第140話国枝クリニック1

 雀荘の保有資産額を聞き出すのに、貝15000もはたく羽目になった。高いボトルが入った事で上機嫌になったマチコは、ルンルンと鼻歌を混じらせながらネームプレートに『あんず様』と書いてボトルに掛けた。何で俺の名前じゃねーんだよ。と、思ったが、どうせ飲むのはあんずだし、まぁいっか。

 大吟醸の栓を抜いたマチコは、あんずが持つ湯呑になみなみと酒を注いだ。それをゆっくりと口へ運んだあんずは、一煽りで湯呑の中を空にした。相当美味かった様だ。


「こないだたくちゃんにもらったお酒もおいしかったですけど、こっちのお酒もすっごくおいしいですッ」


 喜んでくれたのは嬉しいし、お酒が美味しいのもいいんだけど、あんまりグビグビ飲むなよ。その酒高いんだからなッ!せっかく入れたボトルを。今日の内に飲み干してしまいそうなあんずを気にかけつつ、雀荘の経済状況をマチコから教えてもらった。

 あの雀荘は、経営者のミコトが一人と、アルバイトが二人の三人で商っている。従業員が少ないのは、人件費削減の為と、元々そんなに仕事がないからだ。経費も、店賃と電気代くらいなもんで、売上の殆どが利益になっている。自警団と結託して債務者から巻き上げた借金の利息も、折半という形で分け合っているそうで、雀荘自体の利益よりそっちの方がデカいらしい。

 そうやって貯えを増やしていった雀荘の資産は、4500万程だとマチコは言った。確かに大きな額ではあるが、俺が思ってたより少ないな。あれだけの暴利を貪っておきながら、それだけしか溜まってないのは何処か不自然に感じた。


「マチコ、ありがとな。これで明日は存分に楽しめるわ。

 ところで、ヨシヒロたちってどーしとる??」


 治療班の三人と塩見を奥の隠し部屋に置いていたままだったが、どうも奥の様子が静か過ぎる。夜も遅いし、今日は移動で疲れてるから、もう寝てしまったのかと思ったが、実はそうではないらしい。桃子と塩見は都探索に、ヨシヒロとハクトは都の外にある農地を見に行ったのだとか。

 別に彼らの行動を制限しようとは考えていないが、あまり無防備に出歩くのは心配だなぁ。マチコには箝口令を敷いているが、どこまで信用できるか分からないし、どこからか俺たちの情報が漏れてしまう危険もある。

 ヨシヒロは賢い子なので、何か問題が起きても対処できるだろう。だが、一番心配なのは桃子だ。アイツ、ポロっと誰かに『私いま、スパイス中毒の子たちを治療してるんだぁ』とか言っちゃいそうで怖い。アイツ、バカだから。

 あの四人が無事にここまで帰ってこられる事を願いながら、今日はここでお開きにする事にした。高桑は移動が面倒くさいのか、すぐ上の部屋を借りると言った。俺とあんずは別の宿を探す為に、店をあとにした。


「ほんじゃー、高桑。また明日な」


「おぅ、おやすみ。拓也、あんずちゃんッ!」


 軽く挨拶を交わし、別れようとしかけた時、高桑は俺を呼び止めて、耳打ちを始めた。


「拓也ぁ…、おめぇ俺に気ぃ遣いやがったな…。あんずちゃんはお前のスケなんだろ?何で隠したんだてぇ…。次いらん同情かけやがったら、マジで張り倒すぞ…」


 洞察力が優れている高桑には、俺の隠し事は通用しなかった様だ。下手に回した俺の気遣いは、彼を傷つけてしまったかも知れない。そんな不安に駆られ高桑の顔を覗き込むと、荒々しい言葉とは裏腹に、優しい笑顔を俺に向けていた。

 コイツは、俺に隠し事をされた憤り以上に、俺に大切な存在ができた事を喜んでくれたのだ。逆の立場だったら、俺は同じ顔ができただろうか。

 俺に向けた笑顔の裏で流している涙を想像すると、心の天秤が大きく揺れ動いてしまう。その動揺を悟られない様に、俺も高桑に耳打ちを返した。


「フフッ…、やってみろ…」


 ――――――――――………


《たくやくーんっ!!おきてるーっ!?おーいっっ!》


 次の日、朝っぱらから桃子のコールが入った。その音で目が覚めた俺は、返事をする前にカナビスの紙巻を取り出し、一服を始めた。吸い込んだ煙を、あくびと共に吐き出すと、『ふぁ~…』という声を聞かれてしまったのか、桃子の声はボリュームを上げた。


《たくやくんっっ!ねぇっ、たくやくんっっ!!起きてるんでしょーっ!?》


「やかましいわ。こんな早よから何だて…。

 それより桃子、誰かに聞かれとらんか??」


《それはだいじょーぶだよ。とにかく早く『'98』にきてっっ》ピッ


 呼び出すのは構わないんだけど、せめて理由くらい言えや。ワケも分からないまま、マチコの店まで出向く事になった俺は、ノソノソと支度を始めた。あんずはもう起きていて、着替えも済ませていた。

 そそくさと宿賃を払い外に出ると、陽はまだ低い位置にあった。多分、午前7時くらいかな。本当なら、もう少し寝ていられるはずだったのに…。

 腐っていても仕方ないので、重たい目蓋をフルパワーでこじ開けながら、あんずを連れてマチコの店を目指した。


「おはよーございまーす…」


「ございまーすッ」


 '98に着くと、店の中には桃子とマチコの二人しかいなかったが、店の奥から話し声が聞こえる。ヨシヒロたちだろうか。取りあえず呼び出された理由を尋ねると、マチコは隠し部屋の扉を開いた。そこには見知らぬミコトが何人もいた。その中に、ケミカルウォッシュのジーンズに野暮ったい黒のタートルネックのセーターと、大き目のキャスケットを被り顔を隠しているミコトがいた。その人物は、俺の姿を捉えると、キャスケットを脱ぎながら、俺に近づいてきた。


「たくちゃん、ごめんね…。こんな朝早くから…。急にお客さんから予約が入っちゃって、お昼に来られなくなっちゃったから、もうみんな連れてきちゃった」


 そいつは何と三谷だった。遊女の格好しか見た事なかったから、誰か全然分からなかった。どうやら売れっ子遊女は、オフの時に都をうろつくにも正体を隠す必要がある様だ。

 彼女が連れてきたミコトは、全員スパイス中毒に苦しんでいる子たちだ。その子らの治療は、既にヨシヒロとハクトが始めていた。

 比較的症状の軽い子はハクトが診ていて、ヨシヒロは特に症状の重い二人を診察していた。重度の中毒者になると、受け答えも曖昧で、常に意識が朦朧としている様子だった。その症状は、話に聞いた桃子の元カレのコウヘイくんの最期や、高桑のカノジョと酷似していた。つまり末期だ。

 桃子が店の方にいたのは、その子たちを桃子に見せまいとするヨシヒロの計らいだった。

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