第183話やなぎ家2

 通された座敷は十六畳間の広さで、簡素と優美が調和した綺麗な部屋だった。奥に鎮座する女性はやなぎ家の『おかみさん』と呼ばれる経営者だ。この建物自体、男子禁制らしいのだが、彼女から直々に呼び出された俺は特例なのだとか。

 おかみさんの脇には、別の女の子が一人立っている。その子はどうもここの雰囲気に溶け込めている様には見えない。裏口から案内してくれた子や、途中で見かけた子は煌びやかな衣装に身を包んでいた。しかし、彼女はそういう着飾りをしていないのだ。化粧っ気もないし。


「よく来てくれたね。坊やが今泉くんかい?そっちの子はアヤカシだね。話は聞いてるよ」


 おかみさんは、アヤカシであるあんずを都に入れた事を咎めたりはしなかった。だが、彼女の口ぶりからすると、俺たちの存在は筒抜けだったみたいだ。その情報は、おかみさんの隣にいる女の子によってもたらされたと言う。確証は持てないが、多分この子は自警団だ。


「しっかし、そのアヤカシ、酷く臭うねぇ…。お前さんたち、一体なにしてきたんだい??」


 この時点では、おかみさんというこの女性が敵なのか味方なのか検討は付かなかった。自警団との繋がりがあるのであれば、スパイスを潰そうとしている俺たちを気に食わなく思っているかも知れない。疑い始めたらキリがないので、彼女の質問には嘘偽りなく答える事にした。


「お初にお目にかかります。今泉拓也です。こっちはお察しの通り、アヤカシであります童子のあんずです。僕らはさっき、賭場で一人のミコトをブッ殺してきました。その件に関しましては、そちらの不利益にはならないかと存じます」


「おや…?随分と丁寧な物言いだねぇ。ナメたクソガキだって聞いていたから、もう少し威勢がいいもんだと思っていたけど…。まぁ、いい。

 それより、こんな血生臭いとオチオチ話もできないねぇ。このみーッ、この子を風呂に入れてやんな」


 俺の人物像がどう伝わってるかは知らないが、元より上下関係の厳しい場所に長く身を置いていたせいで、目上の人間にはどうしてもこの様な態度になってしまう。三つ上くらいまでだったら、対等かそれ以下の扱いをしてやるんだがなぁ。

 黒いレインコートで目立たないが、あんずは直人の鮮血や肉片をかなり浴びていた。その臭いが耐えられなかったおかみさんは、案内してくれた女の子を呼びつけた。三つ指を着いて敷居を越えてきた彼女は、風呂の世話を焼きにあんずと共に姿を消した。俺も風呂入りてーんだけどなぁ。


「今泉拓也さん、率直に申し上げます。三谷紫織さんを攫い、行方を眩ました羽根田浩の捜索、及び三谷紫織さんの救出にご尽力ください。」


 今からお風呂に入りに行くあんずを目で追っていると、自警団らしき女の子が俺に協力の申し立てをしてきた。スパイスと関係を持つ自警団ですら、羽根田という男の足取りを掴めていない事は腑に落ちないが、やなぎ家としては三谷の無事を第一に考えたいらしい。

 その申し出を受ける事はやぶさかではないし、俺もそのつもりだった。しかし、俺には分からない事や知らない事が多すぎる。俺に協力を仰ぐのであれば、情報の提供をしてもらはないと動くに動けない。まずはその辺りから切り崩していこう。


「羽根田浩の事はよく存じておりませんが、スパイスの開発者という事だけは分かっています。スパイスの供給、販売、宣伝に自警団が関わっている事も知っています。自警団からしたら僕は敵のはずです。失礼ですが、そちらの彼女は自警団ですよね?何故その自警団が僕に三谷の救出を依頼するのでしょう。

 やなぎ家さんと自警団との繋がりから教えていただきたい。」


 自警団の彼女を話題の重点に置きつつ、彼女の方をチラリとも見なかった俺は、言葉の全てをおかみさんに向けて発していた。二一組ってだけでもキナ臭いのに、加えて自警団でもある彼女との接触は、生理的に受け付けなかったのだ。

