第167話二人の『羽根田』2

 桃子を乗せた駕籠は、北の広場から西へ西へと進んでいた。薬屋の羽根田、弟の和政が所有しているという隠れ家に向かう為だ。しかし、都には住居など存在していないはずなのだが、駕籠屋は都から出る素振りを見せなかった。都に出入りできるのは、南の門以外ないのだ。垂れの隙間から見える景色に、桃子は不安を感じずにはいられなかった。

 やがて駕籠屋は、西壁に突き当たった所で桃子を降ろした。都の中心から大きく外れたここは、ミコトの気配が少ないどころか、全くいないと言っても過言ではなかった。それでも桃子は、尾行されている可能性を否定できなかった。自警団が'98に乗り込んできた事を鑑みると、自分たちの存在は向こうに知れ渡っていると考えていたからだ。その思惑は正しく、実際和政も、昨夜にもくもく亭の小間使いを拉致された事を把握していた。つまり俺たちは、既に隠密に動く事が困難になっていたのだ。


「わ…、私はこれからどうすればいいですか…?」


 隠れ家まで案内してもらえるもんだと思っていた桃子は、人気のない場所で降ろされた事に、不信感を抱いていた。ヤマモト屋のクモ助は、そんな彼女の質問に柔らかい物腰で答えたが、その表情は真剣そのもので、警戒を怠ってはいけないと教えてくれている様だった。


「この壁に沿って少し北に進むと、木造の小さな祠がある。それが隠れ家の入り口だ。華奢なアンタなら問題なく通れるはずだ」


 クモ助たちは、この後も引き続き桃子の様子を見守ってくれるそうだ。もし尾行が付いていたとしても、祠の中に入れなければ彼女の後を追う事はできない。ヤマモト屋の二人は、祠の番をすると言ってくれた。その言葉を信じるしか、今の桃子にできる事はない。

 本来なら稼ぎ時のこの時間帯に、こんな一銭にもならない仕事を引き受けてくれた彼らは、和政とどんな関係なのだろうか。そんな疑問を浮かべながら、桃子は祠の中へと入っていった。


 祠には、祀っている神さまなどおらず、引き戸の向こうは人一人がギリギリ通れる縦穴が掘られていた。その縦穴からは、時折風が吹いていて、どこかに通じている事を裏付けていた。

 地中に掘られた穴は斜に広がっていて、底に着く頃には、自由に身動きが取れるくらいの空間になっていた。底には、奥に通じる横穴があり、その先に小さな明かりが漏れている事に気づいた桃子は、明かりを目指して奥へと進んで行こうとした。だが、横穴もまた、華奢な桃子が四つん這いになって漸く通れる程の穴だった。


「ここ通ったら絶対服よごれるじゃんっ!イヤだなぁ…」


 小さな愚痴を溢す桃子だったが、自分の役目を思い出し、意を決して横穴へと潜り込んだ。しかし、運動神経をどこかに落としてしまっている彼女は、四つん這いで上手く進む事ができず、しかもスカートの裾が気になる様で、頻りにお尻を隠していた。確かに、この状態の桃子を後ろから眺めたとしたら、パンツどころか陰毛まで見えてしまいそうだ。

 だけどお前、そんな事気にしてる場合じゃねーだろ。それに、誰かに見られたとしたらソイツは尾行だよ。祠の入り口でクモ助たちが番してくれてんだから、その可能性はゼロに近い事ぐらい少し考えれば分かるだろ。っつーか、普段から短いスカート履いてんだから、今更パンチラを恐れてどーすんだよ。アホか。

 服が汚れる事とお尻が丸出しな事を快く思わない桃子は、十数メートルの距離を芋虫の這う様なスピードで進んでいた。アニメ一本分くらいの時間を費やして、漸く明かりの漏れている扉に到着すると、細心の注意を払いながら、恐る恐るその扉を開けた。


「あれ?また手紙がある…。はねだ……、じゃなかった。かずまさくんからかなぁ??」


 和政の店で手にした手紙と同じ様に、桃のマークの描かれた彼からのメッセージを、桃子はその場で確認した。


『桃子ちゃんへ

 よくここまで来てくれたね。だけど、まだ安心はできないよ。実はこの場所は、俺と兄さんの共用スペースなんだ。

 もう感づいてると思うけど、君たちの事は既に兄さんに知られている。ここに潜入した事が兄さんにバレたら、きっと酷い目に合う。

 桃子ちゃんがこれを読んでいる時、兄さんがどこにいるかは分からない。だから、できるだけ静かに、できるだけ速やかに俺の部屋まで来て欲しい。地図を書いておくから、そのルートを辿ってくれ。途中、兄さんの個室の前を横切る事になるけど、足音を立てずに静かに通り過ぎるんだ。

 健闘を祈る。        羽根田和政』


 手紙の内容を読んだ瞬間、桃子は心の帯を締め直した。和政の兄、浩は俺たちの敵の中心的メンバーだ。潰すべき目標には違いないが、実際に手を下すのは桃子ではない。彼女の存在が浩に見つかれば、人質に取られるのは火を見るより明らかだ。そうなってしまうと、仲間に迷惑がかかる。お荷物になりたくはない桃子は、和政が鳴らした警鐘を胸に刻み、彼の部屋へと静かに歩き出した。


「うぅ…。ここがかずまさくんのお兄さんの部屋かぁ…。明かりが付いてるってことは、確実に中にいるじゃん……」


 和政の部屋までは、伝言の通り浩の部屋の前を横切る他なかった。絶対に足音を立ててはいけないと釘を刺されていた桃子は、匍匐前進で浩の部屋をやり過ごそうとした。その考えは、桃子にしては上出来で、歩くよりも多少時間がかかるが、音を出さない為の最適解と言っていいだろう。しかし、彼女の取った行動は、別のベクトルで悪い方へと向かってしまった。

 浩の部屋からは、薄っすらと声が聞こえていた。中に浩がいるのは間違いないが、もう一人誰かいる事も読み取れた。声からすると、女の子だ。しかもその声は、悲鳴と喘ぎ声が混ざった様な、決して穏やかなものではなかった。

 中で何が行われているのか、大体の予想が付いた桃子は、激しい嫌悪感を抱いた。浩が作ったスパイスが精神にどんな影響を及ぼすのか、和政の店で吸いこんでしまった副流煙を味わった彼女は、スパイスを使った悪事の一つや二つを容易に想像できた。


「どうしよう…っ!どうしよう…っ!きっと女の子がレイプされてるんだ…っ!助けてあげたいけど、私には何もできないし、今はしおりちゃんの友達の方が大事だから……っっ!ごめんなさいっっ!」


 眼前で犯されている女の子を見捨てて先を急ぐ事に、桃子は罪悪感で胸が一杯になった。それでも彼女は、三谷の友達を優先してくれた。

 浩の部屋から聞こえる声の主が、その三谷だと知らないまま……。

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