第148話バクチ稼業1

 薬屋までお使いに行った桃子と、それに付き合ってくれた三谷を見送った直後、宿屋になっている二階から、高桑が下りてきた。二階には、マチコの店からも、外の階段からも上がれるようになっていて、彼は直接『'98』にやってきた。


「拓也の声がすると思ったら、こんな早よから何しとんの?」


「お、高桑。おはよーさん」


 俺は漸くスパイスのラッシュから抜け出そうとしているタイミングで、そろそろコーヒーでも頂こうかなと思っていた。丁度いいので、二杯のコーヒーを注文すると、マチコは二つのサイフォンを同時に操った。

 コーヒーチケットはまだ余りがあったが、特に聞きたい事もなかったので、通常の注文として頼んだ。マチコは二杯のコーヒーを差し出しながら、あんずのグラスの空き具合も確認していて、おかわりの有無を聞いていた。もちろんあんずはグラスを突出し、催促した。昨日の晩に入れたばかりのボトルは、残りが僅かとなっていた。


「お前も飲むやろ?コーヒー」


「頂いてまってええの?悪ぃな、拓也」


 高桑と一緒にコーヒーを飲むのは、何だか凄く懐かしい気がした。実際は、数か月前まで同じ職校に通っていたので、そこまで古い記憶ではない。でも互いに、こっちに来てから色々あったし、そもそも再会できた事自体が奇跡だ。

 こうして、また同じ時間を共有できるのは、とても喜ばしい事だ。しかし、そんな悠長に感傷に浸っている場合ではない。夜には雀荘での勝負が控えている。それに向けたミーティングを、あんずを含めてしておかなければならない。


「高桑、ぶっつけ本番は流石にマズいもんで、今の内に牌触っときてぇんだけど…」


「ほうだなぁ…。前まで自前の牌セットがあったんだけど、みゆきと一緒に借りてた宿に置きっ放しにしてまったんだよなぁ…」


 じゃあ早く取ってこい、と言いたいのは山々だったが、高桑はその宿に行く事を渋った。そりゃ、みゆきちゃんを看取った場所には行きたくねぇよな。

 だったら代わりに行ったるか。宿の場所は覚えてるし、荷物だってそんな大きい物じゃない。カナビス吹かしがてら、散歩するのも悪くないしね。


「しゃーねぇで、俺が行ってくるわ。あんず付き合ってくれる??」


「はいッ、たくちゃんッ」


 あんずは残っているグラスの中身をキューッと飲み干し、レインコートのフードを被り出かける準備を整えた。その間に俺は、緑茶とコーヒーの会計を済ませた。たった三杯分のドリンク代で、貝1500も取られたのは少し納得がいかないけど。

 そんな事より俺とあんずが出て行くと、この空間は高桑とマチコの二人っきりになってしまう。このクレイジーサイコヴァージンが、傷心を良い事に高桑を誑かすかも知れない。そんな事をされたら、今夜の勝負に影響を及ぼす危険もある。高桑の武器は、洞察力と冷静さだ。そのどちらかが傾くと、もう一方も傾いてしまう。彼の冷静さを欠かせる様な真似だけは、絶対にして欲しくないのだ。


「おい、マチコ。いっぺんでも高桑に色目使いやがったら、お前の陰毛全部引き千切って目の前で食ったるでな」


「キモッ。ホント童貞って最悪…。死ねばいいのに」


 自分から因縁吹っかけておいて何だけど、女の子から『キモい』って言われるのすっごいショック。そんな邪険に扱われるほど、酷い事言った?俺。(夕べから言ってました)

 高桑を守ろうとして取った行動は、結果的に自分を傷つける事になってしまった。今夜の勝負までに冷静さを取り戻せればいいんだけど…。


 ――――――――――………


「たくちゃん…、ちょっといいですか…??」


 マチコに浴びせられた罵詈雑言のショックから立ち直れていない俺は、カナビスを吹かしながらあんずと手を繋ぎ、精神衛生を整えようと必死だった。何で俺がこんな思いをしにゃならんのか。

 自分のメンタルの脆さと浅はかな言動に、凄まじい自己嫌悪と後悔に襲われていた俺の耳は、辛うじてあんずの声を捉える事ができた。


「どうした…?あんず」


「はい…。あの『マチコ』っていうミコトの方…。アタシ、どうも苦手で…。アタシには優しくしてくれたんですけど、それ以上にたくちゃんに悪ぐち言ったことが許せなくて…」


 思い返せば、あんずが俺以外の相手に怒りを向ける時は、その原因が俺への危害や叱咤である場合が殆どだ。彼女は、俺が馬鹿にされる事が何より我慢ならないのだ。その意地は、俺本人以上かも知れない。しかし、彼女の頑固さは、俺の指示一つで解消される。ひーとんとタイマン張った時も、『手を出すな』と言えば、あんずはその言葉を絶対に守る。

 とは言え、あんずは基本ミコトに対して遜る傾向がある。気に食わない事があっても、ミコト相手じゃ自分の行動の選択ができないのだ。だったら最初から状況を想定して、マニュアル化してしまえばいい。


「あんず…、俺に楯突くミコトはな、ミコトである前に俺の敵だ。俺に舐めた態度とるたわけはミコトだと思わんでええぞ」


「分かりましたッ。たくちゃんに手を出すヤツがいたらぶっ飛ばしますッ!」


 暴力的な言い回しとは対照的に、あんずは晴れやかな笑顔を俺に見せてくれた。その愛らしい笑顔は、俺の気持ちまで晴れやかにしてくれた。マチコに負わされた心の傷も、瘡蓋ができたみたいに痛みが消えた。やっぱりあんずは、俺の精神的主柱だ。彼女がいなければ、俺は何もできないんじゃないかな。

 改めてあんずの存在の大きさに気づかされていると、お目当ての宿屋に辿り着いていた。


「すんませーん、ごめんくださーい」


「はーいッ、ただいまーッ。あら?夕べ高桑さんを訪ねて来られた方ですよね?高桑さんとはお会いできましたか?」


 出迎えてくれた宿屋の店員さんの女の子は、俺の事を覚えていてくれた。まぁ、昨日の事を忘れる様な耄碌はミコトにはいないか。それより、彼女は昨日からずっと働いているのかな。お気の毒に…。


「高桑とは上手く落ち合えたよ。そんでアイツの忘れもんがあるみたいなんだけど…」


「あっ、こちらですね。凄く高級そうな物だったので、お預かりしているのも気が気じゃなかったんですよぉ。取りに来ていただいて助かりました。一応決まりなので、受け取りのご署名だけ頂けますか?」


 差し出された半紙にサインと拇印を押し、高桑の麻雀牌を受け取って宿屋をあとにした。何となく店員さんの言っていた『高級そう』という台詞が気になり、ケースを開けてみると、その牌は象牙でできていた。

 こんな値打ちもんを忘れるとか、耄碌してんじゃねーか?あのバカ。

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