第191話仕込まれた罠3
「あんず、そりゃ三谷の匂いだ。アイツにもお前と同じモンをくれてやったんだわ。その事については、後で弁解させてくれ。
とりあえず今は麝香の香りを追うぞッ!!」
やはり三谷にも麝香をプレゼントしていた事には、あんずはいい顔をしなかった。それでも俺の言葉に従い、彼女は身支度を始めた。
頭に刺していた櫛や簪を抜き、島田髷を解いたあんずは、手ぐしで整えながら髪を下ろした。その時、一度だけフワッと香った鬢付け油の香りは、懐かしい故郷の記憶を呼び起こした。
名古屋は毎年夏になると、名古屋場所の為にお相撲さんが溢れ返る。俺が小学生を上がるまで住んでいた近所にも、土俵を備えたお寺があり、早朝から稽古するお相撲さんを三谷と一緒に見に行ったもんだ。俺もアイツもお相撲さんからするいい匂いが大好きだった。それが鬢付け油の香りだと知ったのは、職校に通うようになってからだ。
その時分は、まさか自分の人生がこんな風になるとは思ってもいなかった。しかし三谷を助けに行くのは、ガキの頃にやっていた事と変わりない。それに、今まで三谷を助けられなかった事は一度もない。
きっと今回も上手くいく。そんな根拠のない自信が、現状を楽観視させていた。
「たくちゃん、おまたせしました」
ノスタルジックな記憶に思いを馳せている内に、あんずの身支度は済んでいた。おかみさんの計らいで、あんずが着ていた着物の帯には、彼女のレインコートとバンダナが忍ばせてあった。残念ながらレインブーツは帯に入らなかったので、履物はやなぎ家に借りた『こっぽり』で良しとした。
俺は直前にクリーニングした銃にマガジンを込め、初弾をコックしながら、あんずと共に部屋をあとにした。13万8000も貝を払ったのに、部屋にいた時間は二時間もなかった事が少し悔しかったのは内緒。
「どうだ、あんず?麝香は辿れそう??」
「はい。匂いはずっとつづいてますね」
麝香の香りは階段の方へと続いている様だったが、階段のある中央通路までは曲がり角が一つある。宿屋の従業員や他の客とのバッティングを避けたかった俺は、あんずに待ったをかけ、角の内側から恐る恐る向こうを覗いた。
運良く人気は全くなかったが、何処で誰と鉢合うか分かったもんじゃないし、隠し通路を見つけるまでは発砲したくない。銃声なんかが聞こえたら、囲まれてとっちめられるのがオチだ。
他者と遭遇しない事を祈るしかない俺を後目に、あんずは二階へ下りると言い出した。麝香は下へと続いているらしい。
細心の注意は払いながら階段を下っていたが、俺の緊張とは裏腹に、この建物には俺たちしかいないんじゃなかと思わせる程、物静かに感じた。
やがて二階に辿り着くと、あんずは俺が借りた部屋とは反対方向へ誘導した。部屋まで案内された時に予想した通り、逆サイドも左右対称の同じ造りをしている。どん突きが壁なのも一緒だ。
ところが、匂いを辿っていたあんずは、途中にある部屋には見向きもせず、終いにはどん突きの壁に行き当たってしまった。
「たくちゃん、どうしましょう…。匂いはまだつづいてるんですが、これいじょう進めません……」
あんずの言う通り、この先は縦板張りの壁しかない。それでも匂いが続くと言った彼女の言葉を信じ、俺は壁を舐める様に観察した。すると、張られていた板に、拭いようがない違和感を覚えた。これだけ丁寧な造りをしている建物なのに、この壁の板は梁の上と下とでは、目地が通っていなかったのだ。
これはおかしい…。そう思った俺は、梁の下の壁を優しく触診した。しかし、押しても引いても横にズラしても、板張りの壁はちっとも動かなかった。
「たくちゃん、アタシがけやぶりましょうか…??」
