第166話二人の『羽根田』1

 薬屋の羽根田からの伝言を受け取った桃子は、運動音痴特有のクッソ汚いフォームで全力疾走していた。そのスピードは、普通の人が早歩きするくらいの遅さだった。人には得手不得手ってのがあるのは分かるんだけど、コレは酷すぎるだろ…。服作り以外本当に何もできないんだなぁ。

 モッサモッサのジッタバッタで駆けていく桃子が目指す先は、北の広場。昼間に乗り物を乗り継いだ時に来ているし、都自体初めてではない彼女は、広場には真っ直ぐ向かう事ができた。

 無事に広場へ辿り着けた桃子は、『ヤマモト』という駕籠屋を探さなくてはならない。しかし、北の広場は現代でいうタクシーロタリーの様な場所で、駕籠を持つクモ助や人力車を引く車夫で溢れ返っていた。この中から特定の駕籠屋を探すのは困難だと判断した彼女は、目に付いた同業者に尋ねる事にした。


「すっ、すいませんっ!『ヤマモト』という駕籠屋さんを探しているんですが…」


「ヤマモトさん?それならあそこにいますよ。ほら、赤い手ぬぐいを頭に巻いてるクモ助。あれがヤマモト屋さんです」


「あっ、ありがとうございますっ!!」


 『ヤマモト』というのは個人名ではなく、駕籠屋として商いをする時の屋号だった様だ。人力車とは違い、二人一組で駕籠を担ぐクモ助は、自分たちを区別する為にそれぞれの屋号を持っている。

 目当ての駕籠屋を見つけた桃子は、僅かな距離を再びモッサモサと走り、赤い手ぬぐいを頭に巻くクモ助二人に声をかけた。


「あ、あのぉ…。えぇ~っと…、なんだっけ。そ、そうだっ!『カレタダイチニミズヲカケヨ』っっ!!」


 桃子が羽根田に出されていた指示はここまでだ。その後は彼らに任せる様に言付かっている彼女は、彼らの返事を待つしかなかった。しかし、羽根田が用意してくれていた符丁を伝えたのにも関わらず、二人のクモ助は桃子を怪しむ様にジロッと睨んだ。

 もしかしたら、自警団やもくもく亭の関係者だという疑いをかけられているのかも知れない。潔白を証明する術がない桃子は、冷や汗を滲ませながら一歩後ずさった。すると、一人のクモ助が静かに口を開いた。


「TOO FAST TO LIVE…??」


 え?いきなり英語!?と、余計にパニックを引き起こしそうだったが、その英文に覚えがあった桃子は、コレがクモ助側に用意した羽根田の符丁だという事に気づいた。薬屋から'98に向かうまでの間に、羽根田とお喋りした内容とも一致していたからだ。初対面が相手でも、服の話しとなるとフルオート射撃の様に喋り出す桃子に、羽根田も無理矢理付き合わされていたのだ。可哀想に…。

 その会話の中で、桃子は自分が好きなイギリスの有名ブランドについて、長々とウンチクを語っていた。羽根田が用意した符丁は、その前身のブランド名だった。


「……っTOO YOUNG TO DIEっっ!!」


 勘合貿易の割り印を照合する様に、自身の信用を証明できた桃子に対して、ヤマモト屋の二人は態度を改めた。


「あんたが和政の言ってた『お客さん』かい?アイツからは六人だって聞いてたが、お仲間はどうした?」


「あ、あのっ、他の子たちは今、『怪鳥』ってゆー居酒屋にいますっ。羽根田くんとの合流は、私だけで済まそうかと……」


 桃子の返事を聞いた二人のクモ助は何も言わず、そそくさと彼女を駕籠に乗せる準備を始めた。駕籠の中は、およそ半畳ほどで決して広くはなかったが、座布団やひざ掛けが用意されていて、客への心配りは行き届いていた。

 彼らに促され桃子が中に入るやいなや、簾の様な垂れを下ろしたクモ助は、間髪入れずに担ぎ棒に肩を入れた。Y軸方向への急激な変動で、一度だけフワっと身体が浮いた桃子は、その後のX軸方向への移動に耐える為、駕籠の中にある捕まり棒にしがみ付いた。


「ヤッサ」「コリャサ」「ヤッサ」「コリャサ」「ヤッサ」「コリャサ」


 二人で駕籠を担ぐクモ助は、互いに声を掛け合いながら拍子を合わせている。これができないと、駕籠を落として客に怪我をさせてしまう。聞いていて小気味の良い掛け声は、乗り心地と比例している。

 その掛け声の途中、前を担ぐ兄貴分がいきなり桃子に話しかけた。


「お客さん。余計な事かも知れねーが、お仲間の居場所を簡単に口にするんじゃねぇ…。あんたらは自警団に狙われてんだろ?どっから聞かれてっか分かったもんじゃねぇからな。

 それと、『羽根田』って名前も出さねぇ方がいい。この都には『羽根田』が二人いるんだ…」


 そう。もくもく亭の経営者は『羽根田浩』、桃子が連れてきた薬屋は『羽根田和政』。彼らは兄弟だったのだ。しかし、俺が相手してる成瀬兄弟の様な双子ではない。年の離れた兄と弟だ。

 どういう経緯かは分からないが、兄の浩は二一組の連中と結託し、スパイスを開発した。弟の和政もその片棒を担がされていたが、元々和政はスパイスの商売に乗り気じゃなかった。ドラッグとしては程度の低いスパイスなど、人様に売る様な『商品』ではないと考えていたからだ。

 だが浩の方は、自分が作り上げたスパイスに誇りと愛着を持っていた。『より多くの人に使ってもらえるドラッグを作る』…。それが浩の願った『やりたい事』だったのだ。その直向きな願いは、現世で叶えられなかった夢でもあった。


 緑の実家である『ダイナモ製薬』ほどではないが、浩と和政の家も大きな製薬会社だった。時代のうねりの中、解禁された趣向品薬物の供給を主軸にしようと考えた羽根田家は、低コストで大量に作れる覚せい剤のレシピを考案した。1919年にメタンフェタミンの結晶化に成功していた日本には、シャブを練り上げるレシピが様々あり、そこに手を加えたのだ。

 しかし、商品化まであと一歩という所で、羽根田家が開発した覚せい剤は販売する事ができなくなった。同じ様な製法の特許を、ダイナモ製薬が取得したからだ。羽根田家が覚せい剤を売る為には、多額の特許使用料を払わなければならず、コストを抑えたかった羽根田家の方針は、元の木阿弥となってしまった。

 覚せい剤の販売が頓挫した頃には、会社の生産ラインを著しく変えてしまっていたせいで、それまでの業務すら熟せなくなった羽根田家に残ったものは、借金だけだった。

 その後は、下請けの仕事で細々と生計を立てるしかなかった。そんな両親の苦労を間近で見ていた浩は、『いつか趣向品薬物で一発当てる事』を夢見る様になった。


 そして、不幸にも手水政策に選ばれてしまった浩が作った『スパイス』は、この世界で日の目を浴びる事ができたのである。

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