識を取り戻し目を開けると、ひのきが香る部屋にいた。ここには見覚えがある。辺りを見回すと、神妙な面持ちで俺に目をやるやなぎ家のおかみさんが座っていた。


「やっとお目覚めかい。こんのクソボウズ…ッ」


 物腰こそ柔らかではあるが、俺に向けて放ったおかみさんの言葉は、ナイフの様に尖っていた。どうやら彼女は相当ご立腹みたいだ。まぁ、その理由は何となく分かる。俺はこの遊郭の大事な『商品』である三谷の命を奪っていたからだ。


「俺は約束通り、三谷を助けてやりましたよ。地獄からね…」


「お前さんに頼んだのは、しおりを連れ戻す事だ…。誰が殺せなんて言った…?」


 おかみさんの意向は親心から来るものなのか、単なる経営者としてなのかは分からないが、俺がやった事は彼女の意に反していた様だ。しかし、俺にしてみればそんなの知ったこっちゃない。それにこの人は、三谷の救出のために俺たちの情報や身柄を羽根田浩に売っていた。その時点で立派な俺たちの敵だ。だから俺はおかみさんに対して一歩も引いてやるつもりなどさらさらなかった。

 悪びれる素振りも見せない俺の態度が彼女の目にどう映ったのか、一度だけ突き抜けそうな鋭い眼光を向けたおかみさんは、襟元を正しながら話の筋を微妙に変えた。


「お前さんが潰したのは、かわいい女郎と太いお得意さんだ…。どっちもデカい損失になる…。この落とし前はどう着けてくれるんだい…?」


「じゃあ言わせてもらいますけど、俺の幼馴染を食い物にして、羽根田みてぇな危ない客に着かせた事の落とし前はどうしてくれるんですか?テメェの道理だけでもの語んなよ、クソババァ…ッ」


 俺たちの問答は平行線を辿り、膠着状態が続いた。どちらの言い分にも筋が通っていたからだ。しかし、俺には交渉を自分の有利に持っていくだけの材料が不足していた。ネゴシエーションは俺のお株ではないのだ。

 それに引き替えさっきまで白河夜船だった俺とは違い、現在の状況を構築していたおかみさんは、反則ワザとも言える条件を突き付けてきた。


「あんまり威勢よくしてると、大事なお仲間が無事では済まなくなるよ。今はウチの庭で自由にさせてるけど、周りは自警団とゴロ巻きに覚えのある連中が囲んでるからねぇ…。私が大人しくしてる内に言う事聞きな…ッ」


 しまった。仲間の事はノーガードだった。いくらひーとんやあんずがいるとは言っても、大勢に囲まれているとしたら分が悪い。それに自警団の中には、俺たちを目の仇にしているヤツらがいるかも知れない。本部で何人かボロにしちゃったからなぁ。

 仲間の安否を気遣うと、どうしても不利になってしまう俺は、いい加減このやり取りに辟易してしまい、話を前に進める事にした。


「……、どうやったらケリが着きますか…?」


「何をどうしようが、しおりはもう戻って来ない…。あの子が生きてさえいれば、どうとでもしてあげられたんだけどねぇ……。こうなってしまった以上、商いの上での話にするしかない………。


 二日だけ猶予をくれてやるから、貝を一本(1000万)用意しな…ッ。とりあえずはそれで勘弁してやる」


 三谷の命を金銭に変換された事に多少の憤りを感じたが、それで話が済むならと、この条件を飲んでしまった。俺自身も、彼女を殺めた事に罪悪感を覚えてしまっていた。それを清算するにも、こうする他なかったんだろう。


「俺に首輪を付けとかなくていいんですか?」


「お前さんはケジメを大事にする小僧だと、私は思ってるからね。口約束だけでもそれを破る事はしないだろ?」


 この言葉自体が首輪になる事を、おかみさんは分かっていた。そこで不誠実を働くのは、俺のポリシーにも反する。そんな大それたもんでもないけど。それに、貝の都合ならいくらでもつく。俺には『高桑』という強い味方がいるのだ。