 返答はおかみさんの口から欲しかった俺の意向が伝わったのか、おかみさんは着物の襟を一度整え、静かに口を開いた。


「一口に自警団と言っても、中身はグチャグチャだ。この都にはある程度の力を持つ『有権者』が何人かいる。ソイツらは子飼いの二一組を自警団に潜らせて、情報の横流しをさせてるんだよ。それは有権者同士の暗黙の了解。分かっていてもそこを突く事はないのさ。自分が突かれても困るからね。

 そうやって互いをけん制し合いながら、都の均衡は保たれてきたんだ。だけど、ここにきてそれが揺らぎ始めた。ワケは分かるかい……??


 お前さんが都に来たからなんだよォッッ!!」


 それまでお淑やかが着物着て座ってるみたいだったおかみさんは、左手を畳に叩きつけながら俺に怒鳴った。俺という存在が彼女の機嫌を損ねてしまった様だ。怒りの起因は、三谷が今現在危険に晒されている事だ。つまり彼女は三谷を、自身が囲う遊女たちを、我が子の様に思っているからで相違ない。

 スパイスみたいな程度の低いドラッグが蔓延している事よりも、やなぎ家という遊郭を、そこで働く遊女たちを守る事の方が、おかみさんにとって何よりも優先されるのだ。

 でもさぁ…、それってそっちの勝手な都合だよね。俺に関係ねーじゃん。やなぎ家がどうなろうが知ったこっちゃねーし、俺の邪魔すんならテメェらごと潰すぞ。それにテメェだって遊郭に身を落とした女の子を食いもんにして、高価な着物きたり、デケェ屋敷構えてんだろぉが。口にこそ出さないが、俺の中でおかみさんに対する不満はどんどん募っていった。


「……。ここに来る途中、車を引いてくれた彼にも言われました。『この落とし前は死んでも付けさせる』って…。三谷は俺の大事なツレです。手足もがれようが、内臓飛び出ようが助けますよ…。でもそれ以前によォ……ッッ…


 スパイスなんて馬鹿げたモンを野放しにしてきたテメェらが払うツケもあるんじゃねェのかてぇッッ!!ガキ一人に責任擦り付けてテメェは棚上げかァッッ!!ブチ殺すぞクソババァッッ!!」


 沸々と湧き上がる怒りを抑えられなかった俺は、ポケットに忍ばせた1911のセフティを解除しながら立ち上がった。攻撃性を隠そうともしない俺に危険を感じたのか、自警団の女の子はおかみさんとの間に立ちはだかった。


「おかみさまへの暴力はこの私が許しませんッッ!!」


「じゃかぁしゃあッボケエェェェッッッ!!!!」


 …ッバァァッンン…ッ


 俺は女の子に向けて引き金を引いた。だが、勿論当ててはいない。俺は女の子を傷つける様な真似だけは絶対しないのだ。その掟を破らないくらいには、冷静さの在庫は残っていた。

 顔面の右側をかすめたブリットは、彼女の髪の毛を何本か切り落とし、座敷の壁に穴を開けた。何が起きたか把握しきれていなかった彼女は、火薬の焼ける臭いと耳に残る銃声、未だ自分に向けられている銃口を見て、その場にへたり込んだ。

 その直後、俺の背後にある襖が開かれたと思うと、軽快な足音が俺の方へと近づいていた。


「たくちゃーんッ!どーしましたぁ??何かあったんですかーッ??」


 俺の目に飛び込んできたのは、薄い肌襦袢のみを身に纏い、濡れた髪を振り乱して駆け寄ってくる、お風呂上りのあんずだった。

 ヤベェッッ!!ちょー色っぽいッッ!!っつーか、乳首が透けて見えてるッッ!!あー、ダメダメッッ!!エッチすぎますッッ!!

 俺の冷静さは、ここで品切れとなった。

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