第182話やなぎ家1

 エッジの効いた俺の洒落を澄人が理解できたかは分からないが、あんずに匕首を取り上げられていた彼は、それ以上攻撃する素振りを見せなかった。刃渡り20cmほどの匕首は、あんずの手の形に刀身が歪んでいた。そもそもこんなもん、何処で売ってんだ?護身用にしちゃあ物騒すぎるし、多分脅しにでも使っていたんだろうな。

 一方、雀荘の全権を手に入れた高桑は、自分の部下となった店員共に早速仕事を与えた様で、店で扱っていたスパイスを全て処分するよう指示していた。商品価値のある今なら貝に換える事もできただろうが、撲滅を目論んでいるこっちとしては、これ以上スパイスが市場に出回るのを避けたかった。

 高桑からの命令に素直に従っていた店員は、どうやらスパイスの使用者ではなかった様だ。そりゃ、仕事しにきてんだから、勤務中にこんなもんでヨレている場合じゃないのは当たり前か。


「俺とあんずはそろそろお暇するわ。お前はどーする??高桑」


「この店の事、色々調べにゃならんで、俺はしばらくここにおるわ。何か用がある時は、手間だろうけどまた来たってぇ」


 そう軽く言葉を交わし合い、高桑とはここで別れる事にした。おそらく彼は、都にあと三軒ある他の賭場も手中に入れるつもりだ。スパイスの温床になっている賭場を全て押さえられれば、供給の元を大分閉められる。高桑も本気でスパイスを潰しにかかっている。

 俺はヨシヒロから報告を受けた手前、三谷の救出に向かわなければならなかった。今みんながどんな状況なのかも把握したいし、'98に戻ろうと雀荘の階段を下りた。その頃には、一階のバラエティコーナーの方が賑わっていたが、良く見ればそこにいた大半はさっきのギャラリーたちだった。コイツら他に行くとこねーのか。


「おぉッ!!たくやクンじゃんッ!!さっきはスゴかったよッ!!アッパレッ!!」


「また大勝負見せてくれよなッ!!あと殺人ショーもッ!!ハジキ持ってるとかマジかっこいいってッ!!」


 図らずも賭場にいる荒くれ者共の支持を得てしまった俺は、彼らからの歓声を嬉々とした表情で受け止めていた。褒められるのってチョー楽しいッ!!これだからやめらんねぇんだよ、バクチはッッ!!

 オーガズムに匹敵する高揚感と優越感に酔いしれていた俺は、ふとあんずに視線を落とした。すると彼女も同じ気持ちだったのか、大喝采を浴びる俺の腕に満面の笑みでしがみ付いていた。さっきまで張っていた緊張の糸が緩み、あんずの可愛さをより一層愛おしく思えた。

 そう鼻の下を伸ばしていたのも束の間、賭場の出入り口に立ちはだかる人物が目に入った。賭場に入り浸っているバカ共とは明らかに雰囲気が違う。しかもソイツの眼光は真っ直ぐ俺に向けられている。俺に用があるみたいだな。


「お前が『今泉拓也』か…?ちぃと面貸せ……ッ」


 黒の股引きに黒の腹掛け、頭は手拭いを吉原被り…。何かの職人か??目を凝らせば彼の後ろには、賭場にピタリと寄せた人力車がある。俺を迎えにきたのは明白だ。っつーか誰だよ、コイツ。


「タクシーを呼んだ覚えはあれせんのだがなぁ…。何の用だてぇ…」


「いいから黙って付いて来い。ワケなら後でいくらでも話してやる。コレ被って車に乗れ…。

 ……、何だそいつは…?」


 車夫であろう彼は、俺に真っ黒の手拭いを投げつけながら、ダッコちゃん人形の様に俺の腕にしがみ付くあんずを指差した。ここであんずがアヤカシだという事を教えるワケにはいかない。しかし、あんずと引き離されるワケにもいかない。俺はあんずがいないとダメなのだ。


「俺のスケだ。コイツを連れて行けんのだったら、その車には乗れんなぁ…」


「チ…ッ。まぁいい、乗れ……」


 この大きい態度にはこめかみがピクピクしたが、取り敢えずは言う事聞いておこうと、投げつけられた手拭いをほっ被りし、あんずと共に車へと乗り込んだ。普通なら、搭乗しやすい様に台が用意されているはずなのだが、それがないって事は客として扱う気がないんだな。ドタマぶち抜くぞ、このガキ。

 首にバンダナを巻きながら頭にも手拭いを巻く奇妙な出で立ちのツナギ男と、真っ黒のレインコートに身を包む小さな女の子を乗せた車は、勢いよく賭場を発った。


 何処へ向かっているのか知る由もない俺は、流れゆく都の景色をボーッと眺めつつ、初体験の人力車を密かに楽しんでいた。今までの人生で、こんな物に乗る試しなんかなかったからな。旅行とかもした事ないし。

 そう言えば、あんずはトラックやバイクを楽しそうに乗ってたなぁ。コレはどうなんだろう。と、彼女の方を見ると、火花が飛び散りそうな視線で車夫の彼を睨んでいた。そりゃ、あんな上等を俺にかませばそうなるわな。俺に楯突くミコトは敵だと思え、と教えていた事を順守してくれているのだろう。かわいいヤツめ。

 あんずのヘイトを一身に受ける車夫は、結構なスピードで車を引きながら、突如として話しかけてきた。だが、その態度はさっきから1ミリも変わっていなかった。


「おい…。てめぇが何しにきたか、何がしてぇのかは知らねぇが、てめぇのせいでしおりさんが危ねぇ目に合ってんだ…ッッ。この落とし前は死んでも付けてもらうからなァ…ッッ!!」


 あ、コイツ…、ヨシヒロが言ってた『やなぎ家』のお抱えかぁ。漸く話の線が繋がったわ。三谷が行方知れずになった原因の俺は、三谷の勤める遊郭に呼び出しを食らったってワケね。それはいいんだけど、一従業員で小間使いのコイツがこんなにご立腹って事は、三谷はかなり慕われているんだな。

 つーか、お前らに言われなくても三谷は俺が助けるし、余計な世話焼いてんじゃねーよ。ドタマぶち抜くぞ、このガキ。

 彼の啖呵に返す言葉を持つ気もない俺と、彼に対するヘイトがうなぎ上りのあんずは、人力車が大きな屋敷の敷地内に入った事に気付いた。おそらく、ここがやなぎ家で間違いない。

 本来は関係者しか立ち入れないし、客でもない俺たちは、正面玄関ではなく裏口の方へ回された。そこには女の子が一人立っていて、これより先はこの子が案内してくれるみたいだ。


「今泉さまでございんすね…。お待ち申しておりんした。どうぞこちらへ…」


 横柄な車夫とは打って変わって、女の子の佇まいは穏やかなものだった。しかし、その表情には焦燥や緊張が滲み出ていた。この子も三谷の事が心配なんだろう。やはりアイツは店の者から慕われているのだ。

 手招かれるまま足を踏み入れたその屋敷の中は総ひのき造りで、能の舞台に立っている様な錯覚に見舞われた。この世界の建築技術はスゲーな。これも『開拓者』による仕業なのだろうか。

 丁寧に造られている内装に心を奪われていると、間口が二間もある大きな座敷に行き着いた。


「おかみさん、お連れして参りんした」


「ありがと。さ、入っておいで」


 女の子が襖を開けると、そこには品格のある着物を着こなす、中年の女性がいた。

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