「分かりました。二日経っても俺が貝を持って来れなかった時は、煮るなり焼くなり好きにしてくれて構いません。ただ…、仲間には手を出さないでください。お願いします…」


 俺の懇願に、おかみさんは真っ直ぐな瞳で首を縦に振ってくれた。こんな歯痒い台詞を淀みなく言えたのは、自分の中で成長と言ってもいいだろう。いや、ただウンザリしていただけかも知れない。俺の勝手で他の誰かが傷つく事に…。


 おかみさんの広間をあとにした俺は、出口に向かって廊下を進んでいた。二回目なので、案内はもう必要ない。だが、その途中でかむろの子が俺を手招いた。確かこの子は『このみ』と言っただろうか。あんずの風呂を世話してくれた子だ。

 彼女は消え入りそうな声で、俺に語りかけた。


「たくやさま…、わっちは今日付けでお客さまを取れる『一人前』になりんした…。空いてしまったしおりさんの穴を埋めるためでございんす…。わっちなんかがしおりさんの代わりになれるとは思いんせんが、一生懸命精進するつもりでございんす……」


 そんな事を言いながら歩く彼女は、裏口手前の部屋に俺を誘導した。中には何人もの遊女や他の女の子がいて、その誰もが鼻を啜って泣いている。中心には、三谷の亡骸があった。

 死化粧というのだろうか、浩に汚された身体も顔も綺麗に整えられていて、髪には何本もの櫛や簪が刺さっていた。かなり手厚い見送りをされている三谷は、本当に良く慕われていたのが手に取る様に分かる。この遊女たちから三谷を奪った俺は、彼女らに恨まれるべき存在なんだろう。

 あぁ…、そうか…。さっきのこのみの言葉は、俺を責めるものだったんだ。でも、それでいい。俺を恨む気持ちが大きければ大きい程、三谷への供養になる。こんなにも彼女を想う人が大勢いる事は、幼馴染として誇らしかった。


「しおりさんの御顔、見ていきんすか…?」


「いや…、俺はええ…。そっちの方で弔ってやったってくれん?俺は俺で、アイツに手を合わすでよ…」


 別れを惜しむ女の子たちの泣き声を聞きながら、裏口を通って外に出ると、そこには俺の仲間たちがいた。こういう時に一人じゃないってのは、すごく心強いんだなぁ。と、感傷に浸っていると、俺に罵声を浴びせる一つの影があった。


「てめぇッッ!今泉ィッッ!!どのツラ下げて俺の前に出てきやがったァッッ!!しおりさんを助けるどころか殺しやがって、お前だけはぜってぇ許さねェッッ!!ぜってぇ許さねぇからなァァァッッ!!」


 あぁ、車夫の彼か…。あれだけビビらせてやったのに、まだ俺に上等くれる根性があんのか。コイツ三谷に惚れてやがったな。それはいいとして、言葉と態度には気を付けろって忠告を完全に忘れてやがる。まぁいっぺん言わせたらな分からんか……。

 今にも俺に噛み付いてきそうな彼は、ひーとんによってその身を拘束されていた。別に野放しにしてくれてても良かったんだけど、コレならコレでもいいか…。

 目から血が出そうなほどの睨みを利かす彼に近づいた俺は、いつの間にかホルスターにしまわれていた1911を抜き、銃口を彼の口に捻じ込んでやった。その際に何本かの歯が折れていたが、俺にとってはどうでもいい事だった。


「アイツを救うために何もしんかった…、何もできんかったお前が、俺にもの言える道理が1ミリでもあるんなら教えてくれんかなぁ……ッ!!是非聞きたいわぁッッ!!なァッ!教えてくれよッ!!早くッッ!!おいッ!!早よ言えてぇぇッッ!!なぁッッッ!!!」


 もちろん銃を咥えさせられている彼が喋る事は不可能だ。そんな事は百も承知で俺はがなった。これは八つ当たり以外の何ものでもない。自分では気づいていなかったが、俺はかなり情緒が乱れていたのだ。


「早よ言ってくれんッ!?はいッ!さぁーーーーんッ!!にぃーーーーいッ!!いぃーーーーち………―――」


 ……ッッ!


 引き金に掛けた人差し指に力を込めた瞬間、発砲をひーとんに遮られた。そうじゃなければ、俺は車夫の脳幹をブチ抜いていただろう。


「もういいだろ…、今ちゃん……。'98に戻ろうぜ……」


 あぁ…、また仲間を幻滅させちゃったかなぁ……。

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