第189話仕込まれた罠1

 おかみさんから貰った地図を頼りに、俺は件の宿屋へと向かっていた。時間にして二十分程の道のりを歩き、漸くそれらしき建物を見つけた。やなぎ家同様とても立派な佇まいだ。確かにここを出入りできる者は、限られたミコトだけなんだろう。

 まるで歌舞伎座の様な玄関を潜り中に入ると、和装に身を包んだ女の子のミコトが出迎えてくれた。しかし、その表情は俺を訝しんでいる様に思えた。そりゃそうか、俺一見だもんな。


「ようこそいらっしゃいました。失礼ですが、何方かのご紹介でしょうか…?」


「やなぎ家さんから紹介してもらったんだけど…。コレ、ポイントカード」


 ポイントが溜まりきったやなぎ家のカードを見せると、信用を証明できたみたいで、彼女は受け付けへと案内してくれた。そこは六畳程の客間で、一つだけ座布団が用意されていた。これって客の俺が使っていいのかな?いいんだよね??

 恐る恐る座布団に腰かけながら、こういう作法がよく分かっていない自分の経験のなさに落胆していた。だって今までお客さんとして他所のお家に上がった試しなんかないもん。リンチされに拉致られた事はあるけど…。

 僅かばかりの時間を待っていると、先ほどとは違う女の子が、深々と頭を下げて入ってきた。この宿の女将の様だ。彼女はワープロに似た機械を手に、この宿の説明を始めた。


「ご来館いただきありがとうございます。当館の女将を務めております、『チサキ』と申します。どうぞお見知りおきを。

 先ずはお客様のご登録をさせていただきます。コチラをチップにおかざしください。」


 ワープロには、都のどの店でも使う清算用の機械が接続されていて、それを彼女から受け取った俺は、右耳のチップに近づけた。すると、俺の個人情報が瞬時に読み取られ、ワープロに表示された。


「お名前は…、『今泉拓也』さま、でございますね。やなぎ家さまへのお支払も確認できました。ご残高もウチの審査を通るのに不足はございません。今泉さまは問題なく当館をご利用いただけます」


 この宿は客を選りすぐっている様で、遊郭や既存の客からの紹介とは別に、チップに入っている残高が審査にかけられる。どれ程の額がボーダーになっているかは分からないが、ちょっとした小金持ちでは弾かれてしまうのだろう。つまり俺は、都で認められる程の金持ちになっていたのだ。

 その事を少しだけ誇り思いつつも、都に長く居るつもりがない事を思い出し、一気に酔いが冷めてしまった。


「今泉さま、本日のご利用はいかがなされますか?ご休憩とご宿泊が選べます」


 ラブホかな?と思ったら、ここは紛う事なきラブホだった。

 俺はやなぎ家からあんずを一晩買い取っていたので、宿泊を選択した。でもよくよく考えれば、ここには三谷たちの足取りを追いに来たのであって、決してあんずと『くんずほぐれつ』をしに来たワケじゃない。休憩でも良かったのでは?

 と、いう疑念が彷彿としている中、女将のチサキはとんでもない宿泊料を提示しやがった。


「ご宿泊は一泊、貝13万8000になります」


 ふざけんな。やなぎ家で女買うより高ぇじゃねーか。消費者センターに電話するぞ。…、とは口に出さなかったが、その額を払ってでもここを使いたいヤツがいるからこそ、この宿は成り立っているのだろう。そこまで強気に出てこられたら、ここがどれ程のモンなのか確かめたくなってしまう。

 少しでも気に入らなければ、帰り際に火でも着ければいいや。などと考えながら、俺は暴額の宿泊料を支払った。


「ありがとうございます。では、お部屋までご案内いたしますね。どうぞこちらへ…」


 チサキの先導で部屋に案内されながら、俺はこの建物を良く観察した。外観からも窺える様に、この建物は左右対称だ。玄関を中心に、『コ』の字型で建てられている。階段は中央に一つあり、それを二つ昇って三階に行き着くと、向かって右側の方へ曲がった。今見えている風景は、左に曲がっても同じ様な物が見えるはずだ。廊下の突き当たりには壁しかなく、階を行き来するには中央の階段を使うしかない。

 俺は頭の中で図面を引きながら、隠し通路を作るとしたら何処に作るべきかを考えていた。しかし、普通の建築にしか携わってこなかった俺は、そんな忍者屋敷みたいな構造など想像する事すら適わなかった。

 ここでも自分の経験不足に業を煮やしていると、部屋の戸を開けたチサキが、中に入る様に促した。


「こちらが本日、今泉さまにご利用いただく『松の間』でございます。どうぞ、ごゆるりと…」


 部屋の敷居を跨ぐと、チサキはそれだけ言い残し、戸を閉めた。部屋は内側から施錠できる仕組みになっていて、チサキの足音が遠のくのを確認してから鍵をかけた。個人的なアレなんだけど、人が出てすぐ鍵かけるのは抵抗がある。っていうか、俺はそれをやられると何かショックに感じてしまうのだ。

 案内された『松の間』は、やなぎ家のおかみさんと話をした座敷よりも広かった。部屋の中央には、キングサイズの布団が敷かれていて、枕元にはティッシュだとかスキンだとか、夜の営みに使うアレやコレが用意されていた。それだけでなく、頼りない照明の薄暗さが、この部屋の淫靡さに拍車を掛けていた。

 このままではエロさに圧倒されてしまうと感じた俺は、精神衛生を保つ為に、1911のクリーニングを始めた。って言っても、まだマガジン二つ分しか発砲してないから、掃除する必要なんかないんだけど…。

 部屋の隅に置いてある行燈の元で銃のストリッピングをしていると、『prrrrrr』という電話の着信音の様な音が聞こえた。暗くて分からなかったが、部屋には受話器が設置してあり、ロビーと連絡が取れる様になっていたのだ。受話器を上げると、向こうからチサキの声が聞こえた。


《今泉さま、失礼いたします。女のコが到着いたしました。お部屋へお通ししてもよろしいでしょうか?》


「アッ…、はいッ。お願いします」


 あんずが来た!俺はバラした銃を速攻で組み上げ、戸の前で正座待機を始めた。三谷の時もそうだったけど、何でこの瞬間ってこんなにも緊張するんだろう…。どんな女が来るか分かってるのに…。これだから童貞は…。

 やはり自分の経験不足に反吐が出そうになっていると、一つの足音が近づいてきては、俺のいる松の間の戸を叩いた。


「は、は~いッ。ど、どうぞ~…」


「お、お、お呼びいただきこうえいでございんす…。ど、どうぞ、よしなにしてくりゃ…れ…?」


 迎え出る俺のぎこちなさも大概だが、それよりもたどたどしい花魁言葉で挨拶する妖艶なあんずの姿に、俺が放てた声は、たったの一音だった。


「エッッッッッッッッッッッッッ!!」

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