第134話再びの都3

 憤慨しているマチコを全く気にも留めない俺たちの態度に、彼女は何かを諦めた様に一つ深い溜息を吐いた。そして、カウンターの後ろで酒を並べている棚を横にスライドさせ、奥へと続く部屋の扉を露わにした。元々一つの建物の一階を仕切って作られているこの店の隣が、何の店舗にもなっていない事を不思議に思っていた。まさか隠し部屋になっていたとはな。


「こっちも一応『倉庫』っていう名目で私が借りてるの。この事は絶対内緒にしてよッ!」


 マチコに案内されるままに入ったその部屋は、八畳ほどの広さだった。店よりこっちの方が広いじゃん。場所交代したら?と、思ったが、『情報屋』として商いをする際には、全ての客の行動を把握する必要がある。その限界値が、6~7人というキャパなんだろう。

 とにかく、これで漸く全員が腰を降ろす事ができる。何の気なしに、テキトーな場所であぐらをかくと、俺の右手にはあんずが、左手には三谷がそれぞれ座った。丁度対面にはひーとんが座ろうとしていたが、その彼にマチコは『看板を下げてこい』と命令を出した。どうやら今日はもう店を畳んで飲みに徹する様だ。嫌ってる相手が何人もいるのに、酒の席は共に囲めるのか。

 酒を飲むヤツ、飲まないヤツ、各々が注文した飲み物が手元に届き、とりあえず全員が無事に都入りできた事に乾杯した。一度グラスやカップを合わせた後は、バラバラに思い思いの会話を繰り広げていたが、ある時思い出したかの様にマチコが俺に話かけてきた。


「あ、たくやくん。さっきコーヒー頼んだでしょ?チケット一枚分の情報あげるから、何か質問してよ」


 俺はただ単にコーヒーが飲みたかったのでチケットを使っただけで、情報が欲しかったワケではない。その旨を彼女に伝えたのだが、情報を聞き出す権利を放棄するのは、彼女にとって借りを作るのと同じらしく、しつこく質問を催促してきた。めんどくせぇシステムだな、と肩を落としながら、チケット一枚分の対価を、塩見の為に行使する事にした。


「ほんじゃ、都で商売を始めるにゃ、どーすればええの?」


 塩見の存在と彼女の商材を軽く紹介し、店を開くまでのプロセスをマチコから教えてもらった。

 商売は、大きく二種類に分けられる。『物販』と『サービス』だ。物を売ったり、飲食物を提供するのが物販。荷運びや床屋、遊郭など形のないものを売るのがサービスだ。塩見が始めようとしている商売は、前者の当たる。後者に至っては、設備や道具が必要になってくるが、物販は商品さえあれば必ずしも店舗を持たなければならないワケではない。道端の露店から始めればいいのだ。実際、スパイスも最初は路地裏で販売していた。

 宣伝や口コミもある程度は不可欠だが、一番重要なのは『何を扱っているか』だ。その点、塩見が持ち込んだお香や香水は、都での需要が大いに見込める。しかも、その手の商売はまだ都にないらしく、上手くいけばシェアを独占できるかも知れない。

 しかし、気をつけなきゃいけない事もたくさんある。商売が軌道に乗れば、それに肖ろうとするハイエナみたいなミコトが必ず現れる。最悪、乗っ取られる可能性だってあるらしい。そうやって商売を奪われたミコトを、マチコは何人も見てきたというのだ。


「乗っ取りが怖ければ、早いとこ店を持つ事ね。店賃は安くないけど、店舗さえ構えられれば自警団から『営業許可証』が発行されるの。それさえ持っていれば、商売を脅かす輩から自警団が守ってくれるから」


 相変わらずコーヒー一杯で気前よく教えてくれるマチコの情報を、塩見は真剣に聞いていた。しっかし、そんなかったりぃ事をよくやろうと思うよなぁ。商売なんかハナからするつもりもない俺は、マチコが語るプロセスに嫌悪感の様な感情を抱いた。だって、貝が欲しいなら、誰かから奪うか騙し取ればいいだけじゃん。そう考える俺の下衆さは、あの成瀬兄弟と何も変わらなかった。

 自分の愚かさを見て見ぬふりをしようとしている俺を後目に、マチコの情報はもう少しだけ続いた。


「安全に商いをするにはもう一つ方法があるよ。これは結構地道なやり方だけど、既に店舗を持ってる商店に、商品を卸すの。もちろん手売りよりも利益がガクッと落ちるけど、収入は安定するよ。どんな手段を使うかは本人が決める事だけど、道に迷ったら私を頼って。払うもんさえ払えば、何だって教えてあげるよッ」


 言葉尻に見せたマチコの笑みに、塩見は安堵の表情を浮かべていたが、この女は手放しで信用しない方が身の為だ。それをこの場で教えてやってもよかったんだけど、下手に不安を煽っても仕方ないので、危機管理は塩見本人に任せる事にした。何を信じ、何を疑うか、その見極めが自分でできなければ、到底この都ではやっていけないからだ。


 一頻り商売についてマチコが語り終える頃、俺のカップは空になっていた。チケットでもう一杯頼む事もできたが、聞きたくもない事を質問するのはもううんざりだったので、通常の注文としておかわりをたのんだ。

 マチコはコーヒーを淹れる為、一度店の方に消えた。サイフォンで淹れてくれた新しいコーヒーを手にして戻ってきたマチコは、わざわざ俺の後ろからそれを渡そうとしてきた。カップを受け取った俺は、彼女を見ようともしなかったが、用が済んだはずのマチコは、なかなか俺から離れてくれなかった。終いには俺の肩に手を回し、耳元でこう囁いた。


「ねぇ、たくやくん…。聞いたよ。キミ、とんでもない金持ちなんだってね。一度に100万も持って来るミコトなんて初めてなんじゃないかな。たくやくんにだったら、『本当に』一晩カラダ預けてもいいかも……」


 あからさまなマチコの挑発にピクリとも来ない俺だったが、気になったのは既に俺の懐事情が彼女に知られている事だった。都内での情報の伝達は、俺が思っているよりずっと速そうだ。となれば、賭場や成瀬兄弟にも、確実に俺が大枚を持ち込んだ事は伝わっているだろう。

 と、考えていた俺とは裏腹に、マチコの行動を見過ごせない存在が俺の隣にいた。それは、俺の右に座っているあんずではなく、左に座っている三谷だった。


「ねェ…、汚い手でたくちゃんに触らないでくれる…?小便臭いのが染っちゃうから」


 いきなり放たれた辛辣な三谷の台詞に、俺は度肝を抜かれた。この子、こんなに口悪かったっけ??と、思っているのは俺だけではなく、言われたマチコも驚きを隠せない様だった。しかし、ここで引き下がる女ではないマチコは、三谷に食って掛かった。


「へ…、へぇ。やなぎ家の売れっ子遊女サマが、こんな『童貞』ごときの肩持つんだぁ…。ウッケるーッ」


「タレこみ屋風情に、たくちゃんの何が分かるの?それに童貞を笑いたいなら、処女切ってからにしたら??」


「……ッ!!」


 女同士の舌戦こえぇ…ッ。しかも三谷の圧勝……ッ。

 ってゆーかマチコのヤツ、ヴァージンだったんかいッ!!

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