「それも一つの手だけど、今はやらん方がええ。この先がどーなっとるか分からんでな…」
あんずの質問に答えながら壁を触り続けていると、右端から二番目の板の足元に、指を引っ掛けるのに丁度いい節がある事に気付いた。そこに中指を突っ込むと、屈んだ体勢のせいか、意図せず持ち上げてしまった。どうやらそれは正解だった様で、両側の板と共に上へスライドした。
現れた隠し通路の幅は半間(910mm)程で、人一人が通れるくらいのものだった。通路の奥は照明が届かないのか、真っ暗で何も見えない。ここに入っていくのは少し腰が引けるが、あんずと一緒なら何とかなるでしょう。
「ようやっと見つけたわ。あんず、行こまいッ」
「はいッ」
俺が手を差し伸べると、あんずはそれを掴んでくれた。彼女と身体が触れている事で、暗闇の中を歩く恐怖が大分薄らいだ。
これなら地雷原だって自由に歩けるかも知れない。そんな事を考えていると、次の瞬間、ワープした様な錯覚に陥った。いや、錯覚じゃない…ッ!俺たちは確かにワープさせられた。だって今、視覚が役目を果してるもんッ!!
いきなり開けた視界は、それまでいた木造の建物ではなく、現代的なコンクリートの造りをした廊下が続いていた。一瞬、現代に戻ってきたのかと勘違いしたが、あんずと繋いでいた手に感じる彼女の温もりが、考えを直させた。
「たくちゃん、ばしょを変えられましたね…。これはミコトの方のしわざですね。でもジャコウはまだつづいてますッ」
「ほうか…。ほんならええわ。引き続きナビ頼む…」
あんずの嗅覚を頼りにコンクリートで覆われた廊下を暫く進むと、彼女は麝香の香り以外に感じ取ったものがあった様で、急に足を止めたかと思うと、俺の方に振り返り、剣幕に染められた顔を向けた。
「たくちゃん…。女の方のひめいが聞こえます…。この声は…、しおりさまでまちがいありません…ッッ!」
良いニュースと悪いニュースは表裏一体なのか、こういうのはいつも一緒にやってくる。先ずはこの建物の中に三谷がいる事に安堵したが、悲鳴を上げているって事は、羽根田ってヤツに嬲られているのだろう。その現場をこれから目撃しなければならない。
不安と焦燥に駆られるこの気持ちは、兄貴とお袋が自殺した時を思い起こさせる。知らせを受け、警察署に遺体を確認しに行くまでと同じ気持ちだ。
何でこんな世界に飛ばされてまでトラウマを蒸し返されにゃならんのか、俺は何だか腹が立ち、歩くスピードがどんどん速くなっていった。ドロドロとした負の感情が沸々としてくると、俺の耳にも三谷の声が届いた。
あんずのナビが不要になった俺は、彼女を置き去りにして駆け出した。三谷の声がさらに近づいてくると、ここだと確信できる部屋の扉を見つけた。
急いでドアノブを捻ったが、内側から鍵がかけられている様で、開ける事はできなかった。しかし、そんな事で足止めされるワケにはいかない俺は、ドアノブに向けて何発か銃弾を撃ち込み、ドアを蹴破った。
…ッバァァッンン…ッ
…ッバァァッンン…ッ
ドゴォッッ!!
「おいッッッ!!三谷ィィィィッッ!!!」
景気よく突っ込んで行った俺だったが、この部屋に広がる光景に言葉を失った。
予想と覚悟はしていたが、案の定三谷は羽根田のオモチャにされていた。一糸纏わぬ姿で、首に巻かれた鎖は天井へ繋がっていて、座る事すらも許されない三谷は、獣の様に後ろから犯されていたのだ。
どんなプレイを要求されたのかは分からないが、彼女は身体も顔もボロボロで、綺麗に着飾った売れっ子遊女の面影はもはや皆無だった。
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